あれから10年–震災と商店街–
東日本大震災から10年
震災が発生した時は自分はまだ小学4年生で兵庫県に住んでいて、学校から帰ってきたらニュースで津波の映像が流れており、『何の映画なんだろう』と不思議に感じたのを覚えています。
当時の私はボランティア活動をする団体に所属していたので
募金活動をしていました。何度も震災の映像も見たし、授業でも取り上げられたし、震災から学ぶことも沢山ありました。
しかし、実際に被災地を見たことはなかったのです。
国内留学で京都にいる間に
『実際の被災地の状況を自分の目で見たい』
その想いから昨年の12月に東日本に行きました。
これはその時に巡った仮説商店街についての記事です。
復興飲食店街−夜明け市場−
東日本大震災によって営業が継続できなくなった飲食店のオーナーやいわきを盛り上げたいと集まった起業家達による復興飲食店街です。
震災観光復興ガイドのお店もあり地域活性化の側面もあります。
通りを抜けた先にあるお店の壁には
夜明け市場を象徴するような壁画も描かれていて
そこに描かれている人は皆が笑顔でした。
浜風きらら
震災から半年後に町の復興と利便性向上のためにオープンした『浜風商店街』という仮説商店街を前身に現在の施設が誕生しました。
施設には飲食店だけではなく郵便局もあり、生活に寄り添ったスタイルになっています。
施設内には当時の町の様子を残した写真も展示されており、
震災によって街がどのように変わってしまったのかを
現在でも知ることができます。
商店街の近くには海も広がっています。
まち・なみ・まるしぇ
ここは一時、福島第一原子力発電所事故によって住民の避難が余儀なくされた福島県波江町にある仮説商店街です。
「帰町したあとに
安定した生活ができるように、
商業施設の設備を進めて欲しい」
という声から復興のシンボルとして整備されました。
今後は新しい波江町を作り上げていくチャレンジショップとしての役割を担うそうです!
震災は津波や地震だけだと感じていたのですが、
この場所を訪れると、再び人が戻って来るような取り組みも必要なのだと考えるきっかけになりました。
南三陸さんさん商店街
「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい」というコンセプトのもと、2012年に仮説商店街としてオープンした“さんさん商店街”が震災より5年が経過し。2017年に現在の施設である南三陸さんさん商店街がオープンしました。
かつての町の中心地に震災後8.3mほどかさ上げされた高台の造成地に商店街はあります。
南三陸で水揚げされる「タコ」にスポットを当てた
モニュメントや看板が商店街内に多く設置されています。
商店街にあるお土産屋さんに立ち寄った際に
現在の商店街の前身である
コンテナ型商店街の頃の写真を発見しました。
商店街の近くには震災当時からある建物や直後の写真を見ることもあり
震災による被害の甚大さを感じることができました。
実際に被災地に行ってみて感じたこと
実際に被災地に訪れてみて、
そこで見た景色は
『何もかも無くなっていた』
というのが率直な感想でした。
震災によって
かつての街並みも日常も失われてしまう。
それを実感させられました。
しかしそれと同時に
「また新たなスタートをしたい」
というまちの想いもあることを知れました。
その一つが仮説商店街です。
津波による被害だけでなく、原発の避難区域指定によって
今までの暮らしができなくなった。
そのような場所で改めて人が生活を送れるようになる一つの希望が
商店街だと知ることが出来ました。
あれから10年。
この場所を実際に見れたことは
自分にとって貴重な経験だと考えます。
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