久保龍雲

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浄土真宗の教義を研究・整理・発信しています。 ◎note『死ぬのが怖い人へ』→ https://note.com/ryuun18/m/mdef818dfed16 ◎10ページで他力信心が分かるサイト『ゼロからわかる浄土真宗』→ http://amidabuddha18.com/

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【浄土真宗の言葉】まとめ・・・正確な教学のススメ

読者のみなさま、最後までお付き合いくださりありがとうございました、お疲れさまでした。   約100回、浄土真宗の要点をお聖教のお言葉とともに投稿してきました。   順番は、理解しやすいように    1、信疑決判  2、煩悩と罪悪  3、無常  4、輪廻  5、法蔵菩薩とは  6、五劫思惟  7、兆載永劫の修行  8、阿弥陀仏  9、往相回向  10、還相回向  11、称名念仏  12、獲信  13、報恩  14、異安心、異義  15、聖人一流の教え   という流れでした。  

    • 【浄土真宗の言葉】#101 信心のかはりあうておはしまさんひとびとは、わがまゐらん浄土へはよもまゐりたまはじ

      信心のかはりあうておはしまさんひとびとは、わがまゐらん浄土へはよもまゐりたまはじ       【解説】   今回は「信心がちがうという人々は、私(法然聖人)が往く極楽浄土へはいけないだろう」という内容です。   この文は、昨日もご紹介した「信心諍論」「信心一異の諍論」「信心同異の諍論」などと呼ばれるもので、本願寺3代・覚如上人の『御伝鈔』に記されています。   繰り返しになりますが内容を説明しますと、   あるとき法然聖人のおられる場所で、親鸞聖人が「法然聖人と私の信心はまっ

      • 【浄土真宗の言葉】#100 他力の信心は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も、さらにかはるべからず、ただひとつなり

        他力の信心は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も、さらにかはるべからず、ただひとつなり       【解説】   今回は「他力信心は阿弥陀仏から頂くのだから、法然の信心も親鸞の信心も、全く同じものである」という内容です。     これは「信心諍論」「信心一異の諍論」「信心同異の諍論」などと呼ばれるもので、本願寺3代・覚如上人の『御伝鈔』に書かれてあります。   あるとき法然聖人のおられる場所で、親鸞聖人が「法然聖人と私の信心はまったく同

        • 【浄土真宗の言葉】#99 もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ

          もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ       【解説】   今回は「念仏以外の行(雑行・雑修)や自力の心を捨て、疑い無く阿弥陀仏の本願に後生をおまかせしました」という内容です。     この文章はなにかというと、念仏者の信心に誤りが無いか確認するためのもので、領解文(りょうげもん)とか改悔文(がいけもん)と呼ばれます。   ウィキペディアには「門徒が各自で読み上げ、自身の信心に誤りが無い

        【浄土真宗の言葉】まとめ・・・正確な教学のススメ

        • 【浄土真宗の言葉】#101 信心のかはりあうておはしまさんひとびとは、わがまゐらん浄土へはよもまゐりたまはじ

        • 【浄土真宗の言葉】#100 他力の信心は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も、さらにかはるべからず、ただひとつなり

        • 【浄土真宗の言葉】#99 もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ

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          【浄土真宗の言葉】聖人一流の教え

          先日までは「間違った信心(異安心)」について投稿してきました。   あくまでも他力信心を獲得することが極楽往生のタネなのでしたね。   今回は、この親鸞聖人がおすすめになった(聖人一流の)浄土真宗の特徴について、詳しく投稿していきます。     その浄土真宗の特徴とは、他力信心の中身は1つということ。   他力信心の定義は「仏願の生起本末を聞いて疑いあることなし=本願疑惑心を除かれたこと」なんですね。   つまり法然聖人も親鸞聖人も蓮如上人も、本願疑惑心を除かれていた(信心獲

          【浄土真宗の言葉】聖人一流の教え

          【浄土真宗の言葉】#98 阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり」

          阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり」       【解説】   今回は「阿難尊者がお釈迦様に『その仏さまが悟りを開かれて、どれだけの時が経ったのですか』と質問をもうあげた。お釈迦様は『すでにおよそ十劫が経過している』お答えになった」という内容です。   これは『大無量寿経』というお経の中で、阿弥陀仏について阿難尊者がお釈迦様にいくつか質問しておられる部

          【浄土真宗の言葉】#98 阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり」

          【浄土真宗の言葉】#97 すかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、うかれたまひたる人なり

          すかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、うかれたまひたる人なり       【解説】   今回は「人に惑わされることがなくても、信心が定まらない人は正定聚の位に定まっておらず、落ち着きどころがない人である」という内容です。   この前には   「御信心たぢろかせたまはずして、おのおの御往生候ふべきなり」 (信心を揺らがせることなく、各自、極楽往生を遂げるべきである)   という文があります。     つまり親鸞聖人は、揺らぐことのない他力信心

