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好きもいろいろ

すぐに女性を好きになってしまうマンであることはたびたび公言しているが、好きにも色んな種類がある。もっと仲良くなりたい、もっとこの人のことが知りたい、一緒にいて楽しい、顔が好き、性的に好き、尊敬、自分を好きでいてくれるから好き……色々ある好きの中に、『この人みたいになりたい』という好きがあることに気がついた。

自分は『龍二』という大変に男らしい名前である。自分にとって一番身近な男性である父親は学生時代に柔道で国体に出たこともあり、肉体労働をしていて見事なビール腹のマッチョで、男らしさの塊のような人だっだ。小さい頃から、所謂『男らしさ』と向き合うことが多く、小児ぜんそくを患い痩せて非力だった僕は自分が男性であることに小さな引けめを感じ、違和感を持っていた。心のどこかに、女性になりたい願望、自分が女性だったら良かったのになという思いがあったんだと思う。こういう人になりたいという理想の自分像、それに近い人を理想の女性として好意を感じる、そんなバグにも似た恋愛志向がいつの間にか醸成されていたらしい。思い当たる人も何人かいる。

ここで面白いなと思うのが、僕がなりたいと思う女性像が、いわゆる女性らしい女性ではなく、どちらかと言うと男らしさを持った女性であるということだ。おそらく僕が男らしさと向き合う中で生まれただろう、『女性だったら良かったのにな』願望。そんな自分がこうなりたいと思い好意を持つ女性は、かっこよく自立した男らしい女性なのだ。それもずっと向かい合ってきた男らしさの呪縛なのか、それとも「俺おっぱいの大きい子が好きなんだよねー」と同レベルの好みの問題なのか。単なる好みにすぎないことをややこしくこねくり回して考えているだけかもしれないが、そんなふうに難しく考えちゃう時もあるよねと笑って思考に潜ろう。

好きという感情は性的な欲求に根差したものでもあるが、『この人みたいになりたい』という相手を、同時に性的にも求めるというのもなかなか興味深い事象である。理想の自分を抱くことによって取り入れようとしているのか。理想の自分をモノにすることによって自分の劣等感を埋めようとしているのか。理想の自分を性的に汚すことによって自分と同じところまで堕とそうとしているのか。単なる生物学的な本能によってより強いメスと子孫を残そうとしているのか。おそらくどれも正解で、おそらくどれもつべこべ考えすぎなのだろう。

僕はどうも、誰かを好きになるということを難しく考えすぎるきらいがある。好きなんて感情は理屈じゃない。それでも誰かを好きになるということは自分の本質を色濃く写す鏡のようなものでもある。こうやって自己理解を深めながら、自分に迷子になったりしながら、ややこしく考えながら生きていくのも楽しいものです。皆さんには好きな人はいますか?皆さんはどうしてその人のことが好きなのでしょう?なんて答えのない答えをぐるぐる探して過ごす3連休を過ごすのもいいんじゃないでしょうか。

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