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「ESG」から「esg」へ~バズワードを脱して前に進め

「ESG(環境・社会・企業統治)」について原稿や講演を求められると、冒頭のつかみとして紹介するデータがある。「ESG」という言葉がどれくらい頻繁にメディアに登場しているのか、新聞記事の本数を暦年で集計したものだ。今回、新たに調べてみると、2023年は転換点の年であることが分かった。

日経テレコンで「ESG」を含む記事数を検索/日経本紙朝刊のみ

日本経済新聞の記事データベースである日経テレコンで、本紙朝刊に登場した「ESG」の関連記事の本数を年ごとに数えてみた。2023年は本稿執筆中の12月24日現在で551本と、通年で22年の3分の2程度になるのはほぼ間違いない。この言葉がメディアで急速に露出し始めた14~15年から数えて、初の減少となる。

少し経緯をふり返る。

この言葉が公式に世に出たのは、国連が責任投資原則(PRI)のなかで「ESG」と記した06年のこと。日本のメディアで目に見えて記事が増え始めたのは15年からだ。世界的には「パリ協定」が合意され、環境問題への意識が急速に高まった年だ。国内では、アベノミクスの一環として始まった企業統治(コーポレートガバナンス)改革が加速し、コーポレートガバナンス・コードでESGの考え方が言及された。さらにこの年は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がPRIに署名し、運用の委託先にESG投資を促し始めた。

やや時間をおいて19年には米主要企業の経営者団体、ビジネス・ラウンドテーブルが"Statement on the Purpose of a Corporation"を発表し、いわゆる「資本主義の見直し論」に火をつけた。シェアホルダー主義かステークホルダー主義か。双方の陣営が論を張り、ステークホルダー主義の象徴としてのESGが頻繁に言及されるようになった。

環境問題、ガバナンス改革、さらには資本主義再構築の思潮。いくつもの要素が重なり、ESGをバズワードへと押し上げた。30余年、金融・資本市場を取材し、さまざまな流行語を見聞きし書いてもきた筆者からしても、かくも長きにわたり高頻度で使われてきた言葉はちょっと記憶にない。あえて類似のアルファベット省略形を探せば、新興国ブームをつくったBRICs(ブラジル・ロシア・中国・インド)だが、それも00年代初めの数年に限られていた。

ESG関連の記事数が初めて減少に転じることは、ブームの終わり以上の意味を投げかけている。ESGをどのように昇華させるべきか、一人ひとりが考える時なのだ。

すでに何度か各所で書いたが、筆者にはESGに関して忘れられないインタビューがある。21年5月、英資産運用会社シュローダーのピーター・ハリソン最高経営責任者(CEO)とのやりとりだ。記事数のうえでは、まさにブームの最盛。新聞を開けば、毎日、どこかに必ずESGの3語が踊っていた時分である。そんななかでのインタビューで「ESG投資の勢いはいつまで続くか」と訪ねると、ハリソン氏は以下のように答えた。

私はまずこう考えることにしている。あと5年もすればだれも『ESG』について語らなくなる。なぜなら、あらゆる資産運用会社が実行するからだ、と。ESGはまったく当たり前のことになる。

NIKKEI Financial 2021年5月14日

「ESG投資はパフォーマンスが良いのか」とか「環境や社会問題の解決は投資家の本分か」といった議論を耳にするたびに、筆者はこの言葉に立ち返ることにしている。現状で「あらゆる資産運用会社が実行」しているかどうかは分からないが、少なくとも、投資家が企業を長期の視点で評価する視座に、環境・社会問題への対処を組み込むのは「まったく当たり前のこと」と思われるからだ。

企業は気候変動問題にどんな手を打っているのか。サプライチェーンの人権侵害リスクをいかに監視しているのか。あるいは、AI(人工知能)の社会的な便益と弊害に関する経営の見解と戦略は……。これらの要素は企業のキャッシュフロー予測に確実に影響する。企業評価、なかんずく長期の評価において無視することはできないはずだ。

筆者は運用の実務にたずさわっていないので、断定的なことは言うのは控える。しかし、「資産運用にESGの要素を入れることはリターンを犠牲にしており受託者責任に反する」といった議論は、多分に視野狭窄であると感じている。あるいは、ESGと反ESGの対立の構図をつくろうとする政治的な意図がにじんでいる。ビジネスを守るために距離を置くべきと判断する向きは少なくなかろう。米資産運用会社ブラックロックのCEO、一時はESGの強力な旗振り役だったラリー・フィンク氏が「ESGという言葉は使わない」と言わざるを得なかったのも、そうした事情によると考えられる。

岸田文雄首相の「資産運用立国」宣言にも誘われ、来日する海外資産運用会社のトップは増えた。オン・オフのミーティングの機会をいただくことも少なくないが、「ESG投資は答えられない」などと条件をつけられることがある。反パリ協定のトランプ新大統領の登場を意識せざるをえない米国勢のみならず、欧州の投資家も徐々に言葉の上のESG離れを模索しているように見える。世界一の金融市場を持つ米国でビジネスを失うことへの警戒感は相当に強い。

米欧の投資家と議論になるのはESGに替わる良い言葉はないか、ということだ。環境や社会の視点、すなわち企業の有する非財務価値への目配りは企業分析に欠かせない。さりとて、手あかがつき、イデオロギーまみれのESGという言葉は掲げたくないというわけだ。

ESGのラベリングが問題なのであれば、中身はそのままに、表紙を変えてしまえばよい。筆者が考える案は、ESGという仰々しい大文字のアルファベット省略形ではなく、esgと小文字で表記し一般名詞として使うことだ。「企業が環境・社会問題に対処するために備える非財務的な価値の総称」くらいの含意である。「環境・社会・企業統治」と限定列挙しないので、概念の輪郭がぼやけ、広がりが出る。「それはそうだよね」と思わせやすい。戦略的な曖昧さ、である。

一般名詞だから、わざわざ「esg投資」や「esg投信」と言う必要もない。それらは「長期投資」や「長期投信」と言っているに等しい。日本の証券会社が金融商品を売るためのテーマにすらならない、「まったく当たり前のこと」なのだ。

本稿のサムネイルとして表示した写真は、今年10月に都内で開催されたPRI in Personというカンファレンスの一コマである。"ESG backlash"がテーマの1つとして取り上げられたが、予想外に前向きな内容が多く、ESGをどうやって発展させていくかという視点は一貫していた。「ESGをesgに」という着想も、その場の議論から得たことを記しておく。

ESGがバズワードを超えてどのよう変容していくかは、企業評価の在り方に関わる問題だ。それを巨視的に語れば、資本主義をいかにアップデートするかという命題にゆきつく。


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