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The Oxford Handbook of Heracles:大英雄ヘラクレスの成り立ち

ギリシア神話最大の英雄、ヘラクレス。彼はネメアのライオンやレルネのヒュドラといった強力な怪物を討ち滅ぼし、巨人族との戦争ギガントマキアでは、オリュンポスの神々と肩を並べて戦いました。彼の事績や偉業は、古代から現代まで様々な作品のモチーフにされ、ゲームやアニメでも非常に馴染み深い存在です。一方で、ヘラクレスは謎めいた存在でもあります。人間の身でありながら神になった存在でもあり、文明や社会の守護者でありながら、自らの家庭(妻子殺し)や客人を殺戮する伝承もあります。歴史上では、スパルタやマケドニアが彼の末裔を主張した他、ギリシアから遠く離れた地の異民族(スキタイ人やエトルリア人)もヘラクレスの血筋を受け継いでいると考えられました。
このように、ヘラクレスは数多くの矛盾を抱える、捉えどころのない英雄です。偉大過ぎる存在に、当時の人々が無数の異なる観念を投影した結果、とも言えるかもしれません。一概に「ヘラクレス研究」と言っても、様々な切り口やテーマがあり、決して一枚岩ではありません。

そのヘラクレスの研究を、テーマ別に1冊にギュッと濃縮したのが、タイトルにもあるThe Oxford Handbook of Heraclesです。これはHandbookと謳ってはいますが、Oxford Handbookシリーズの常で全然ハンドブック感はありません。全571ページに英語でみっちりと書かれているので、一読するだけでも一苦労ですが、ヘラクレスに興味のある方なら読んで損は無いと断言できます。

なぜヘラクレスはライオンの毛皮を纏うのか?

私はヘラクレスという神格の成り立ちや神話形成過程に興味があってこの本を手に取ったのですが、極めて多くの伝承を有する英雄であるが故に、やはりその成り立ちも一筋縄ではありません。
ライオンの毛皮と棍棒というお馴染みのアトリビュートも、最初期のヘラクレスにとっては無縁の代物でした。それらがヘラクレスのスタンダードになるのは紀元前550年頃と意外と遅く、アテナイオスによれば、詩人ステシコロスが初めてヘラクレスを「棍棒と獅子の毛皮と弓を持つ、山賊の装い」で描写したようです。それ以前は、オデュッセイアにも見られる通り、兵士の姿で描かれていたと想定されます。

ではなぜ、ライオンの毛皮と棍棒というアトリビュートが成立したのでしょうか?鍵はギリシアの外、当時東方(東地中海・小アジア・アフリカ)で栄えていた王国にあります。ヘラクレスがライオンの毛皮を纏い出す同時期に、キプロスでは王朝のイデオロギーを「ライオンの支配者」という図像によって表現しており、この像はヘラクレスのようにライオンの毛皮を纏い、ライオンを従えていました。東方において、ライオンは伝統的に王権の象徴であり、ミケーネ文明の「獅子門」も考慮すると、そのプロパガンダ的機能はヘラクレス神話の成立よりも古いと言えるかもしれません。時の支配者が自らの王権を喧伝する目的で、征服者・植民者を「ライオンを打ち砕く者」「ライオンを従える者」として表象し、それが交易の過程で、征服し都市を築くギリシアの英雄・ヘラクレスと同一視され、図像的にも結び付いたのではないでしょうか。ヘラクレスは世界の果てまで踏破する英雄ですから、ギリシア人たちは東方地域に出現した英雄の姿にすぐに順応したことでしょう。ちなみに、ヘラクレスはフェニキアの英雄神メルカルトの影響を受けているとよく主張されますが、本書では王権的イデオロギーというメルカルトに留まらない広範なパラダイムを視野に入れるべきだとしています。

