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【大学のこと】院生の生活②学外のこと

 大学院生という不可思議な生きものが、大学という巣穴でどんな生活をしているかを前回書きました。

では、学外に出るときはどんなときでしょうか。巣穴から出てきたダイガクインセイヒトモドキの生態を観察していきましょう。


寝に帰る部屋


 学外の時間には、自宅での時間が含まれます。大学院生にとって自宅とはどんな場所でしょうか。
 自宅での生活時間と研究業績は反比例します。やはり研究室は研究をする環境として整っていますから、自宅で研究をするというのは効率がいいとは言えません。研究がうまく進んでいるとき、自室は寝るだけの場所になります。

自宅はあまり大切な場所ではありませんでした。

 私も大学近くの、家賃が35000円の部屋に住んでいましたが、特段不都合はありませんでした。私は料理好きで(まさかそのあと、飲食店を開業・経営するとは思っていませんでしたが)、暇があれば料理をすることもありましたが、その頻度は少なかったです。せいぜいワンパンパスタか、タジン鍋で野菜を蒸すくらいでした。

自宅の環境を整える必要は?


 一応、PCさえあればいろいろと調べ物はできましたが、ほとんどの論文は学外では読むことができません。大学というものは、大学単位で研究雑誌を購読しているので、研究室にいれば手に入る論文が自室ではそうでなかったり、あるいはソフトウエアも研究室のものを使ったほうがよいケースがほとんどでした。自前のPCに、計算ソフト、統計ソフト、Adobe関係、Office関係、すべてを入れている人は少なかったように思います(自分で研究費を獲得できるようになればその限りではありませんが)。

作業場所として充実させる必要はあまりありません。それよりも、いろいろな先輩後輩と議論できる研究室での時間を充実させたほうがよいでしょう。

 ただし、絶対に誰にも話しかけられずに、集中して自分だけのために時間を使いたい、というタイミングがあります。論文を書く時です。その時ばかりは、自室が大切な場所になります。しかしそれは、ある程度自身の力だけで論文をかけるようになってからのお話です。少なくとも修士1年生が「論文を書けるように集中できるような部屋を持とう」と思う必要はまずないと思ってよいでしょう。
 また、研究とは基本的にうまくいかないものなので、自宅にいると無駄な時間を過ごす羽目になる確率がぐんと上がります。他者から見ればどうでもよいことに拘泥する、無為な調べ物に尽力する、怠惰になってしまうなど、ただでさえ難しい研究をより困難なものにしてしまうのが「孤独」だと言えるでしょう。自分で自分の立ち位置ややりがいをきちんと保持している、ある程度の年数の経った研究者ならばその限りではありませんが、学生のうちは誰とでもコミュニケーションが取れるところに身体を置いたほうがよいでしょう。自分で自分を修正するのは、自立できるだけの実力を身に着けたあとです。

自身の研究の道を自身で修正するのは、修士院生には難しいです。一人になってあらぬ方向に行ってしまうのを避けましょう。

食事など


 お昼ご飯はコンビニ飯か学食が多いという話を前回しましたが、たまにランチで遠出したり、院生同士や研究室で飲み会があったりします。それはそれは楽しいものです。院生という生き物は基本的に個性の塊なので、一般的なノリとか集団圧力というものとは距離を置いていることが多く、したがって逆にどんな人間でも過ごしやすい飲み会が多いです(あくまで私の体感ですが)。

大学院の飲み会はとても楽しいです。研究の話を思う存分しましょう。

 飲み会で、酒に酔った勢いで先輩の研究の問題点を聞いてみる、なんてことができると非常に有意義です。その人物が問題をどのように捉え、どのように改善しようとしているのか(あるいはしようとしてないのか)を知ることは、研究の姿勢に関する重要な情報といえるでしょう。研究には、学会答弁や論文の際に必要となる極めて正確な論理的思考と、まだインスピレーションの域を出ないがキラキラ輝く発想の二つが必要で、後者は飲み会のときにその場を盛り上げてくれます。
 また、院生とは何かとストレスの溜まりやすい生きものですので、たまにうっぷんを晴らす場があったほうがよいでしょう。イヤな先輩や指導教員の愚痴は何よりも盛り上がります(これはどの飲み会でも共通でしょう)。

出張


 最高です。これのために院生になってもいいくらいです。
 学会発表は研究者の義務のひとつです。国内外に、自身の研究をアピールします。研究は発表して、人類の知見をより深めるという貢献をして初めて意味を成します。自分だけが知識を得る、増やすことは厳密には研究とはいえません。知識知見の共有は研究の大前提です。

