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思い込み

渋谷のある喫茶店で、広告代理店のAさんを待っていた。Aさんは、広告業界の第一線で活躍するキャリア・ウーマンである。打ち合わせの時間に遅れることは、まずなかったが、この日は、予定の時刻を5分ほど回っていた。

「ごめんなさい。タクシーに乗ったのがいけなかったの。五反田から40分もかかったんですよ」「でもね。タクシーの中から、面白いものを見つけたんですよ。何だと思います?」「それはね。“おとこ教えます”という看板なの。確かにそう書いてあったわ。面白そうでしょう。打ち合わせが終わったら、ここからそんなに遠くないところだから、見に行きません?」

この間、私は、首を傾げたり、頷いたりはしたが、一言も喋ってはいない。彼女はそんなタイプの人である。

さて、予定の打ち合わせも順調に終わり、早速、看板探しがっ始まった。足早に歩く彼女の後をついて行く。10分ぐらい過ぎた。「確か、あの角を曲がった左にあったと思うわ」角を曲がる。

看板はあった。同時に、顔を見合わせて、大声で笑い出した。看板は、“おとこ”ではなく“おこと”、つまり「おこと教えます」だった。

このような笑い話の思い込みであれば、罪はないが、様々な事故は、この思い込みにより起きていることが多い。記憶に新しい池袋の交通事故、横断歩道を渡っていた母子が、暴走する車によって、亡くなった。誰もが、ご冥福を祈るのみしかできない痛ましい事故であった。これも、おそらくは、思い込みにより起きたのであろうと思う。以下は、想像である。

運転者は、まず最初に、左のガードレールに車をぶつけた。当然ながら、慌てた。車を止めるべく、ブレーキを踏んだ。止まらない。「車にトラブルが起きた」と思い込んだ。次の行動は、さらにブレーキを踏み込み、トラブルが解消し、ブレーキが効き直ることを願った。思い込みは、興奮状態では、なかなか消えない。ただ、真っしぐらに思い込みを登りつめる。必死に踏んでいたのは、ブレーキではなく、アクセルであったはずである。

私たちは、過去の経験、知識で、様々なことに対応している。いちいち、真っ白な状態から、判断することなどは出来ない。しかし、思い込みの元になっているのも過去の経験と知識であることは確かである。

とっさの時、興奮状態などに、間違った思い込みで行動することは回避したい。それをテクノロジーの世界で対応することは、ある限られたところでは可能であろうが、人の様々な行動全てに対応することは難しい。そのような時、「ちょっと待て!」と直ぐさまの対応を行わないことが出来れば良いのだが。


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