見出し画像

土とイールドと愛

今年から畑を始めている。
苗を植える前に土起こし、畝立てをする。
3月頃にその作業をしたのだが、先日久しぶりにまた畝立てをする機会があった。

畝立て(3月頃)


畝立て(6月)

見よっ!この違いっ!
上手くなったでしょ、ぐへへ。
と自慢したいわけではなく(ちょっとはしたい)、作業している時の体感がまるで違ったので、そのことについて書きたい。

3月頃のぼくと土の関係性は、今思えばひどいものだった。
云うなれば服従させようとするモノと抗うモノ。
ぼくは、ぼくの思う通りの形に土を仕立て上げようとし、王のように振る舞った。
突然そんな接し方をされた土は、当然抵抗する。
「いきなり何しやがんでぇ、調子に乗るなよ!」
そんな闘争の果てにできた形が一枚目の写真だ。
ちなみにこの時のぼくは、「結構上手く出来たぜ、へへっ。」と悦に入っていた。自分なりに土をコントロール出来たことに満足していたのだ。
お恥ずかしい限りである。穴を掘らせてもらって入りたい気分だ。

数ヶ月を経て、再び畝立てをすることになった。
この時は流れるように畝立てをすることができた。
一体何が違ったのだろうか。
まず、ぼく自身に力みがなかった。自分の思う理想形にしてやろう。という気持ちがサラサラなかったのだ。
むしろ自分の思う通りになんてとんでもない。そんな感覚。

土に触れる機会が増えるにつれ、ぼくの中で土への敬意が次第に芽生えていった。
そして、土もそんなぼくに敬意をもってくれるようになったのではないだろうか。
お互いが尊重し合った結果として出来たのが二枚目の写真の形だ。
この形にしようと強く意図したわけではないし、これが正解かどうかも知らない。
でも、美しいとぼくは感じる。

イールドワークのセッションもこれと同じだ。
プラクティショナーとクライアント、無意識下で両者がそれぞれ固有のプレゼンスを認め合い、尊重しあっている時にその空間はとてつもない美しさを見せる。
そこには打算も気遣いも阿りもなく、ただ美しい。
その美しさに触れたくてぼくはセッションをしているのかもしれない。


ごきげんラボ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?