19回:ただアーカイブしたい

とあるzineを作ってしまい

 ナハウスというシェアハウスが那覇にあり、自分も深く関わってしまったのでそのアーカイブを作ることにした。折角なので冊子にしようということになり、証言やインタビュー、思い出話や写真などをまとめて年刊ナハウスというzineにした。それを先週台北のとあるbook basserに出展してきた。このイベント自体は友人が企画していて、翻訳等々準備を手伝っていたのでその成果を見に行くのが目的で、自分のzineは二の次だった。
 ちなみに沖縄でのお披露目は6月末になりそう。というか大学院の夏休みがその時期から始まるので帰省も兼ねての沖縄。その際にはリリースパーティも開こうと思っている。
 とここまで書いてふと思う。この方向性で良いのだろうか。

これが社会と関わるということか!

 自分は黙々とテキストを編纂したりお話を文字起こししていたいだけなのだが、ここに「発表」という段階が加わった途端責任やら品質面で要求されるものが高まり始める。ものぐさなのでそれが痛く面倒に感じる。特にヴィジュアル面は苦手意識とそれに反する妙なこだわりがあって出来れば関わりたくない。「カバーデザイン?表紙とか資源の無駄に感じる。本文さえ読めればいいのでは?」と言って本当に目次を表紙にしてしまうぐらい。
 そして自分が今まで興味を持ってきた取材対象、例えばもうだいぶ前だけど赤線の人々のインタビューとか仮に「発表」したとて誰にどのように届けてよいのかわからない。当事者にはそもそも届けようがないし、第三者に考えなしに晒すのは自分ルールに反する。
 つまりここに来て陽にあたるようなことをやり始めていることに戸惑っている。同年代の美術とか写真とかやってるような人たちと建設的なことをしている自分、大丈夫か?となっている。
 関わる社会が変わってしまった。誰も来ない商店街の一角や台湾南部の山奥ではない、人里のしかも美意識の過剰なところ、良いべべ着た奴らが集うところ、とっても緊張するよね。

ちなみにこのnote

 2018年1月からはじめて今回で19回目ですがほどよく溜まったらここのテキストをベースにした冊子にしようかと思います。商店街編と台湾留学編と詩作からなる限定30部(一冊600日本円or150台幣)

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