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インド|コルカタのホーリー祭とGivson

インドに入国したのは深夜1時頃だった。コルカタ空港を一歩外に出ると、サリーを着た色とりどりの女性と鳴り止まないクラクションに出迎えられ、十歩進むとパンクしたタイヤを交換しているおっさんが空港出口の目の前で鎮座していた。

本で読んで、人の話を聞いてインドをなんとなく分かった気になっていた自分が恥ずかしい。僅か十秒で視覚、聴覚、嗅覚から受け取る情報をいっぺんに処理できなくなってしまった。本物のインドは私に向かって波ではなく、津波のように押し寄せてきたのである。

3月にこだわってインドへ向かったのはホーリー祭があるからだ。カラフルな粉を顔や首に手で塗り合い、色水風船がたまに飛んできたりするインドの中でも大きなお祭りである。

コルカタの次に向かう、ヴァラナシでホーリー祭を楽しむ予定だったのだが、バンコクに滞在しすぎたせいで、もうコルカタでホーリー祭が始まってしまうことになり、到着翌日からその祭は二日も続いた。

早く終わってほしかった。コルカタに来たのは、楽器屋に行って楽器を買うという目的以外特になく、ヴァラナシまでの通過地点でしかなかったからである。頭の中は早くヴァラナシのガンガーに行って火葬をみたいということで一杯一杯だった。

他にも、道を歩いてるといきなり建物の上階から水風船が落ちてくることが怖いという理由もあった。

一方、恐怖の感度がバグっているフーテンのマオくんは水風船が落ちてきて驚いてる僕を見て、喜んでいた。その横にいたおっさんも喜んでいた。マオくんは僕が親父と口喧嘩をしていると嬉しそうに笑ったり、喜ぶ。彼は地震をアトラクションと捉えることができる特技も持っている。

ただ、強いてホーリー祭の面白かったことは、見ず知らずの人間を触りたいと思った時に、外でホーリー祭を楽しんでいる人々であれば誰でも触ることができることだろう。仮にこの祭が日本で行われたとするならば、色々なマナーとルールが出来てしまって自由じゃなくなるんだろうなと感じた。いずれにせよ、もうホーリー祭に行きたいとは思わない。

結局、バンコクの時のように一泊ぐらいで予定していたコルカタ滞在が延長し、インド慣らしが始まったのである。

僕はインドについてから神とか宗教を考えるようになった。インドには街の至る所に神様と思われているものがあったり、生きている次元が違う、神様のような目が青い赤ちゃんがいたりもする。目に見えている時点が神様みたいな人間がいるのだから、自分が全く想像もしない形で神様はいるのかもしれないなとも思ったが、僕の考えはおそらく無宗教である。霊に関しては「無霊論」に近い考えを持っている。

ラミーというゲームを深夜までやっているイスラム教徒の神様とはかけ離れたおっさんたちもいた。彼らは酒を飲まずにチャイを飲みながら路上博打をする。ギャンブルで脳汁が出ることは僕も知っているため、参加するために覚えることにした。覚えるために見ていると、一つ覚えたら、一つ刺されるぐらいな割合で蚊が沸き始めていた。

覚えかけてきた頃には蚊に刺されまくっていたため、参加は断念しホテルに戻ることにした。翌朝、この青いチェックのおっさんとすれ違い、「Rummy is no good」と言っていた。彼はラミー中毒だった。

僕はエナジードリンク中毒だ。だから朝起きたらまず飲みたくなってしまう。そして、飲み物を口にしたら煙草を吸う。どちらかと言うと煙草を吸うために飲み物を欲しているに近いかもしれない。だが、インドにはエナジードリンクを扱っている店はかなり少ない。そこで代用になるのがチャイだった。

チャイは日本円で30円しないぐらいの値段で、コーヒー牛乳に紅茶とスパイスを混ぜたみたいな飲み物だ。街中だと自分の半径200メートル内には必ずと言ってもいいほどチャイ屋がある。だから飲みたいと思えばすぐに飲める。そして、あの熱々で甘ったるいスパイシーなチャイは煙草との相性も良い。

