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【浄土真宗の言葉】#91 われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ

われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ
 
 
 
【解説】
 
今回は「自分も信心獲得せず、弟子も信心獲得せずに、一生を空しく過ごすことは、自損損他の罪である」という内容です。
 
この前には
 
「ちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず」
「坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず」

 
という文があります。
 
大きな寺の住職も他力信心のことを知らない、しっかりと聴聞をしていない、という意味です。
 
 
このような傾向は、蓮如上人以降は改善されたのでしょうか?
 
妙好人を研究したことで有名な柳宗悦は『真宗素描』という文章の中で、近代の浄土真宗の様子を報告しています。
 
示唆に富んだ文章ですので、長くなりますが引用します。
 
 
 


 
寺にはしばしば説教がかかる。別院のような大寺では一年中ほとんどそれを欠かしたことがない。時としては家庭に説教者が招きを受ける。本山からもしばしば派遣される。熱心な者は、それらの説教を、あちらからこちらへと聴聞して歩く。
 
それにも増して著しいのは同行の寄合いである。御示談、即ち法談が彼らの間で取りかわされる。お互いの信心を糾明し合うのである。
時としては、烈しいまでに追求される。念仏の奥義を極めようとする熱意の現れである。それはほとんど禅堂における公案問答の類いにも等しい。話はしばしば火花を散らすほどである。
 
これが彼らの信仰をどんなに鍛えているか分らぬ。彼らの心は、凡て南無阿弥陀仏一つに結ばれてゆく。
 
だから篤信な者になれば、行住坐臥凡て念仏である。むしろ念仏の中に生活が浸る。彼らがあって称名があるというよりも、称名の中に彼らがいるのである。また、これでこそ始 めて真宗の信者ということが出来よう。
 


 
大体、今の真宗は、信者の真宗といってもよい。またここに真宗の面目があるともいえよう。 坊さんに偉い人たちもいるであろうが、真宗を支えている力は、何といっても平信徒にある。
 
実際坊さんに力のある場合はむしろ少く、また彼らがいつも篤信な人だとはいえまい。これは何も真宗に限ったことではないが、僧侶の内容はいたく下っているのが現状である。結局は宗教的人材に乏しいのであろう。
 
信仰に徹している人は乏しく、ただ職業的に坊さんになっている場合の方が多い。これは一つには世襲の制度から来る避け難い結果ともいえる。
だが有難いことに、在家の人々の中に極めて篤信な者が出るのである。その信心の純なるにおいて、遥かに坊さんを越える者がある。
 
それらの人々の信仰こそは、法を守り寺を守り僧を守るのである。 真宗のすべての寺院は全くそれらの篤信な平信徒によって維持されているといってよい。
 


 
平信徒たちの信心には実に徹したものがある。
 
私のある知人がかつて信者に向って、こう語ったことがある。
 
「あなた方は、坊さんたちに全く利用されているに過ぎまい。坊さんたちは 『わしの檀徒が』などと鼻であしらっているが、大概は信心もあやしいやくざな坊さんたちである。寄進するお金が何に使われるのか、知れたものではない。そんなお寺に喜捨などするのは馬鹿げたことではないか。」
 
一見無理からぬ批評だが、思いがけなくも色をなして答えたのは信徒である。
 
「私どもは仏様のお蔭で日夜を暮している身、坊さんがどういうお方であろうと、説かれる仏様そのものに上下はありますまい。その仏様をお守りなさるお寺のために、少しでも尽させて頂けるのは、これまた仏様の御恵みではないでしょうか。」
 
この答えには返す言葉がなかったという。批判と信心との隔りは遠い。
 


 
信者たちはまず批判者の立場に立たない。聞手が多く学問もない者だし、それに年とった人が主だからともいえるが、しかし簡単にそう説明しただけでは筋が通るまい。
 
本当の信仰というようなものは、元来ただの批判的知識からは出ないのだと思われる。信仰は受容なのである。素直な受取なのである。分別が生むものではないのである。無心と結ばれない信仰はないのである。
 
