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只管打坐

肩書きがものをいう時代はとっくに過ぎている。

臭い芝居は見透かされている。

伝わるのはその人自身の「響き」だけ。

響きは隠せないし誤魔化せない。

自分の響きを整える事だけに全集注する。

整った響きは不思議と他者とも同調していく。

というか、響きが整わなければ臭い芝居を延々と演じ続けることになる。

芝居が終われば孤立が待っている。

只管打坐という態度が全集注の入り口。

黙ってやれ。

それだけの話。

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