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インド|火葬と沐浴と葉っぱ

聖なる河と呼ばれるガンガーについてからまだ二日目というのに、自宅で迎える休日のような目覚めだった。宿の目の前にあるカフェで観光客向けに設定された少し高いパンとコーラを買い、一人で火葬が行われるガートへ向かう。

「葉っぱ買う?」という日本では耳にしない日本語を数回聞き流しながら、ガートに到着した。この言葉は、母国である日本より他国の方が多く使われている言葉なのではないだろうか。この言葉を発する時、売人は少しだけ声のボリュームを絞る。試しに「見せて」なんて言ってみると自分のテリトリーである建物の影に誘導してくるのだ。いやらしい奴らだ。

今日こそはと、すでに燃え上がっている火葬が行われている場所までへ極限まで近づこうとするも、炎から発する熱が熱すぎるため近づけない。昨夜同様、薪なのか、人間なのかよくわからない。そして焼き上がるまでの時間が長く地味である。

火葬にまたもや飽きてしまった。そう思いながら宿へ戻っていると楽しそうに沐浴している子供達が目に入った。しばらく眺めていると、おっさんが近づいてきて、ここにいるのは皆家族であると言うことを教えてくれた。彼の名前はディリップだ。

そもそも英語がよくわかっていない私に向かって、ディリップは早口の英語で僕に色々説明してくれた。何を言っているのかよくわからなかったが、そんな中でもジェスチャーを混ぜながら「君はなぜ脱がないんだ?」と言っていることはわかった。

ここに来る三ヶ月前ぐらいまではこの河に入る、つまり沐浴をしてみるつもりだったが、考えてみると僕にとって必要ないことに気づき、沐浴を楽しみにしているマオ君の荷物の見張り役をすることしていた。実際にガンガーを目の当たりにしてからも河に入る理由や意味を見出すことはできなかった。

そんな中でも、今回は理由と意味があった。ここにいる人たちは日本人の感覚からすると風呂に入っている感覚と一緒なわけで、身を清めているわけだ。そのため、彼ら彼女らと一緒に風呂に入るという経験ができるのである。

「脱いだものは船に置いておくと良いよ」とお母さんが私物を盗まれないための知恵を教えてくれ、言われた通り脱いだ服とスマホを船に置き、大きな風呂に入った。プールのような温度で、足底の砂はさらさらしたものではなくドロっとしていて、砂の奥は冷んやりしている。フィリップが「河の水を飲むと良いぞ」と言っているので、潜って口を大きく開け、丸呑みもした。子供達も潜って遊んでいるから、大丈夫だろうと思っていた。

まさかこんな動機で入ることになるとは思っていなかったが、風呂に対する概念の相違が面白い経験を生むこととなった。そして沐浴すると言っていたマオ君より先に入ったことで、どうせなら自慢してやろうと部屋に戻り説明をしていると「まさか、先を越されるとは」と言って部屋を出ていった。

またもや一人になったため宿の屋上にあるカフェで、チルアウトをしていると日本語でインド人に話しかけられた。日本語があまりにも堪能だったため、どうやって覚えていったのか聞いてみると、彼は日本に住んでいるとのことだった。「日本語は使っていくうちに覚えたんだよ、初めは…」続けて指を折りながら「こんにちは、それからぶりぶり、ありがとうって」

ハイになっていること意味する「ぶりぶり」を日本で生まれ育ち、言葉として二番目に覚える人間はそういないだろう。異文化は面白い。彼は非常にピースな人間であった。

日本から遊びに来ている女性もいた。彼女は過去にここヴァラナシで"マハラジャマッハバングラッシー"を飲んだ後、強烈なバッドに入り異次元に飛んだ経験を持っていた。街中で宇宙に行ってしまったため、宿泊先に帰ることが非常に困難だったという。そして、僕が帰りに使用するフライトの候補である「アーメダバード空港」という響きに対して、インドに良くくるけど初めて聞いたと彼女はツボっていた。

ここで北インドのヒマーチャルプラデェーシュにある街、マナリについても聞くことができた。首都デリーから、バスを使って北上していき、標高が二千メートルほどでヒマラヤ山脈の一角にある街である。安宿が多くあり、温泉もある。そして、世界的にチャラスの原産地としても有名らしい。次はマナリに行こうかなと部屋に戻り調べていると、少しだけ優しくなった顔でマオ君は帰ってきた。

二回ガンガーへ入ったらしい。もちろん飲んできたとのことだったがその後もお互いに腹を壊すことはなく、胃が強いことが証明した。


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