ここで無心というのは ただ無意識ということではなく、いわばものに即する心であるから、知るよりも更に多くを知るともいえる。ただの知が不充分なのは、ものから離れるように終るからである。
 
それ故驚くべきことには、聴聞する身になると、説教者が誰であろうと、また説教の内容が知的でなくとも、一向につまづきにならない。その教えを通して仏の声に耳を傾ければよいのである。
 
それ故知識を納得させる説教を聞きにゆくのではなく、有難さを受取りにゆくのである。いわば法悦に浸りにゆくのである。
 


 
真宗の説教者とその聞手との態度を見ていると二つの著しい事柄に出会う。
 
一つは話手は誰でもよいということである。もとより話上手な人の力、また深い信心の人のはよけい有難いであろうが、話手の如何は少くとも二次的なことに過ぎなくなる。有難い話なら、誰から聞こうと有難いのである。
 
第二は念仏して聞くのである。有難い言葉はいつも南無阿弥陀仏の声で受取るのである。そのお念仏の声に、教えが呼び掛けているのだともいえる。説教が今をたけなわになると、しばしば念仏と喜捨とが雨の如く降り注がれる。こんな法悦の様は、新教の教会などでは全く見られない。
 
だからある意味では説教があって、説教者はないともいえる。有難い話なら話手が誰であろうと、しかく関係はない。
 
だから極端にいえば説教者が俗僧であろうが、また無学な人であろうが、そんなことはそう気にかからなくなる。説教者を批判して聞くのではないからである。
 
それ故、説教者は何も知識的な学者でなくともよい。否、知識が説教になると、真宗の説教にはなり難い。聞く人は知識を貰いに行くのではないからである。
 
それ故、説教は同一のものが繰返されても、別にかまわない。有難い話なら何度聞いても有難いわけである。
 
実際真宗の説教者には一種か二種の話より出来ない人がいるそうである。同じことを何辺となく繰返して それで押し通している人がいるそうである。説教者としてはまさに落第であるが、これを落第させないのが信者の聞き方である。
 


 
無学な信者といっても、思想がないわけではない。しばしば内的な反省や宗教的自覚は鋭く また深いのである。知識人が容易に捕え得ない驚くべき思想を端的に把握する。
 
このことはかかる把握が、知だけを通して得られるものでないことを示すであろう。真理を捕えるものは分別の力ではないことが分る。少くとも分別だけでは不充分なことが分る。
 
どうしても分別未分の境地に入らぬと、活きた分別が出て来ない。禅宗でいう非思量の思量がなければならない。
 
こういう理解は真宗の妙好人などには充分に働いているのである。だから無学な彼らの言葉から、かえって限りない教学を建てることすら出来よう。少くともその信仰は、どんな学問的結論とも立ち打ちが出来るのである。
 


 
真宗の僧侶には今一大自覚が必要ではあるまいか。何より宗教家としての任務や使命を果すために、現状を打破する要があろう。
 
寺が信徒によって支えられるのはよいが、僧侶もまた支えの柱でなければなるまい。果してそのことを考えまた行っているであろうか。門徒に対して、もっと自らを恥じてよくはないか、むしろ謙虚であってこそよくはないか。
 
真宗の僧侶の多くは、果して僧侶たるの資格を持っているであろうか。このことは何も真宗に限ってのことではない。しかし篤信な門徒のことを想うと、真宗の坊さんたちにこそ、とりわけこの自覚が必要であるように思われてならぬ。
 
中には篤信なまた偉い坊さんもいるに違いない。しかし当然なこの資格を、すべてが持っているとはいえないのが、悲しい現状である。
 


 
 
