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ガウディに学び、時を踏みしめる


時の中の自分

著者:外尾悦郎
1953年、福岡県生まれ。サグラダ・ファミリア聖堂彫刻家。京都市立芸術大学美術学部彫刻科を卒業後、中学校・高校定時制非常勤教師として勤務ののち、78年バルセロナへ渡る。彫刻家として認められ、アントニ・ガウディの建築、サグラダ・ファミリアの彫刻に携わる。2005年、アントニ・ガウディの作品群として外尾悦郎の作品を含む「生誕の門」と「地下礼拝堂」がユネスコの世界遺産に登録される。リヤドロ・アートスピリッツ賞、12年ミケランジェロ賞、20年文化庁長官表彰など受賞多数。サン・ジョルディ・カタルーニャ芸術院会員。天理大学客員教授。



序文


前回お伝えしたガウディとサクラダ・ファミリア展に行き感銘を受けた私は、その足で本屋や趣き外尾さんの本を購入した。

外尾さんは現在サクラダ・ファミリアの主任彫刻家に任命され、サクラダ・ファミリアに組み込まれる彫刻などの装飾を総監督されている。

本書では外尾さんがなぜサクラダ・ファミリアに行きついたのか、ご自身が建築に携われる中で得た気づきや大切にされている考え方が記されていました。


出会い


サクラダ・ファミリアは芸術作品ではない。それは人々の魂を実らせるための道具である。
大切なことは聖堂の完成ではなく、その過程を通して人類が成長することにある。

彫刻科をご卒業された外尾氏は、中高で美術の非常勤講師として生計を立てられていたそうです。

ある日、ふと路側帯工事現場にある石材から目が離れなかった。
この際の出来事をこのように語られています。

何かを忘れてきたようだが、それが何なのか分からない。
時間にして数十秒、その路側帯の石に私が魂を奪われたような気持ちだった。


これが彫刻家としての魂が理性を超えた瞬間だったのかもしれません。

そこから至るところの石に目を奪われる日々を過ごします。
こうして外尾氏は石のルーツが多く残るヨーロッパへ向かうことを決意するのです。


第二次世界大戦後、
石造りの建造物であるがゆえに中々復興の進んでいなかったドイツ。

ここに行けば石を掘らせてもらえると、外尾氏は旅立ちました。

しかし、たまたま立ち寄ったスペインでサクラダ・ファミリアの現場を目にします。

何の工事音もしないその現場には多くの石材が積まれていました。
そこでまた魂が揺さぶられたそうです。


確実に仕事があり友人もいるドイツに行くか、言葉も通じず知人もいないこの現場でチャンスを探るか。

そうして2つの選択肢に直面した外尾氏は、まず動いてみようと現地で調査を開始。
サクラダ・ファミリア建設チームの一人とコンタクトを取り採用試験を受けることになります。
この時、既に1カ月が経っていました。


思想の継承


前回のnoteでも書きましたが、サクラダ・ファミリアに関する設計図や模型の多くは戦争によって失われてしまいました。

なので、これに携わる建築家がまず初めにすることは、ガウディの思想を読み取ることから始めます。

そしてガウディ自身もこれを予見していたかのように敢えて色々な箇所を同時並行で建築することにより、後世の建築家達に多くのヒントを残したのではないかと言われています。

そうしてガウディの思想に辿り着き思うのです。
彼は紛れもなく天才だった、のだと。

無事に採用試験に合格した外尾氏は、外観の装飾から取り掛かりました。
装飾品をどの位置に取り付けるか、ガウディならどう考えたかからスタートします。


建築物は機能面と装飾面の2つの観点から出来上がります。
2つは異なる分野であるから、当然専門家も異なります。
しかし設計図がないので建築家は2つの観点を考慮して組立なければなりません。


そこで外尾氏は、まず構造強度から装飾品を取り付ける位置を探りました。
そこで気付くのです。


サクラダ・ファミリアの構造体はすべてがギリギリの強度で作られている。


すべてがギリギリであるなら、装飾品である彫刻はいったいどこに置くことを想定していたのか読み解けない。


この危険な構造はなぜなんだ?

