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どこかでともに

母が旅立つ少し前に
母の腕時計が壊れた

急きょ、近場のナフコに行って
腕時計をみつくろって手渡した。

お守りだよ!と。

まぁ、ありがとう、
助かるわって。

早速、つけてくれた。

そして、
この腕時計を

旅立つその時まで
していてくれた

49日がおわって
ちいさな仏壇の前に座ると

そこに置いてある腕時計は

相変わらずに
時を刻んでいる

お母さんはいないのに、
どういうことなんだろうな、と

ふと人間的には思ってしまう

母は、時間のない世界にいったのかな

それとも、
この時計の動き続ける時間とともに
どこかで楽しい時間を重ねているのかな

秒針が刻む瞬間瞬間が
永遠性にもかんじられる。

母を見送り、父と暮らす

人生の最終ターミナルを
目の当たりにしている

子育てをやってきたこと
それの逆再生なんだな、と
ふと思う

子育て、
特に乳幼児期は
できることが日に日に増えていく

しかし、介護となると

できないことが
日に日に増えていく。

それでも、
存在としての輝きが
放たれていくのは

どいうことなのだろうか。

久しぶりの2人で海

ひとりになった父の後ろ姿をみて

人間という存在の
普遍的な深さを感じる。

人生は短し
ひとつの人生では
 
案外できることは
少ないのかもしれない

何かを追い続けてもいいし
追い続けなくてもいい

尊い今を

いま、ここへと。

父はこれからも父として
何かを伝えてくれているのかもしれない。


いつのまにか仏壇の前からなくなったと思っていたら
父の右手につけてあった

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