成果の報告を行うまでが研究です。

 さて、学会は全国様々な場所で行われます。特に北海道大学の院生は、学会と言えばたいたい東京や大阪や名古屋に行くことになりますから、飛行機での移動が大前提となります。空港に行く機会がない生活をしていた私は、年に数回の学会が本当に楽しみでした。新千歳空港のご飯を食べて飛行機を待つだけでも楽しかったのを覚えています。

大学院生になって初めて頻繁に飛行機に乗るようになりました。研究費で外泊できたりもしました。とても楽しい思い出がたくさんあります。

 まず、いろいろな場所で学会は行われます。院生・教員時代すべて合わせると、札幌を除くと函館、仙台、新潟、東京、京都、大阪、山口、香川、福岡、沖縄の学会に参加しました(忘れているだけでもっとあるかもしれません)。国外だとシカゴ、フロリダ、サンフランシスコ、あとメキシコ(地名は忘れました)でしょうか。その場所の名産品、美味しいモノ。食事代などはもちろん自費ですが仕事で行けるのは最高以外の何でもなかったです。
 そして、たくさんの研究者に触れられることも素晴らしかったです。わりとニッチな研究をしていると、自分と知識を共有している(詳しい)研究者が自分と指導教員だけだったりします。それが学会に行けば数名あるいは数十名いる。そこでの研究に関する議論は、論文を読むだけでは決して得られない多くの実りを与えてくれます。

ニッチな研究をしていて、かつ北大のような閉じられた大地で過ごしていると、学外の研究者との議論はそれはそれは実りのあるものになります。

 学会に参加することを決めたら、自身の研究の内容を短くまとめ投稿、採択されればOKです。しばらくすると全員分の発表演題と研究概略が載った分厚い資料が送られてきます。そこで自分と同じ(あるいは全然違うが面白そうな研究)領域の研究をチェックすることができます。そんな面白いことをやっている研究者がいたのか、と驚くことも、そんなニッチなところをあえてやるのか、と思うこともある、玉石混合の宝物です。数日間開催の学会で連泊する場合など、ホテルでどこのポスター発表とどこの口頭発表を聞きに行こうかと計画を練るのもまた楽しい時間です。

 ひとつ注意しておきましょう。ポスター発表や口頭発表を聞くからには必ず質問し議論しましょう。ただ聞くだけというのは、質問するほどの面白さを感じなかったと言っているのと同じで、失礼にあたります。そうした場で意気揚々と議論することができないなら、研究は向いていないとも言えます。

これは声を大にして言いたいのですが、質問しない、反応しない、聞くだけというのは失礼なことです。かならずなんでもいいので議論をふっかけましょう。質の悪い質問は、質問ゼロよりよいものと思ってください。

 また同様に、自信の発表はきちんと準備して行いましょう。稀に研究費を消化するためだけに、あるいは旅行気分で適当な資料を用意している研究者もいますが、あれは社会悪だと言っていいでしょう。せっかく外部の研究者と議論できる機会なわけですから、できる限りの準備をするべきです。
 出張は学会だけでなく、雑用や研究費の面接などいろいろありますが、少なくとも北大の院生にとっては総じて楽しいモノでした。ちなみに費用は、研究費をそのゼミがどれだけ持っているか、自分がどれだけ持っているか、そのがどれだけ予算を振ってくれるかによってどこから捻出されるかが変わりますので、そういう意味では学会が大嫌いな院生というのもいるかもしれません(強制的な巨大な出費となる場合もあるので…)。

アルバイト


 しないほうがいいです。この記事のもっとも重要な意見はこれです。アルバイトはしないほうがいい。念のためもう一度言いましょうか。大学院生はアルバイトをしないほうがいいです。

本記事のtake home messageはこれです。「大学院生はバイトをするな」。

 理由はいくつか存在します。まず、アルバイトにハマると研究がおろそかになります。これはまあ、当然と言えるでしょう。次に、大学院生はアルバイトにハマりやすいです。もはや罠かというほど、アルバイトにハマる要素が多いのです。その要素をひとつひとつ見ていきましょう。

研究はうまくいかない


 研究はうまくいきません。基本的に詰まります。例えば、自分が育てたデータに問題があり、その活かし方をずうっと考えて考えて、ある日それが(多くの場合そのほんの一部が)なんとか日の目を見る形になりそうな目途が立つ、あるいは多くのものを捨てる決断をするかのどちらかです。基本的にうまくいかないので、逃げられるなら逃げたいのです。自己肯定感も下がっていて、研究に関する行動への負の強化がガンガン進んでいきます(ある行動をすると、よくない結果が生じる。これを繰り返すと、その行動をやがてしなくなる。これを負の強化と呼ぶ)。だから研究以外のことをしたくなります。

