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都市住宅の終わり/地球住宅の始まり

 2022年、『新建築住宅特集』座談月評の評者にご指名頂き、貝島桃代さん、中山英之さんとともに2022年1月から12月までの1年間、毎月発行される最新号に発表される住宅作品15-20作品程度を対象に月に1度同じメンバーで継続的に議論をする機会に恵まれた。
 私は近年「家の家」(本誌1304)以来10年ほど個人住宅を設計していないこともあり、最近の住宅作品の多様性を興味深く追う一方、1990年代後半の「小ささ」のような共通のテーマや新しい世代によるシーンの盛り上がりなどがあまり感じられず、かつて1990年代の終わりに伊東豊雄さんが指摘されたのとは別の意味で「住宅に批評性がない」と感じていた。そこで座談月評の冒頭では住宅建築に内在する批評性について考えたいと述べた。以下、振り返る。

1月号「2022年 住宅のこの先」
中谷礼仁さんとともに石山修武さんの「世田谷村」を訪ねる座談会「孤立から始める」妹島和世さん西沢立衛さんの作品集についての座談会「本という建築」が掲載。作品では秋吉浩気さんの作品と論考が印象に残った。秋吉さんが目指すのは大量生産というより石山修武さんがいう「中量生産」であるが、前作「まれびとの家」のような建築生産と芸術性との緊張関係が感じられないことに疑問を持った。

2月号「大地と繋がる家」
平屋特集である。平屋の社会性という観点が生じ、柳澤潤「A Townhouse」や藤野高志「バウンダリ」に特に公共建築の住宅性ともいうべき可能性と課題を感じた。

3月号「木造の魅力」
近年盛り上がっている木造特集である。畝森泰行さんの「Houses」が印象に残った。東京ならではの都市住宅として語られた西沢立衛さんの「森山邸」(『新建築』0602)に共通するところもあるが、都市(ポリス)的な視点は語られず、自らの原風景やどのように子育てしながら生活を組み立てていくのかなどの「家(オイコス)」的な視点が専ら強調されていた。畝森さんに限らず昨今の住宅は1970年代以来の「都市住宅」に比して「家族住宅」ともいうべき語りが多いと感じる。

4月号「リノベーションの自由」
最近毎年恒例であり、1年で最も盛り上がるリノベーション特集である。1970年代の篠原一男以後、我が国では公共建築というメインカテゴリの脇にあるとされていた「住宅」というサブカテゴリが若手建築家の主戦場とされ、住宅が前衛とされてきた。ところが、住宅そのものがカテゴリとして成熟を迎えた今、新築住宅はもはや後衛であり、リノベーションが前衛へと立ち位置をスライドしていると感じる。

5月号「家とは何か」
作品の強度という意味では2022年のピークであった。対象の根源を問う芸術知的な石上純也さんの「House &Restaurant」、社会に対する思想を表明する人文知的なドットアーキテクツの「仮の家」というリベラル・アーツ的な作品のあとに高気密高断熱だけどローコストで保守的な社会の要求も含めて現代性がそつなく実現されている工学知的な川島範久さんの「豊田の立体最小限住宅」が対置され印象に残った。

6月号「これからのシェア」
ここ数年盛り上がりを見せるまちに開いた住宅の特集である。町医者的な建築家のあり方が話題となった。他方で、その一例を法律にフィードバックするような法律家的な建築家のあり方との往復が対置されてほしい。

7月号「家の中に外を作る」
6月号に引き続き、ここ数年盛り上がりを見せる半外部空間を持つ住宅の特集である。かつての原広司さんの「住居を都市に埋蔵する」山本理顕さんの「閾」論などハンナ・アーレントのいう公的領域(ポリス)私的領域(オイコス)の関係を再構築する試みでが並ぶが、土間的な意匠をただ置くに止まるものも多かった。まちづくり領域では飲食店の営業許可が取れるキッチンを置くような積極的な機能論を伴う土間も出てきており、今後の展開に期待したい。

8月号「庭」
庭特集である。伊藤孝仁らの「農家住宅の不時着」が話題となった。数寄屋的な意匠に疑問は残るものの、縮小する都市環境の中でいかに建築のヴォリュームを再バランスさせるかという都市住宅の現在形かもしれない。他方、土中環境を再検討し擁壁や基礎のつくり方を変え、建築を立体的に再定義するような新たなアプローチの作品はまだみられなかった。

9月号「風と光と熱のデザイン」
環境特集である。技術知から生態知へと主題をシフトし、単体ではなくエコロジーで問題を解いていくと主張する能作文徳さんの論考「伝統的建築に内在する生態知」が印象に残った。

10月号「これからの別荘」
こちらも恒例の別荘特集である。栃内秋彦さんの「都市のベースハウス」まちの活性化のために設計された公共施設のような、大きなアウトドアリビングテラスをもつ建築を個人所有の別荘として実現した動機に興味を惹かれた。

11月号「最新作品16題」
30歳代を中心とした若手特集である。構成の形式と構造の形式が一致した作品が多かった。プレイヤーの世代交代はあるものの、構造家と建築家が協働して狭小住宅の過酷な条件を鮮やかな形式で解いていく方法論は1990年代以来大きく変わっていない印象もある。鈴木亜生さんの吸放湿性や断熱性、防水性をもつこの団粒構造を見直す試みには興味を惹かれた。

12月号「住宅遺産の継承」
住宅遺産というカテゴリを新たに取り上げる特集。ここに「顕名的なリノベーション」という新しい作品のカテゴリが見出された。住宅というカテゴリの前衛性を位置付け、リードする役割を果たしたのが植田実さんの『都市住宅』だとすると、近年の『新建築住宅特集』は今回のような隠れた文脈新たな前衛の萌芽となるサブカテゴリーをつくる役割を果たしている。

