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47歳までうだつが上がらなかったけど、人望はあった_ feat.劉備<上司編#3/4>

この人の部下だったら就いてみたい。

誰かの下で働くことが何度かやってみて向いてなかった僕ですら、そんなふうに思える「上司の能力に秀でた偉人」も、ごくわずかですがいます。『歴史のカリスマリーダーは99%クソ上司!』で語った1%の部分です。

前々回はコチラ▷▷▷歴史のカリスマリーダーは99%クソ上司! _feat.織田信長、始皇帝 <上司編#1/4>
前回はコチラ▷▷▷リーダーに恵まれていたら誰かの部下で終わっていた_feat.チンギス・カン<上司編#2/4>

優秀な上司の中にいる「ポンコツ型」

優秀な上司の中でもおもしろい特徴がある人たちがいて、それは「プレイヤーとしてはポンコツだけど、モチベート(人のやる気を出す)とアサインメント(どの仕事を誰にどう任せるか)に優れている」ポンコツ型上司。

自分自身は何もできないからこそ、部下が活き活きと動いて能力を発揮して育つ。Googleという企業で語られるところの、心理的安全性を自然と確保して組織づくりをしているをふしを感じます。

こういうタイプの上司は、個々の能力や特性を見抜くことがうまい。相手に対して敬意をもちうまく話を聞くこともできるから、才能を見分けて適材適所に配置することもできると思うんです。

そんなリーダーとして当てはまるのは、後漢末期から三国時代の武将で蜀(蜀漢)の初代皇帝・劉備(りゅうび)です。

魏・呉・蜀による三国時代を実現した英雄

劉備は、後漢末期に起きた農民の反乱(黄巾の乱)の鎮圧で名をあげ、各地を流浪しながら戦をしていました。そのあと劉備の頭脳となる諸葛亮と出会い、天下三分の計()に基づいて国を造って蜀のトップに。魏・呉・蜀による「三国志」の時代を実現した人物です。

※天下三分の計(てんかさんぶんのけい)……諸葛亮が劉備に進言した天下取りの戦略。強敵であった魏(ぎ)の曹操(そうそう)や呉(ご)の孫権(そんけん)に対抗するのは難しいから、まずはお互いを牽制し合うべく国土を3分割した三国の状態で支配しようとする策。先に孫権と結んで曹操を滅ぼし、それから孫権を滅ぼして全土の平定を企てた。

「劉」という苗字に頼るしかない青年

劉備はそもそも、草履を編んで売って生活していた「何でもない青年」でした。

世の中に出て一旗挙げたい。でも、お金も身分も血統もない。

そんな何も持たない青年がすがったのは、先の漢帝国を創った劉邦(りゅうほう)と同じ「劉」という苗字でした。民衆たちにとって漢帝国は永遠に続くと期待する大事なことではありましたから、良いところに目をつけてはいました。漢帝国王族の末裔だと自称するという‟なけなしのセルフブランディング”で、劉備は人を集めようとしたわけです。

集った部下はまず、関羽張飛でした。

劉備には知識や教養はなく、物事を考えて戦略を立てることはできません。ただ、面倒味のいい親分肌で人を惹きつける魅力だけはありました。関羽と張飛のような、戦闘力が高い筋肉系の男たちから好まれて小さな軍隊も持っていました。

腕っぷしが強い武将がそろっているといえ、パワーだけでは組織を強くしていくことはできませんよね。戦略的に思考したり、人材を入れる・収入を増やすといった実務や政治をしたり、自分たちの有利な環境をつくるために外交したりという要素が必要です。

それがなかった劉備軍は、うだつの上がらない時期が長く続きます。

負けても大きくなる劉備軍団の不思議

曹操の魏や孫権の呉はお金も軍隊も知力も戦略もあり、すでに成功していました。

そんな状況で劉備は、曹操や孫権など強い者の下につき、そのリソースや勢いを借りて「漢帝国を復活させる」という自分の夢を実現しようとしていました。はたから見れば、傭兵隊長としていいように使い回されていただけでしたが……。

おもしろいのは、劉備軍はずっと出世しないし戦にも負け続けているんだけども、軍隊はちょっとずつ大きくなり続けていたこと。アウトサイダーの象徴だったのか、劉備には不思議な人望だけはありました。

ただ、ままならないまま47歳まできます。

47歳といえば、現代でいうと70歳~80歳ぐらい。いつ逝ってもおかしくない年齢です。「漢帝国を復活させる」「平和な世を取り戻す」という志はあってがんばってはいるものの、実積は伴わないままだったわけです。

いい年齢だし引退したらいいんじゃないの……。そう誰もが思うなか、劉備は諦められません。およそ20歳下の諸葛亮のところへ相談に行きます。そして、うちのチームに入ってもらいたいとお願いをする。

劉備が3回訪問して2回断られたけれども3回目で承諾してもらえたという有名なエピソードがあります(三顧の礼)。

諸葛亮の進言で自分の国を創業

この三顧の礼のときに諸葛亮が提案したのが、「まずは自分の国を造りなさい。一国一城の主になりなさい」でした。

当時の中華は、魏と呉というAmazonとGoogleの2大巨頭が大きな勢力を占めていました。そこに勝つまでに時間はかかるけれど、勝てるかどうかの前に「創業しろ、社長になれ」とアドバイスをしたわけです。

国を造ったあとにどうするか。それが「天下三分の計」というすごい戦略でした。魏と呉とは国力の差がめちゃくちゃあるなかで、まずは中華を3分することを目指す。三国あれば、一国が一国を攻めるとその間にもう一国が攻めてくるから攻撃しづらい状況を生むのが狙いです。