チャイはどこの店も味が異なる。スパイスが強く効いているチャイ、甘さを控えたマイルドなチャイ、生姜が効きまくっているチャイ。また、素焼きで作られた器もサイズ、デザインが異なるためどこでも面白い。そして熱いうちに飲み切るのが流儀のように思えた。

Gibsonという世界的に超有名な楽器ブランドがある。その「b」を「v」にした「GibsonならぬGivsonがコルカタにある」と渡印する計画を立てている時にマオくんが言った。外観から楽器のデザイン、醸し出すチープ具合、とにかく見たいということで、じゃあまずはコルカタに降りよう、そしてGivsonに行くと決めた。

それなのに、ホーリー祭で店が開いていない。翌日も回るがそれでも開いていない。開いている楽器屋を探し、一件だけ開いているMONDAL&CO.という店があった。

久しぶりにいきいきとしているミュージシャンマオくん

目指していたGivsonではないが、シタール、ハーモニウムなど見慣れない楽器が埃をかぶって連なっている。やはり聞くと祭り中はどの楽器屋も休みで、明日再開すると教えてくれた。

ダンボールと楽器が入り混じっている中、雰囲気のあるギターが無造作に積み重なっており、手に取ろうとすると「それらは売り物じゃない。修理を頼まれているものなんだ」と店主らが言う。

見る限りそれらは修理前のものだった。だが、僕らが入店してからも、彼らは座っているだけで、修理をしていた雰囲気も感じられないし、これからするようにも思えなかった。特に会話をするわけでもなく、ただただ、腰を下ろし続けていたのであった。

そして翌日、無事楽器屋を回ることができ、念願のGivsonのギターとマンドリンを僕らは手にした。

インド人は大体皆、マイペースである。そして、大体はせっかちだ。オートリキャという、トゥクトゥクみたいな乗り物がインドではたくさん走っていて、日本で言うところのタクシー。値段は大体交渉で、大袈裟な値段を言うことから始まる。初めはその提示されている値段が高いのか安いのかわからない。日本の金銭的感覚に浸かりきっているため、ぼられてる値段ですら安いと感じてしまうからである。

オートリキシャに数日も乗っていると交渉も段々と慣れてきて、適正な値段まで持っていくやりとりが楽しくなってくる。彼らが「ファイナルプライス」と言い始めてからが本番で、三度目に「ファイナルプライス」と言ったところで相場ぐらいになり交渉が成立するのだ。交渉のコツはもう少しで払っても良い額になる頃に、諦めて帰るフリをすることである。

中心部の信号があってないような交差点ではよく小さな渋滞が起きる。大体のオートリキシャオーナーが交差点に面白いぐらいに我先にと突っ込むからだ。彼らは少しぐらい車体がぶつかり合おうが、お互いに全く気にしない。車体を擦ろうが凹ませようが彼らは1mmでも先に進むことを考えていて、譲ることは1mmも考えていない。乗り心地よりもスピードを提供したがるのだ。思っていたよりインド人は待つことが嫌いなのであった。

テールランプガードまで凝ったデザインをしているオートリキシャ

インドに来たのは、火葬を目の前で見たいという気持ちが僕もマオくんも一致したことから始まった。楽器を買うミッションを達成した僕らは、火葬が行われていることで有名なヴァラナシのガンガーにいち早く向かうために寝台列車のチケットを買いに行った。一番早くて、明日の夕方の便だということになり、もう一泊延長。結局コルカタに四泊することになった。

お互いになんとなくコルカタの街には慣れ、少しばかり飽きている頃だった。小腹が空いたのを満たしに外に出た。ある店で一つの皿に盛られた飯を石造のベンチの真ん中に置いて二人でシェア食いをする。

近くに、バーがあった。中にはインドの中でもある程度の金銭的余裕があると思われる人たちがいた。節約家のマオくんが「こういうところでは、酒だけの注文だったら何か変に思われるかもしれないから食べ物も頼んだほうが良い」と言っていたので、インドビールのキングフィッシャーストロングとメニューに載っていた一番安いピーナッツを注文し、嗜んだ。そのバーは禁煙だったため、タバコを吸うために外にでると、そこには人間に紛れて野犬もうろついていた。