どのように12の功業は成立したか

有名な12の功業も、最初から12でまとまっていたわけではありません。それぞれの功業が史料上に出現するのは時期がバラバラで、基本的にはペロポネソス半島内と異界(冥界や東西の果て)への冒険の方が早く出現する傾向があります。
Brommerの調査によれば、紀元前8世紀頃の芸術作品には、ネメアのライオン、レルネ―のヒュドラ、ケリュネイアの鹿、ステュムパロスの害鳥、アマゾン族の5つの功業が確認されており、アマゾン族を除く4つがペロポネソス半島内を舞台としています。一方、前7世紀頃の文学作品上では、ホメロス『イリアス』にはケルベロス、ヘシオドス『神統記』にはネメア、ヒュドラ、ゲリュオン、ヘスペリデス、ペイサンドロス断片にはステュムパロスが言及されており、舞台はペロポネソス半島内と異界の両極端となっていて、上記の傾向と大差はありません。この分布を見るに、ヘラクレスの功業の本拠地はペロポネソス半島という結論が導き出されます。

現在、我々が一般的に認識している12の功業は、オリュンピアのゼウス神殿が紀元前5世紀頃に建設されたことをきっかけに整備されており、ゼウス神殿の装飾上の制約や、建設主体者だったエリス人の政治的思惑の影響を多分に受けています。というのも、ヘラクレスの功業はゼウス神殿のメトープに彫られましたが、ドーリア式建築の規範ではメトープは12枚必要(正面と背面で各6枚ずつ)で、ヘラクレスの功業の中から12件を選出しなければならなかったからです。オリンピックの会場でもあるゼウス神殿の古代世界への影響力は言うまでもなく、この媒体がヘラクレス神話形成の一役を担ったことはほぼ確実でしょう。
神殿の装飾上の制約で12の功業が決まったとする上記の説は、目から鱗というか、神話を違った視点で眺めることのできる良い事例ですね。

なぜヘラクレスは神になったのか

ヘラクレスが半神半人である理由も、本書では考察されています。上記にあるライオンの毛皮を纏い始めた要因とも通底するものがあるのですが、これも東方王朝の王権的イデオロギーの文脈で考えることができそうです。なぜなら、エジプトのファラオを思い浮かべていただけると分かりやすいのですが、東方の王権は神と結び付いており、王=神、すなわち「死すべき神(半神半人のような存在)」と表象されていたからです。
「自ら神と喧伝しているのに、いずれは死ぬ」というこの矛盾は、死んでは復活する神の儀礼によって解消されます。死と復活の神は、現代の研究者からは農作物の循環とよく解釈されることも多いのですが、メルカルトを初め、王朝の神王を正当化する目的で導入されたとDanielsは主張します。王は確かに死ぬが、死後に正統な不死なる神へ昇格する…まさにヘラクレスと同様です。ライオンを媒介に王権的イデオロギーと結び付いていたヘラクレスが、この神王の観念も継承すると考えるのは、自然な仮説でしょう。初期ギリシアに現れるヘラクレスの祭儀は、英雄というよりは神としてであり、紀元前6~5世紀頃にギリシア中に広がる英雄崇拝に先立つことが確認されています。ヘラクレスの英雄かつ神というステータスを、ギリシア独自での発展とするより、長い伝統を誇る神王観念の影響とする方が、蓋然的と言えるでしょう。

上記の論点はまだ本書のほんの一部分だけであり、これら以外にも様々なテーマや切り口でヘラクレスを分析しています(なんせ全571ページ!)。本書を読み終える前から薄々思ってはいたのですが、改めて、ヘラクレスは地中海世界各地の伝統やイデオロギーの結晶体であり、全く以て一枚岩の存在ではないことが痛感させられました。ヘラクレスは強力な神格で征服者、且つ世界の果ての旅人でもありますから、時の権力者(ギリシアだけではなく、ローマでも)に政治的に利用された他、異国や異文化の理解にも用いられました。つまり、地中海の文化触変の最前線にいた存在であり、神話物語の表面的な解釈だけでは決して掘り尽くせぬ深い層を有していると言えます。その層を探っていくのには労力が要りますが、大変面白い作業であることを、本書は教えてくれます。

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