 年間を通じたクライマックスのひとつは5月号「家とは何か」であった。「家とは何か」を論じるなら多木浩二の「概念としての住宅/生きられた家」の対比を念頭に置いて、もっと家が「生きられる」ことを謳う論が待たれるところだが、5月号では比較的、概念よりの住宅が多かった。
 石上さんの地面に直接向かう姿勢とも、家成さんらの石場建てを模した小さな基礎の表現とも異なるが、今日の住宅市場で、一般消費者の多くが求めている方向性への批判的な実践にチャレンジしているのは川島範久さんの「豊田の立体最小限住宅」であろう。
 「概念としての住宅/生きられた家」の頃に盛んに議論されたことであるが、これまで建築家の住宅と一般の商品化住宅を区別するのは都市への視点の有無であった。公共建築を設計する者こそが建築家であるとする欧米的な建築家像から切り離されがちなわが国の住宅作家(=若手建築家)たちは、都市を語ることで建築家と認められてきた。それは「都市住宅」というジャンルを切り開き、盛り上げてきた雑誌の功績のひとつであろう。

 しかし、いま建築のパラダイムはもう少し大きなところで動いてきている。そのことを確信したのは貝島さんのご提案で実現した11月のETH訪問でのディスカッションにおいてであった。ヨーロッパでの日本の住宅建築作品の捉えられ方は、私が留学していた2002年頃とは大きく異なっていた。
 20年前当時、アトリエワンらの世代がヨーロッパで「小さな住宅」をつくる建築家たちとして知られようとしていた。ただし、それらの評価のされ方は、欧米にはない小さな住宅実践がただ面白い、という物珍しさの延長であったように思う。
 ところが、10年前の2012年にチューリッヒで「Learning from Tokyo」というシンポジウムと展覧会が開催された時には、グローバル化によって都市への人口集積が進み、高密度居住を考えるために日本人建築家たちの実践は先駆者のそれとして位置付けられようとしていた。彼らのなかで「東京から学ぶ」ことはいつしか当事者的な課題となっていたのである。
 そして今、わが国の小住宅の実践は、CO2排出量が問題視される人新世の時代に「小さな」暮らしをめざして規範をどう変えるか、という彼らの問題意識に叶う環境負荷低減を図る住宅のあり方として再評価されようとしていた。川島さんの「豊田の立体最小限住宅」はその再評価にも応えうるのかもしれない。

 このようにスイスでは日本人建築家の住宅作品の評価は「極東の珍しいもの」から「高密度居住の先駆者」となり、今では「環境負荷低減を図る住宅」と絶えず変化しているのだが、当事者である我々日本人建築家たちは、依然として雑誌が作るサブカテゴリのなかでせっせと芸を磨いてしまうところがあり、4月号で見られたように近年は「リノベーション芸」のような差異化のゲームも始まりつつある。かつては公共建築派の「住宅は建築ではない」という見方に対し「住宅は芸術である」と抗弁した篠原一男がいたら「リノベーションは芸術である」と主張するかもしれないが、今必要なのはそのようなイデオローグである。
 そのような状況で日本人建築家が雑誌にうまくフレームしてもらって安穏と芸を磨いているあいだに、商品化住宅のデザイナーYoutubeで環境性能を高らかに数値で謳う時代となった。数値を語るときの視点が地球環境負荷という大きなコモンズへと向いていれば良いが、実際のところは消費者の不安を煽り、新たな差異化のゲームを仕掛けているにすぎず、大半は分厚い壁に小さな窓と樹脂サッシが取り付けられ、玄関周りのみやたらと飾り付けられているキッチュな住宅が新たな住宅産業の主力商品として差し出されている。かつての商品化住宅が建築を介した都市の公共性から離れ、「東京から〇〇分」や「買い物や通学に〇〇分」などの数値で都市生活の利便性を煽っていた頃とあまり構図が変わらないであろう。
 いま私たちはかつて植田実が状況を「都市住宅」として切り出し、住宅を通じて都市の公共性を描くよう建築家を誘導したように、住宅を通じて地球の環境負荷を低減する社会を描くよう建築家を誘導する、「地球住宅」のような新しい枠組みを作る時期に差し掛かってきているのではないだろうか。
 日本人建築家にとっても「都市住宅」が創刊された1960年代末以降、都市のコモンズを語れば建築家の仲間入りをする時代が続いてきたが、今はそういう時代が終わり、地球のコモンズを語らなければ建築家になれない時代へ移行しつつあると考えるべきであろう。

 そのように住宅の批評性を捉え直すと、2022年の『住宅特集』の一連の特集の中では9月号「風と光と熱のデザイン」最も批評性の高い号だということになるのだろう。能作文徳さんの論考「伝統的建築に内在する生態知」はその文脈に最も的確に応えており、恐らくは今後の建築シーンをリードする思想の方向性を描いている。他方で建築家としては、風と光と熱のデザインを通じて、五十嵐淳さんの「光の矩形」西沢大良さんの「駿府教会」のように、ローマ風でも和風でもない、オリジナルの矩計による厚い壁がもたらす、新しい「暗さ」の表現が今後もっと探求されると面白いと感じた。

本稿は『新建築住宅特集』12月号の原稿に編集部の了解を得た上で大幅に加筆し、新たな原稿として再構成したものである。1年間の座談月評では最新の住宅作品を論じるという毎月の作業から大きな学びを得られた。ご一緒した貝島桃代さん、中山英之さん、そして企画された西牧厚子編集長、担当の阿部加奈子さんに感謝したい。


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