引用は以上です。
 
 
柳宗悦自身は妙好人のようになれないことで晩年まで悩んでいたそうですが、上記の文章を読むかぎり、たいへん鋭い観察眼を持っていたのではないでしょうか。
 
「有難い話なら話手が誰であろうと、しかく関係はない」といって、落第する説教者を落第させない信者・・・そのような念仏者が多く見られたというのは、驚くべきことです。
 
獲信した念仏者も多かったのではないかと考えられます。
 
 
今後、そのような本当の「真宗の繁盛」がみられる日が来ることを願います。
 
 
 
僧にあらず俗にあらず WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/トーク:僧にあらず俗にあらず
 
 
柳宗悦 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/柳宗悦
 
 
原文
http://labo.wikidharma.org/index.php/御文章_(一帖)#.E3.81.82.E3.82.8B.E4.BA.BA.E3.81.84.E3.82.8F.E3.81.8F
 
 
信心 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/信心
 
 
決定 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/決定
 
 
自損損他 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/自損損他
 
 
獲得 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/獲得
 
 
大坊主分 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/大坊主分
 
 
一流 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/一流
 
 
あんじん 安心 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/あんじん
 
 
坊主 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/坊主
 
 
聴聞 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/聴聞
 
 
他力 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/他力
 
 
蓮如上人 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/蓮如
 
 
妙好人 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/妙好人
 
 
浄土真宗 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/浄土真宗
 
 
同行 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/同行
 
 
念仏 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/念仏
 
 
南無阿弥陀仏 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/南無阿弥陀仏
 
 
称名 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/称名
 
 
喜捨 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/喜捨
 
 
仏 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/仏
 
 
念仏者 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/念仏者
 
 
獲得 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/獲得
 
 
浄土真宗聖典目次 WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/WikiArc:浄土真宗聖典目次
 
 
 
【今回の読み仮名】
 
信心決定‐しんじんけつじょう
自損損他‐じそんそんた
信心獲得‐しんじんぎゃくとく
大坊主分‐だいぼうずぶん
一流の安心‐いちりゅうのあんじん
坊主‐ぼうず
信心‐しんじん
聴聞‐ちょうもん
他力信心‐たりきしんじん
蓮如上人‐れんにょしょうにん
妙好人‐みょうこうにん
柳宗悦‐やなぎむねよし
浄土真宗‐じょうどしんしゅう
説教‐せっきょう
別院‐べついん
本山‐ほんざん
同行‐どうぎょう
御示談‐ごじだん
念仏‐ねんぶつ
南無阿弥陀仏‐なむあみだぶつ
篤信‐とくしん
行住坐臥‐ぎょうじゅうざが
称名‐しょうみょう
喜捨‐きしゃ
仏様‐ほとけさま
法悦‐ほうえつ
念仏者‐ねんぶつしゃ
獲信‐ぎゃくしん
真宗の繁盛‐しんしゅうのはんじょう
 
 
 
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【聞法している方へ、ご案内】
 
・『ゼロからわかる浄土真宗』
浄土真宗が基礎からわかるホームページです。
http://amidabuddha18.com/
 
 
・note『死ぬのが怖い人へ』
私の聞法の記録です。
https://note.com/ryuun18/m/mdef818dfed16
 
 
・「南無阿弥陀仏」の文字が入ったスマホ用壁紙を作りました。
縦横比は以下の2種類。
・2対1 (iPhone11/11Pro/11Pro Max, iPhone XS/XS MAXなど)
・16対9 (iPhone5/6/7/8, Androidなど)
色はウェブサイトでよく使われる12種類。
こちらでダウンロードできます。
http://amidabuddha18.com/kabegami/
 
 
・安心論題の話
http://labo.wikidharma.org/index.php/安心論題の話
 
 
・光雲な毎日(立読みページ)
http://koun18book1.blogspot.com/
 
 
・note『信心獲得したい方へ(浄土真宗の救い)』
信心に悩んでいる方は、こちらのページがおすすめです。
https://note.com/koun18/n/ndbc737a85fa4
 
 
 
南無阿弥陀仏

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