犬は怖い。小学生の時に、初めて行った友人の家で小型の飼い犬に手2発、唇1発噛まれて唇を縫い、犬が何を考えてるのか理解するのは一瞬では難しいということが分かったからである。特にストレスを抱えてそうな犬は怖い。インドの夜道を陣取っている野犬は機嫌が悪そうな奴が大半で、奴らは日中は日陰で寝ていて、夜に活発になる。インドでは、昼は人間の世界、夜は犬の世界になるのだ。

だが、アルコールが脳みそまで回ってきたからか、野犬が怖くない。構ってみたいという気持ちさえ感じていた。酒をある程度飲むと、何事にも恐怖がなくなって無敵になったかの如く気持ちよく酔っ払える時がある。その調子が出てきていたのであろう。夏になると活発になる虫達にも同じ気持ちになる。蛾が特に苦手なのだが、調子良く酔っ払うと夜の電球にまとわりつく蛾が可愛らしく見えてきて、手に取ってキスしたりするようになるのだ。

そのように酔っ払っている夜は無敵状態になる。不利益なことを考える回路にシャッターが降り、常々に思っていたことがどうでも良くなり、何に対しても興味や関心が深くなる。アルコールは舌を通すと不味いが、脳みそにアルコールが混ざる感覚が好きで僕は酒という毒を飲む。

22時頃に店を出る。お互いに明日のガンガーを楽しみにし、帰っていた途中に、肌の明度が低くて美しい女性がいた。彼女はマヤという。そこにはマヤの息子、娘、母がいた。彼女は生まれてから35年間ここの「路上」にずっと暮らしているという。ここのファミリーと拙い英語でよく会話をした。

23時頃にもう寝るよと小慣れた手つきで大きなシートを壁に斜めに掛け、屋根を作る。名前を忘れてしまったが、母に似て綺麗な顔をしている娘が「ここでいつも私は寝ているのよ」と言った。その顔は冷徹だった。ホテルに戻るとマオくんは彼女が美しくて、目を合わせることすらも難しかったと言っていた。

旅を始めて約10日程経つが、何度も早起きに挑戦したが出来なかった。結局、宿のチェックアウトに近い時間、つまり10時、11時前後に起きてしまうのだ。

その数日前にも、夜に横でホームレスが寝ている路上で煙草を吸っている時に話しかけてきた、ダブルブリッジのメガネをかけたシャロムという好青年がいた。話を聞くところによると彼はこの辺りの地域を仕切っているジュニアマフィアのようなもので、マリファナが大好きだと言っていた。彼の英語はネイティブで速い。あと、僕のセンスも好きだと言っていた。そんな彼と次の日の朝9時にチャイを飲む約束をし、その夜は別れたのだが、起きれずバックれてしまった。

だが、この日は7時半頃に目を覚ました。寝てるマオくんを置いて、宿を出る。まずはエナジードリンクを売ってるお店があるか探しに回り、無事モンスターを見つけた。それを持ってマヤの家へ遊びに行き、モンスターを流し込み煙草を吸う。何を話したか覚えていないが、今夜ヴァラナシに立つことを伝えるとまた夕食どきにもここにまたおいでと彼女は言った。

日中はマーケットで買い物をした。中でも気に入ったのは白いスカートのようなパンツで、そのパンツは履いていると現地の人から大体は、笑われたり、指を刺されたり、それ女の人用だよとわざわざ声をかけてくる人も居るぐらい反応がある。とにかくあの騒がしいインドの中でも目立ってしまっていた。

夕方、マヤにも見せてみると「それは女の子のパジャマだけど良いね、君は白より黒が似合うだろうけどね。」と言った。彼女はセンスが良い。食べ物をご馳走になった後、寝台列車について事細かく説明してくれ、チケットを見せると「え、君ら27歳なの?」と彼女は驚いていた。若くて驚いたのだろうか、それとも老いていたから驚いたのか。どちらなのか分からなかった。

その後、寝台列車に乗り込むハウラ・レイルウェイ・ステーションに向かうためにマヤがタクシーを拾ってくれヒンディー語で交渉してくれたのだが、150ルピーだった。タクシーでこの距離で150ルピーは安すぎる。

この時に気づいたのだが、僕が数日間かけて知ったつもりでいたオートリキシャの交渉の上にある適正価格だと思っていた値段は、適正価格ではなく、ぼったくり価格だったのである。

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