あらゆる角度からこの謎を探る日々。
そうして一つの発見に至るのです。



答えは一つとして捉えること。

サクラダ・ファミリアにとって、機能も装飾も一つ。装飾という枠組みでしか捉えることのできない彫刻は一つもないことに気づかされたのです。

構造的に弱い箇所に葉の彫刻を置くことで強度を増し強い構造体にすることが出来る。
こうして彫刻は「構造」と成る。機能としても完成するのです。

機能と構造と象徴、これを一つの答えで完結すること。
これこそがガウディのやり方なのです。


サクラダ・ファミリアには多くの彫刻が存在します。彫刻はデザインの世界では装飾の部分で完結しますが、すべてが交わることで構造として完成すること。
これがサクラダ・ファミリアなのです。


ガウディの知恵


先日のnoteでも触れたように、サクラダ・ファミリアには多くの知恵が詰め込まれています。
これもガウディが天才と称される所以です。

前回お伝えした錘を使った棟の設計方法。
建築家が初めて重力を味方につけた手法でした。

その他にも多くの工夫と知恵が施されています。


例えば支柱。

サクラダ・ファミリアの支柱は樹木の形をベースに、主要な柱は下から8、16、32、64角形へと変化していくように作られています。

これは、まず正方形の支柱に正方形をずらして組み合わせる。そうすることで8角形が出来上がります。

これを繰り返すことで64角形にまで組みあがります。
こうすることで美しく、重厚感があり、強度の高い支柱が出来上がるのです。


ガウディはこれを自然界から取り入れています。

リウマチにより外出のできないガウディが自然を観察することで過ごした幼少期。
悪天候の中倒れることのない細い草を見つけ、茎に腱のような構造があることを発見します。
ここから強度の高い多角形の柱を腱として利用することを思いつくのです。


また、サクラダ・ファミリアは多くの曲線で構成されています。

ガウディは「すべての曲線は直線から成り立つ」とし、実際に曲線を描く際は幾つもの直線を角度をずらして繋げていき滑らかな曲線を構築しています。

当時曲線で切り出しや加工を行うことは難易度があった為こういった技法でデザインを実現したのかもしれません。


ガウディは人間が創造できるものなど一つもないと述べました。
すべては発見から出発するのだと。

オリジンから学び、立ち還る、それを忘れないこと。
サクラダ・ファミリアにはその建設地に原生している多くの動植物が装飾されています。
150年という時を経た今、これからの何百年先という未来にまで、忘れてはならない場所に立ち還らせてくれる建築物となっています。


サクラダ・ファミリアと芸術家


サクラダ・ファミリアの影響力は広く、近代建築家や芸術家までその範囲は及びます。

今や日本を代表するSANAA。
金沢21世紀美術館など様々な建築物を手掛けた彼らも影響を受けた建築家の一人です。
多くの曲線美のヒントはガウディからと言われています。

また岡本太郎もガウディを見ていました。
これは当初で語られたエピソードですが、外尾氏がいた現場に立ち寄られたことがあるそうです。

「僕にも少し掘らせてくれ」

そして数分掘ったのち、「頑張りましょう」と言って帰られたそうです。
ガウディの手がけたグエル公園の天井図とデザインが似ているものがあるそうです。
彼もまたガウディの思想継承者の一人なのかもしれません。


また外尾氏はミロと会った際「私はここから生まれたんだ」とお聞きしたそうです。
とてもガウディを尊敬された方だったと話しています。


バルセロナという街は多くの偉大な芸術家達を生み出しました。
その中でも有名なのがミロも含め、ダリやピカソ。

ダリは「まるで食べられるような建築」と評し毎週のミサで訪れていたようです。

そして、彼らはパリにわたり多くの芸術家に影響を与えます。
当時のパリでは芸術文化が花開き様々な才能が一つに集約していました。
その中心に、亡きガウディもいたのかもしれません。


跋文


本書の冒頭で外尾さんが大事にされてきた言葉が綴られていました。

今が其の時、其の時が今

大事な時がいつか来るだろうと、今目の前のことに真剣になれない人の前には決して其の時はあらわれない。

憧れていたその瞬間こそ今であり、だからこそ常に真剣に生きなければならない。

この考え方で生きてきたからこそ、彼は大事な使命を見出すことが出来たのかもしれません。

そしてこの考え方の背景に、外尾さんがいかに周りに感謝をしながら過ごしてきたかが伺えます。
当たり前の日常ほど有難みを感じ、それを支えるための術として懸命に生きる。
そんなシンプルな考え方が一番強いのかもしれません。


人は圧倒的なものに触れたとき、言いようのない感情に襲われます。

それは歴史や知識、文化や思想に至るまで様々です。
サクラダ・ファミリアに触れたとき、なにかを感ぜずにはいられません。


時間と空間は自分の意志によって歩いていくもの。

時間は平等でありつつも、どういった時代に、どのように過ごすか、なにをするかによってそのあり方は変わる。そういった、相対的なものである。

今流れているものと、過去に流れていたもの、それらはすべて未来に繋がっている。

だからこそ、時を一歩づつ踏みしめるのです。




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