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【読書感想】教養としてのラテン語の授業: 古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流

基本的にはギリシア語が最優先ですが、私は細々とラテン語も勉強しています。一時期はウェルギリウスの『アエネーイス』をラテン語で読もうとしていましたが、いまいちモチベーションを維持できず頓挫…。今では"Latin via Ovid"、あるいは『ラテン語を読む:キケロ―, スキーピオーの夢』でたまにラテン語に触れる程度になっています。

ギリシア語の学習は、研究会に参加し始める前でさえ習慣化できていたのに、ラテン語の学習はなかなか続かないんですよねぇ。まぁ、ラテン語をやらねばならぬという特段の理由は一切無いので、別にやらなくてもいいっちゃいいんですが。笑 

そんな折に読み始めたのがこの本『教養としてのラテン語の授業』です。著者は韓国人の方で、東アジア初のロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)弁護士という凄い肩書を持っています。韓国でかなり評判の良かった授業風景を書籍化したものらしく、何かしらラテン語学習のモチベーション向上に役立てばいいなぁと思い購入しました。

結論から言うと、本書は「ラテン語の授業」と銘打ちつつも、ラテン語の文法や語彙について多くは教えてくれません。名句はたくさん出てきますが、体系的な文法・語彙解説が付いているわけではないので、名句の発音とその翻訳程度しか分かりません。たまに、思い出したように文法・語彙の解説がされますが、本当に少量のボリュームしかありません。よって、ラテン語を学ぼうと思ってこの本を買うと、肩透かしを食らうことになるでしょう。私としては、上記のことは「教養としての~」というタイトルから概ね予想できていたことですし、文法事項は「しっかり学ぶラテン語」、語彙はLEWISを参照すれば良いだけなので、特に問題には感じませんでした。

本書の真価は、著者ハン・ドンイルの人生観・価値観を軽妙な語り口で伝えてくれるところにあります。要所要所に言及されるラテン語雑学も興味深いものではありますが、その信頼性にやや疑問が残り(特に印欧祖語に関する話)、参考文献としても同じくハン・ドンイルが書いた別の本が挙げられているだけな箇所も多く、精査に耐え得るほどの情報とは思えません(実際に精査したわけではありませんが…)。従い、この本が評判である所以の箇所は、ハン・ドンイルの人生観・価値観となるわけです。事実、かなりのページがこの「人生観・価値観」、あるいはそれに付属する個人的エピソードに割かれています。

この「人生観・価値観」なのですが、端的に言えば若者へのエール・励ましに相当します。日本も人のことは言えませんが、韓国も相当の閉塞感に苛まれているのだと感じました。というのも、著者は、時折現代社会への愚痴を吐き出します。

「わが国の若者は ~中略~ 不安な未来の中で余裕を失っています」
「競走馬のように前に進む成長だけを良しとする韓国の評価システムは、とても健全な教育とは言い難いものです」
「こんな状況を息苦しく感じているのに ~中略~ (状況を改善すべく行動できていない)自分が虚しくも思えます。まったく面目ない限りです」

日本も明るい未来を描けませんが、それはお隣も同じのようです。このような状況において、ハン・ドンイルは授業で励ましの言葉を贈ります。その言葉が、ラテン語の伝統や裏付けと共に、閉塞感溢れる社会の若者に届けられたら、それはきっと心に響く金言となるのでしょう。古代や欧州を理想化する傾向があるのが少し気になりますが、とはいえなかなか良いことを言っているとは思います。

私はもうすぐ30歳といういい歳ですが、勤めている会社ではまだまだ若手です。労働組合の役員でもあるので、職場(特に若手)の様々な声をヒアリングして経営陣と交渉する立場にあり、彼らの感じる閉塞感も知っています。既得権益やしがらみが邪魔をして、このモヤモヤを晴らすのは容易ではありません。その中にあっても、ハン・ドンイルのように、古典教養を自らの糧とすれば、心を軽くするのに一役買うことになります。私自身も、この人生でギリシアに何度救われたことか…。

本書では、ラテン語の文法・語彙も多くは学べず、雑学も信頼性に疑義が生じています。しかし、ラテン語を始めとする古典教養とどう向き合い、どのように人生の糧としているかについては、その一例を指し示してくれているのです。

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