そのために、魏と呉が攻めづらい地の利と、今の領主なら横取りできるといった観点で「益州(えきしゅう)」という土地を最初に平定しました。

諸葛亮は歴史にその名を刻む、優れた政治家です。

中華を治めるための地理的優勢や、魏と呉と戦うための経済力、どこの土地から獲っていけば相手がどうリアクションして、結果的に三国均衡状態に突入させられるかといった、具体的な戦略を立ててみせました。劉備にとっては人生で初めて受けた戦略コンサルティングでした。

創業メンバーを飛び越えて諸葛亮を取締役に

諸葛亮が劉備軍団に入ったことで、チームが大きく変わります。それまで腕っぷしだけで頭がいいことにまったく価値を見出していなかったチームに、頭脳派が戦略と実行力を持ち込んだわけですからね。

まったくタイプの異なる新参者である諸葛亮が入ってきた。しかも劉備は、諸葛亮を関羽たちよりも高い地位に置きました。

昔からの仲間だった関羽と張飛はまず反発します。たとえるなら、創業からずっと一緒にやってきた仲間がいるベンチャー企業で、社長(劉備)以外は執行役員止まりなのに、急に外部から常勤の取締役を採用したような状況です。

古参メンバーに説明責任果たす

ところが、劉備のスゴさはここ。関羽と張飛に文句を言われながらも劉備は彼らにしっかり説明責任を果たします。

歴史上のトップは自分に都合が悪くなったら部下を殺すということも珍しくなかったなかで、わかってもらおうとしました。いかに自分にとって諸葛亮が重要な人物であるか。諸葛亮を大切にして彼の言葉を聞いてほしいかを説き、結果的に諸葛亮を古参メンバーに認めさせました。

劉備は、関羽や張飛といった武闘派も、諸葛亮という頭脳派も納得させてまとめることができた人。戦争は関羽と張飛が行い、戦略・実務・政治・外交は諸葛亮がすべて担いました。

自分自身はプレイヤーとしては足りないけれど、周囲の凸と凹を見抜き、特性を生かして任せることができた人です。

誰の話を聞いて採用すべきかを熟知

ここからは私見ですけど、劉備が優れていたのはみんなの意見を聞いたわけではなかったこと。

これはベンチャー企業を経営していても同じだから想像しやすいんですが、劉備がしかるべき地位に就いたとき、諸葛亮に限らずあらゆる人物が彼にアドバイスをしたはずです。

ちょっと会社が上向いたり調子が出てくると、いろんな方がいろんなことを言ってくれるんです。ただ、それを全部聞いて取り入れようとしたら会社(国)はぶっ壊れます。実際、信念がない君主がいろんな人のアドバイスを聞こうとして国が崩壊した例はたくさんあります。

誰の意見を尊重すべきか、そこに部下の人生を賭けられるかどうか。

劉備の大きな選択だったはずです。

自分のために言ってくれているのは重々わかっているし、諸葛亮の進言も素晴らしいように聞こえる。でも、それを聞き入れていいかどうかは本来誰にもわからない。諸葛亮の意見を聞いたほうがいいとわかるのは、僕たちが結果を知っているから。先のことは何もわからない当時の劉備には難しい選択だったはずです。

劉備自身も怖かったでしょうけど、誰のどんな意見を聞くべきかを絞っていたように思います。イエスマンではなく聞くべきことを聞く。選定する能力が彼にはありました。

そして取り入れると決めた意見に対しては、部下たちが納得するまで説明をしました。

人生のゴールギリギリで蜀の皇帝に

そんなトップの姿勢が反映されたのか、蜀には諸葛亮、関羽、張飛、趙雲(ちょううん)といった名だたる逸材が集っていたわけですが、組織内で権力闘争はまったく起きていません。みんな劉備のために動いて、劉備も部下たちのことをすごく考えて動いていたと感じます。

歴史をみても三顧の礼から14年後、劉備は蜀漢という国を建国し皇帝の座に就きました。建国した約2年後に亡くなるので本当に人生ギリギリでしたが、「漢帝国を復活させる」という夢を有事実行したのです。

部下に恵まれ、部下たちも上司に恵まれた。

本当にいい上下関係を劉備たちは築いたと思います。


■劉備のことも多面的にわかる! 戦略コンサル・諸葛亮_  byコテンラジオ


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このnoteでは、歴史を学ぶことで得られる「遠さと近さで見る視点」であれこれを語っていきます。

3000年という長い時間軸で物事をとらえる視点は、猛スピードで変化している今の時代においてどんどん重要になってきます。何千年も長い時間軸で歴史を学ぶと、自分も含めた「今とここ」を、相対化して理解できるようになります。

世の中で起きている経済や社会ニュースとその流れから、ビジネスシーンでのコミュニケーションや組織づくり、日常で直面する悩みや課題まで、解決できると僕は信じています。

人間そのものを理解できたり、ストーリーとしての歴史のおもしろさを伝えたくて、歴史好きの男子3人で『COTEN RADIO(コテンラジオ)』も配信しています。PodcastYouTubeとあわせて聴いてもらえたらうれしいです。

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(おわり/偉人伝上司編)
上司編ラストとなる来週は、史実からいえるフカイ流「クソ上司まとめ」です。

編集・構成協力/コルクラボギルド(平山ゆりの、イラスト・いずいず

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株式会社COTEN 代表取締役。人文学・歴史が好き。複数社のベンチャー・スタートアップの経営補佐をしながら、3,500年分の世界史情報を好きな形で取り出せるデータベースを設計中。