          【浄土真宗の言葉】#97 すかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、うかれたまひたる人なり

          【浄土真宗の言葉】#96 知識帰命なんど云事更以あるべからず。ちかごろ三河国より手作云出したる事なり。相構々々これらの俄信用すべからざるものなり

          知識帰命なんど云事更以あるべからず。ちかごろ三河国より手作云出したる事なり。相構々々これらの俄信用すべからざるものなり       【解説】   今回は「知識帰命などあってはならない。三河国で勝手に作られたことで信用してはいけない」という内容です。   この中の「知識帰命」とは善知識だのみとも呼ばれ、法を説く指導者にたのみにする(帰命する)という異安心です。   つまり阿弥陀仏ではなくて、凡夫である知識(指導者・布教者)をたのみにするわけですね。     とはいえ確かに、阿弥

          【浄土真宗の言葉】#96 知識帰命なんど云事更以あるべからず。ちかごろ三河国より手作云出したる事なり。相構々々これらの俄信用すべからざるものなり

          【浄土真宗の言葉】#95 越前の国にひろまるところの秘事法門といえることは、さらに仏法にてはなし。あさましき外道の法なり

          越前の国にひろまるところの秘事法門といえることは、さらに仏法にてはなし。あさましき外道の法なり       【解説】   今回は「越前に広まっている秘事法門は、全く仏法とは言えない、あきれはてた外道の教えである」という内容です。   この文の後は、   「これを信ずるものはながく無間地獄に沈むべき業にて、いたづらごとなり」 (この秘事法門を信じる者は無間地獄に堕ちる)   とあり、たいへん厳しく誡めておられます。     ここに「無間地獄」とありますが、これは地獄界の中でも最

          【浄土真宗の言葉】#95 越前の国にひろまるところの秘事法門といえることは、さらに仏法にてはなし。あさましき外道の法なり

          【浄土真宗の言葉】#94 それ、弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」とばかりこころえて、弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず

          それ、弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」とばかりこころえて、弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず       【解説】   今回は「十劫安心を信じていても、信心決定せねば極楽往生は不可能だ」という内容です。   この文の中の   「弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」   の部分が、いわゆる十劫安心です

          【浄土真宗の言葉】#94 それ、弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」とばかりこころえて、弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず

          【浄土真宗の言葉】#93 当流真実の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、まことに宝の山に入りて手をむなしくしてかへらんにことならんものか

          当流真実の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、まことに宝の山に入りて手をむなしくしてかへらんにことならんものか       【解説】   今回は「他力信心を頂いて今度の極楽往生を決定しないならば、宝の山に入りながら素手で帰るのと同じである」という内容です。   この前には、   「人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし」 (人にたずねていって真実の他力信心を獲得しようという人は少ない)   という文があります。     実際、人に尋ねて他力信心を獲得しよ

          【浄土真宗の言葉】#93 当流真実の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、まことに宝の山に入りて手をむなしくしてかへらんにことならんものか

          【浄土真宗の言葉】#92 みな人ごとにわれはよく心得たりと思ひて、さらに法義にそむくとほりをもあながちに人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし

          みな人ごとにわれはよく心得たりと思ひて、さらに法義にそむくとほりをもあながちに人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし       【解説】   今回は「みんな『自分は信心について分かっている』と思っている。真宗の義に背く理解をしいて人に尋ね『真実信心を頂こう』という人は少ない」という内容です。   この前は   「そもそも、このごろ当国他国のあひだにおいて、当流安心のおもむき、ことのほか相違して」 (最近はどこにおいても、浄土真宗の他力信心が誤解されていて)

          【浄土真宗の言葉】#92 みな人ごとにわれはよく心得たりと思ひて、さらに法義にそむくとほりをもあながちに人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし

          【浄土真宗の言葉】異安心、異義

          先日まで、獲信者は何をすべきかについて投稿しました。   報恩の念仏をとなえることと、阿弥陀仏の本願を広めることでしたね。   今回は「気をつけること」「間違った信心(異安心)」について、詳しく投稿していきます。

          【浄土真宗の言葉】異安心、異義

          【浄土真宗の言葉】#91 われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ

          われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ       【解説】   今回は「自分も信心獲得せず、弟子も信心獲得せずに、一生を空しく過ごすことは、自損損他の罪である」という内容です。   この前には   「ちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず」 「坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず」   という文があります。   大きな寺の住職も他力信心のことを知らない、しっかりと聴聞を

          【浄土真宗の言葉】#91 われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ

          【浄土真宗の言葉】#90 あはれ、あはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、 朝夕おもひはんべり

          あはれ、あはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、 朝夕おもひはんべり       【解説】   今回は「ああ、何とか、生きているうちに誰もが信心獲得してほしいと、いつも思っている」という内容です。   この前には   「金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあひかなひ、別しては聖人(親鸞)の御本意にたりぬべきものか」 (信心獲得することこそが、阿弥陀仏の本願にかなうことであり、親鸞聖人のご本意に添うことである)   という文があります。     つ

          【浄土真宗の言葉】#90 あはれ、あはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、 朝夕おもひはんべり

          【浄土真宗の言葉】#89 かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり

          かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり       【解説】   今回は「そのように阿弥陀仏の本願を疑い無く信受したならば、寝ても覚めても、命ある限り念仏を称えるべきである」という内容です。   この文の前には、   「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず

          【浄土真宗の言葉】#89 かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり