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教育して叱ってくれ

東京事変の群青日和という曲に「教育して叱ってくれ」という歌詞があって、わたしはその歌詞が好きだ。というかかなり頷ける。教育して叱られたい。
叱られるなんていやだよ〜、という人は多いと思うが、わたしは叱られることがきらいではない。

もちろんわたしだって、怒鳴られたり、意味のわからないことで責められたりするのはきらいです、こわいので。
ただ、自分はかなり愚かな面をいくつももっているなと自覚していて、でも正確にその愚かさを自覚できているのか、と言われたらそれも微妙で、そういうところを他人からまっすぐ正されたいのだ。


そして「叱ってくれる」っていうのはすごいことだと思う。叱るという行為はある程度の信頼関係がないとできないことだから。
わたしはあんまり叱ることが得意ではない。理由は多分、とにかく他人に嫌われたくないからだと思っている。逆に言えば、叱ってもこの人はわたしを嫌わないでいてくれる、と自信をもって言える人が少ないということなのかもしれない。

あとは、各々の価値観を全部尊重したいという気持ちが強すぎるのだと思う。それって違くない?おかしくない?と思っても、まあこの人の価値観としてはそうなんだよな、と思ってしまうので否定ができない。つまり叱れない。


これはなんだか良いことのような気がするけれど、純粋に他者と自分の境界線が曖昧だということなので、全然良いことじゃない。
わたしの価値観があまりにも無視されすぎている。わたしは他人の価値観と自分の価値観、という2つに直面したときのうまいやり方をいまだに知らない。

そんなこんなで、たまーにわたしの言動や行動に対してまっすぐに叱ってくれる人に出会うと感動する。この人はわたしを信頼し、わたしのためを思ってまっすぐ向き合ってくれている!とびっくりするし、涙が出そうになる。

それと同時に、自分の価値観を澱みなく投げられるって本当に素敵なことだなと思う。そういう人は芯があって、力強く自分の人生を歩んでいるような感じがして羨ましい。



わたしはまだまだ未熟で、まちがいの選択を選びそうになる瞬間もたくさんある。その度に、そういった力強い人のもとに行って正されたい。そしていつかは、自分も誰かのために叱れるようになれたら良いなと思う。

最近は過ちルートに目を向けてしまいがちなので、その度に駆け込み寺のような感覚でいろんなものを頼っていきます...!



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