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労働問題

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今年で52回目になる釜ヶ崎メーデーに参加して思ったこと

生活:生きることは闘うこと 使い古された言い回しですみませんけど、生きることはシステムに抗うこと、闘うことだと常々思います。 またそれは俗世に生きる一人の革命的社会不適合者❗️でもある自分自身の人生そのものだと自負しています。 ちなみに余談ですが、今年は厄年になりますが、これからも変わらず踏ん張って生きていきます。 2021年5月吉日

つらい労働から解放されたことを宣言した「無職まつり」から約一年半 そして再就職してみたら、、、 今は仕事が楽しい 仕事にやりがいを感じる これまでにないことが起きてる しばらくの間は、資本主義の毒を食む犬になっております…

働くことについて、雑感

世の中がつまらんからなのかは、わからないけど、今は仕事が楽しい。 日常の生活時間では、テレビなんてもちろん見ないし、SNSを流し読みしたり、ラジオを聞き流したりしてるわけやけど、今はむしろ労働に当てている時間帯の方が好きであったりする。 職場は印刷の工場なので、毎日が自転車操業のようにいつでも忙しいし、長時間の上に重労働やけど、社会の中で働くことも悪いことではないなぁと思うようになってきた。 昔はイヤで仕方なかったけど、どういうわけか、ごく最近は、そのように感じてる… 歳をと

「無職まつり」・開催趣旨文

「♪自由廃業で廓は出たが、ソレカラ、ナントショ 行き場ないので屑拾い ウカレメのストライキ サリトハ、ツライネ テナコト オッシャイマシタカネ」 (「東雲節」作:添田唖蝉坊※、横江鉄石) この歌の文句は、「東雲節」という明治後期に流行したはやり唄の一節であるが、まずはじめに、ここで言うところの " 自由廃業 " という言葉について捉えてみたい。 " 自由廃業とは、娼妓(しょうぎ)取締規則や芸妓取締規則により、娼妓や芸妓が、抱え主の同意なしに 自由意思によ

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添田唖蝉坊・東雲節(ストライキ節)

無職まつりのイベントタイトルは、この歌(唄)から着想を得た

自由廃業をうたう無職まつり・チラシ

「自由廃業をうたう無職まつり」開催のお知らせ

「みんな働き過ぎだ!」 原発がバクハツして資本主義の汚らわしい姿を見せつけられても、なおも私たちの世界では「日常生活」が継続して行われている。 あの時の大惨事なんてまるで何事もなかったかのようにフツーに生活できてしまっているなんて、「何だかおかしくないか?」って思う。 フクシマからの放射能や汚染水はどんどん漏れ出して、どんどん死人が出続けているというのに…(被ばくとの因果関係は証明されてはいないが、有名人が次々とガンになったり、急死したりといったニュースになっているのを

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添田唖蝉坊 ・あきらめ節 / 土取利行(弾き唄い)

僕が仕事を辞めたいと思う理由…(改)

僕が仕事を辞めたいと思う理由… 今日まで現在の職場(主にとある印刷工場における雑務、印刷オペレーターの補助的な役割)において、言いようのないコンプレックスを肌で感じながらも、障碍(害)者雇用という微妙な立ち位置で、約6年間働いてきた 今年の11月半ばで、7年目になるだろうか… また実家を這い出して、釜ヶ崎に入ってきたのもほぼ同時期である その一方で私が思うに、自分とは今日の日本社会に適応し得ない、外こもりのいち社会不適合者として(多少の矛盾は介在しているが)ある種の自

資本主義の問題性

資本主義のアカンところは金の力で人の心を動かそうとしたり、抑えつけ踏みしだき、喰いものにするところではないかと思う 民衆を抑え込んでは搾り取る、なおかつ富の分配がなされない もうけてるのは、会社の上役だけ!! おかみさん、こりゃあ一体!?www

最賃改正!?

最賃上がったって言っても1年でたった20円程度の世界 約5年間同じ職場で働いてきてたったの35円しか上がっていない 本当に雀の涙ぐらいしか出してこない しかしこんなんでもアベチンゾーは最賃上げたったぞーってふれ回ってるっていうんだからどうしようもない、悔しい… 仕事辞めたいけど、なかなか辞めさせてもらえない かといって一人ではストライキをする勇気もない せめて一筆書いてから辞めてやろうかな… ・大阪府の最低賃金改正の知らせ http://www.pref.os