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髪を切ったよ、とかそういうこと

ここ3年ほど、特定の恋人は作らずにふらふら色んな相手と遊んできた。前の彼女と酷い別れ方をして、こんなのはもう懲り懲りだと思ったし、俺はこっちの方が性に合ってると思ったからだ。サトコと3年ぶりに『正式に付き合う』ことになったのも向こうの押しにこっちが折れたからだし、どうせすぐに別れるだろうと思っていた。そうなったらまた元の根無し草に戻ればいいだけのことだ。自分に彼女がいるというのも、何だか久しぶり過ぎて現実味がないと言うか、どうにもこうにも落ち着かなかった。

1週間ほど経った頃だった。サトコから、「髪を切ったよ」という短い文章と共に自撮りが送られてきた。髪を切ったと言ってもそんなにばっさりとショートになったわけじゃない。おそらく数センチカットして整えて色を入れ直して、いつもの髪型に戻っただけだった。それでもそのことを俺に共有しようと思って連絡してくれたことがとても新鮮で、とても嬉しかった。

思えばこんなふうに何でもないことを連絡し合えるような付き合い方をするのは久しぶりだった。『恋人である』という免罪符によって得られる一番のことは、何でもないことを共有し合えるということなのかもしれない。髪を切ったとか、桜が咲いていただとか、仕事で疲れただとか、面白いテレビを見ただとか、そういう些細なことたち。誰にも縛られず、縛らず、自由にふらふらと生きるのが自分は一番居心地がいいのだと思っていた。確かにそうだった部分もある。しかしこうして何でもない連絡が当たり前に飛んでくる、『髪を切った』という小さなことを共有したいと思ってくれているということは、俺の心に大きな安らぎをもたらしてくれた。そうか、俺は実は愛されたがっていたのだ。自分でも気づいていなかった自分の心の奥にあった本心。サトコはそれに気づかせてくれたのだった。

次の日、俺はいい感じの春物のアウターを買った。新しい服を買った時のわくわくする気持ち。サトコに伝えて一緒にわくわくを共有したいと思った。自撮りを送ろうとしてふと思いとどまる。明後日会う時に着て行って直接感想を聞ける方がいいな。付き合うということはこうして、当たり前に次に会う約束があるということでもある。なんだよ、悪くないじゃないか。部屋のポールハンガーに掛けたアウターを眺めながら、俺はサトコのリアクションをあれこれ想像してニヤニヤしていた。たぶんこういう感情を、人は愛と呼ぶのだろう。

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