孤独とか承認欲求とか幸せについて思うこと

「孤独だな」とか「空虚だな」とかよく思ってしまう。それらを認識した時に同時に「幸せじゃないな」と思う。
逆に言えば、孤独さえなければ、空虚ささえなければ、幸せなのではないかと思う。あるいは幸せを感じるから孤独や空虚さを忘れられるのかもしれない。

そんなことを考えながら、こうすれば孤独や空虚という問題を解決できるのではと自分なりに考えたことを書き綴ってみた。

①孤独や空虚について

孤独とは、空虚とはなんぞやということで、まずはその定義をしようと思う。

孤独・・・他者からの理解を感じることができない状態や、繋がりを感じることができない状況
空虚・・・自身の存在や行動に意味を見いだせない状態
※生活の中で使用する言葉の文脈から自分なりに解釈をした定義

もし仮にこれらの孤独や空虚さを無くすことが幸せと定義すると、2つのアプローチ方法があると思う。

①孤独や空虚を忘れるほど何かに没頭する
②他者とのつながりを感じ、自信の存在、行動に意味を見出す

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①のアプローチの具体例としては、ビジネスに没頭する、夢のための創作活動に没頭する、などが当てはまる。つまり何かに没頭する、夢中になるというアプローチ方法だ。
個人的にこのようなアプローチは強い人間にしかできないと思っている。というのも、多くの人間は理解されないことや、無意味かもしれないという状況に耐えられないからだ。
自己の感性を受け入れ、信じ切り、意味のあるものだと行動できる人間は本当に本当に一握りで、多くの場合は②のアプローチが妥当のように思える。

②のアプローチは結論として承認欲求を満たすという手法だ。
孤独とは他者からの無理解を感じることにより出来るのであれば、他社からの承認(理解)を得られさえすれば解決できる。
また空虚とは、無意味さを感じることであるが、果たすべき役割や目的を与えるのは常に他者であり、誰かのために役割を果たすことにより空虚を取り除ける。
つまりどちらも承認欲求を満たすことにより解決できる。

②承認欲求について

孤独や空虚を埋めるためには承認欲求を満たすべきという持論だが、承認欲求を満たすためには2つの重要な観点が存在する。
「承認欲求を満たす」という行為はいいかえれば、「誰か」に「私」を認めてもらうという事象である。この「誰か」と「私」という観点が非常に重要である。

【承認をしてくれる誰かという観点】
例えば、誰かに褒められるシーンを想定してもらいたい。その「誰か」という対象が、世界的な起業家なのか、どこにでもいるサラリーマンなのかによって、「あなたはとても優秀ですね」という言葉で満たされる承認欲求の度合いは異なるはずだ。(もちろん大なり小なり褒められて嬉しいという気持ちは同様に感じるとは思うが、、、)

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この違いは、対象に対しての尊敬の度合いによって変わってくる。この典型的な例としては、両親という存在だ。人生の長い時間をかけて近くで見てきた両親の姿とは、理想的で尊敬に値する姿だ。だからこそ両親に認められた瞬間の喜びは大きいし、尊敬する両親を失望させまいと良心の一存で内定先を断るようなことだってしてしまう。

個人的にSNSにより理解をしてくれる他者を見つけやすくなったこの時代で、孤独を感じてしまう人間が多いのはなぜかという理由は、本当に理解してほしい人に理解をしてもらえる仕組みでないからだと考えている。

だからこそ孤独や空虚を埋めるためには、誰と接するのかという視点がとても重要となる。

【承認をしてもらう私という視点】
さて、承認される対象の「誰か」ということを注意したうえで、それだけでいいわけではない。というのも、個人個人で認められたい「私」の要素が異なるからだ。

よく美人な人が「綺麗ですね」と褒められても嬉しくないということを耳にするが、まさしくそういうことだ。つまり、理解される要素により人の喜びの大きさは変わってくる。

ここで問題となってくるのは、自身はどれだけ自身の大切な価値観を理解しているかだ。もし理解をしていさえすれば、その価値観を人から理解されやすいようにアピールや表現をすれば、より効率的に承認欲求を満たせることとなる。

しかしながら多くの人間は、自身の最も重要視する理解されたい価値観を明確にできていない。この問題を解決するためには、改めて、今、この時点から自身の価値観を徹底的に考え直す必要があるように思える。

③幸せな生き方についての提案

多くの人にとって不幸せの原因となる、孤独や空虚というものを取り除くためには、尊敬する人に認められたい自身の要素をアピールし、理解してもらうことが適切だと結論付ける。
さて、最後に自分なりの幸せになるための提案を最後にまとめようと思う。

提案① 人に対するリスペクトの気持ちを今よりも持つ
尊敬する人に理解されることが、より多くの喜びに繋がるのであれば、より多くの人により大きな尊敬の念を持つ生き方の方が建設的ではないだろうか?
思えば、人に対して否定的であったり攻撃的であったりする人は、なぜかいつも不幸そうだ。それはおそらく、人を尊敬しないが故に、人からの理解に満足できず、挙句の果てには理解されていないように感じるからではないだろうか。(私自身がこのタイプに近いが。。。)

逆に多くの人に、低い姿勢で、尊敬の念を持てる人ほど幸せそうに見える。だからこそ、全ての人に自分に足りない何かを感じ取り、そこに敬意を払い、接していく気持ちが人生を豊かにすると思える。

提案② しっかりと自分を理解するための時間を何度も作る
自分探しの旅や、自己分析など自分を理解するための言葉はよく耳にする。しかしながら、実際のところ自分を理解できている人間は数多くないと思う。

そもそも本当の自身を知る事難しい上に、自身の価値観は日々アップデートされている。だからこそ、昔に自分探しの旅に出たから、自己分析をしたからと言わずに、何度も今の自分はどのような人間なのか、何を大事にしているのかということは考え続けた方がいいと思う。

提案③ 身近な大事な人こそ大切にする
身近な人こそ、より多くの時間を共有しているからこそ、自分の最も尊敬する人の可能性が高い。それは家族だったり、恋人だったり、親友だったりするかもしれない。

上記の通りの考えで行けば、そういった人達からの理解や感謝こそ、最も嬉しいことではないだろうか。大事にすればおそらく感謝もされれば、より深く受け入れてもらえる。

今や人間は至るところに自身の帰属するコミュニティを作れるようになってきた。しかしながら、その全てがを平等に大切に思えるわけもなければ、思われるわけでもない。だからこそ、最も身近な大切にしたい人間にだけは、最大の敬意を払い、全身全霊で幸せにしてやるぞという意気込みを持ちぶつかるべきだと思う。

最後に

なんとなく最近考えたことをアウトプットしたいという思いから、想いのままに執筆した初めてのブログ。見苦しいところがあるかと思いますが、もしすべてに目を通していただけた方がいるようでしたら、本当にありがとうございます。
そういう、私を理解してくれる行動の中に私は大きな幸せを感じます。
突発的な執筆でしたが、これからも何か思うことがあれば綴りたいと思いますので、どうぞまたご覧頂ければと思います。






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