研究はつらく厳しいので、逃げ場を探すマインドがいつでも湧き上がってきます。潜在的にも、顕在的にもです。

自己肯定感を得られる


 大学院生というのは、研究がうまく行っていなくても大学院生です(当たり前ですが)。世間的には賢く、どこか偉いものとして見られます。だから様々なアルバイトの話が降ってきます。家庭教師はどうだとか、講師をやらないかとか、試験監督をしないかとか、様々です。そこにはあなたの研究にダメだしする教員はいません。むしろあなたの能力を高く評価してくれる雇い主がいます。ズタズタになっているあなたの自己肯定感はそこで修復されるのです。

研究が進んでいないことなど、雇い主や同僚は知りません。いくらでもドヤることができます。

給与がいい


 アルバイトにしては高給取りだったり、作業の質に対してバックが多い楽な仕事がたくさん舞い込んできます。時給に換算するとこんなに!しかも滅茶苦茶楽だ!と最初は驚くことでしょう。学内の試験監督やアシスタント。ちょっとパソコンが触れるだけで、IT系の講義で90分ほど座っているだけで数千円。世間の相場からするとかなり割の良いバイトができたりします。

お金はないので動機は十分


 大学院生は生活を研究に捧げているにも関わらず大学にお金を払っている、言ってしまえば変な生きものです。基本的にお金はありません。私も大学院生1年生からずっと奨学金をもらって生活していました(もちろん返済の必要があるもので、今も返済中です)。実家が極太とか、社会人院生であるとか貯金がすごくあるとかでない限り、大学院生は金欠です。ですからアルバイトをする動機は十分ですし、生活のためという大義名分で、いくらでもアルバイトをしてもいいわけです。

お金はないので、とうぜんバイトにも身が入ります。だからバイトばかりしてしまうのは、自然なことかもしれません。

どうなるのか


 専門学校の講師。TA(ティーチング・アシスタント)、家庭教師。その他もろもろ。いくらでもアルバイトをしてもOKです。実は大学院の学費と生活費などわりと簡単に稼げてしまいます
 そして、どうなるのか。バイトばかりしていては研究は一向に進みません。すなわち、人生のキャリアを浪費し続ける数年間になります。事務仕事が上手になったり、講師が上手になったりしますが、研究は上手になっていません。それにもかかわらず年齢は徐々に高くなり、研究業績はバイトをせず研究ばかりしている後輩に追い抜かされます。特段の理由がないにも関わらず業績の無い年齢高めの研究者に、研究能力があると考える人はいません。つまり研究者としてのキャリアは終わります。取り返せない数年間を、あなたはアルバイトをして過ごしてしまう羽目になるのです。
 一般的に修士は2年、博士は3年。なんとしてもその範囲内で学位を取得しましょう。そのためには、アルバイトをしている暇はありません。非常に、本当に非常に誘惑が多いのですが、できるだけアルバイトはせずに研究に打ち込んだほうがよいでしょう。ごくごくまれに、研究に関わる事柄にも関わらず給与が発生することもありますが、極めて例外的だと言えます。研究ばかりに身を捧げても、必ず研究がうまくいくとは限りません。しかし、研究ばかりに身を捧げなくては、研究がうまくいく確率はほぼゼロです。
 以上が、私が大学院生にアルバイトをおススメしない理由です。

家族


 大事なことを忘れていました。
 ご両親や親戚、兄弟との付き合いは大切にしましょう。大学院生というのは、お金が発生しないにも関わらず人生のいっときを研究に打ち込む生き物であり、これは一般的には変な生きものと言えます。それを許してくれている、そしておそらくは心配してくれているご家族とのコミュニケーションはしっかりとりましょう

家族に応援してもらえるというのは、実は非常に大事なステータスです。

 研究というのは自己肯定感が下がるものですから、家族とのコミュニケーションで自身の精神を回復しておくというのも大切です。また、周りに大学院生が居ない場合、家族はあなたのことを誇りに思っていることが多いです。それは学位取得の大きなモチベーションにもなるでしょう。「学会でポスター発表したよ」だけでも喜んでくれる(かもしれない)家族を大切にしましょう
 多くの研究室では、年末年始やお盆時期の帰省に好意的です。ぜひ顔を見せてあげてください。
 
 かなりかいつまんだ、しかも局所的な情報でしたが、これが大学院生の生活です。
 次回は、研究活動そのものについてもう少しだけスポットを当てたお話をしたいと思います。かつて私の研究分野だった「実験心理学」や「脳波」とは何かについて、少し説明していきます。


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