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「ゲームを繰り返すと」の説明を、「ゲームに依存している場合」の説明に切り替えるロジックには注意しましょう。

以下は久里浜医療センターの「3)ゲームの依存性について」からhttps://kurihama.hosp.go.jp/hospital/section/internet/information-box.html

以下は久里浜医療センターのHPからの引用。この表現には重大な論理の飛躍またはすり替えがある。
「もちろん、依存には脳内の機能変化が関係している。ゲームは上記のような、ワクワク感や多幸感を生み出す。そこには、脳の深部に存在する脳内報酬系が関わっている。ゲームを繰り返して行うと、この報酬系が絶えず刺激され、やがて、ゲーム刺激に対するこの系の反応は下がってゆく。この状態を、報酬欠乏状態とよぶ。ゲームに依存している場合、この反応低下を補うために、ゲームに益々拍車がかかる。。。。」
 まず、前半、「ゲームは上記のような、ワクワク感や多幸感を生み出す。そこには、脳の深部に存在する脳内報酬系が関わっている。ゲームを繰り返して行うと、この報酬系が絶えず刺激され、やがて、ゲーム刺激に対するこの系の反応は下がってゆく。」
 これ、ゲームに限らず、快感に飽きが生じる一般的な現象。快感にかかわるドーパミン神経系(脳内報酬系の主役)は報酬に対して反応するほか、報酬が繰り返されると報酬関連刺激で報酬を予測するようになる。報酬に対する快感の前倒しが起きる。ドーパミン神経系は報酬予測で活動する。さらに、ドーパミン神経系の最大の特色で、AIなどの強化学習モデルの基本になる働きとして報酬の予測と実際の報酬の差を計算する。これを報酬予測誤差とよび、これを最小化するように(サプライズを小さくするように)、ニューラルネットワークは学習していく。
 たとえば、お笑いのいわゆる一発屋さん。出てきた当初はその一発芸が面白くてみな笑う(報酬反応)。そのうち、その人が出てきただけで笑える(報酬予測)。しかし、この時、最初は予測した通りの芸でもいいが、繰り返されると、予測通りの芸では笑えなくなっていく(報酬予測誤差が0になる)。これが「飽きる」メカニズム
 したがって、上記「 」内は当たり前のドーパミン神経系の一般的なふるまいを記述しているに過ぎない。したがって、これがいわゆる依存症に直接的につながるわけではない。報酬欠乏状態などとおおげさに表現するような話ではない。まあ、昔からあるDRD2の多型による報酬不全症候群仮説をイメージし、つなげようとしているのかもしれないが、だとすれば、そこにはDRD2多型という一種の遺伝子変異が仮定され、ただゲームを繰り返せばいわゆる依存症に至るという話ではなく、ある種の「素質」があって後段、ゲームに依存している場合、につながることになる。ゲームを繰り返せば、無条件に後段のようになるわけではない。

次のロジック展開がだまされやすい

 なので、後段は本来、「こうして人は何かに飽きていくのだが何らかの要因から、ゲームに依存している場合、この反応低下を補うために、ゲームに益々拍車がかかる」と表現すべきであろう。つまり「ゲームに依存している場合」に起きる後段の現象と一般に起きる前段の現象を「ゲームに依存している場合」を挿入することでサラリとつなぐのはミスリードを招く。皮肉でいえば、見事なロジック???もしくは論理の飛躍、もしくはフェイク
 いわゆる「依存症」では古くからドーパミンのD2受容体にある多型があるとドーパミンが効きにくく、過剰なのめりこみが起きるとする「報酬不全症候群」仮説がある。この「ドーパミンが効きにくい」と「報酬予測誤差」によるドーパミン神経系の報酬時の活動低下をごちゃまぜにしたロジックのように見える。
 何らかの要因がないと「反応低下を補うために、ゲームに益々拍車がかかる」ことは想定しにくい。不利な事柄が起きているにもかかわらず、ゲーム行動が維持、拡大し、人生上のだいじな領域で顕著な障害や苦痛が生じているような状態が1年以上続く、これがゲーミング障害のWHO定義の主要部分だが、ゲームを行うだけでこういうことが生じるわけではない。ゲームをすればだれでもゲームに拍車がかかるわけではないし、拍車がかかっても一過性だったりする。

脳的状態は、ゲーミング障害の定義を説明しているに過ぎない


「ゲームに依存すると」が「ICD-11(WHOの国際疾病分類)のいうゲーミング障害の定義に相当すると」の意味なら久里浜の記述は大きくは間違ってはいない。「ゲームのコントロール障害」「ゲームの最優先」「問題が生じているのに継続拡大」「生活の重要領域での顕著な障害や苦痛」のすべてがそろっているのが「ゲーミング障害」の定義だからだ。
 そこを出発点にするなら、最初に紹介した文章の続き「私たちの脳には理性をつかさどる前頭前野と呼ばれる部位がある。ゲーム依存が進行していくと、この脳の働きが下がり、ゲームの歯止めがきかなくなり、依存が重症化する。これらを例にとってみてもゲーム障害は単なるゲームのし過ぎではなく、脳の働きに変化を伴う依存という疾病であるといえる。」も、WHOの定義を満たしているような状態の話なら、おそらくは間違ってはいない。そういう状態の脳内表現の一部が前頭前野系の機能低下だという話で、とくに驚くべきことではないし、脳内状態がそうであることで何かを説明するわけでもない。同値変換だ。
 脳状態の差をネットワークレベルで説明すると、①ぼんやりしてあれこれ考えているときに働くデフォルトモードネットワークの活性化がみられる。これはぼんやりしているときに何かを考えがちだということをさす。ゲームのコントロール障害や最優先が生じているならそうであろうと思われるし、例えば学者が論文を書いているとき、ずっとそのことを考えていても同様の現象が観察できる可能性がある。②何かに注意を向けたときに働くサリエンスネットワークがゲーム関連刺激で活動しやすく、他に反応しにくい。③何かを計画し実行していくことにかかわるエクゼキューティブコントロールネットワークが働きにくい。行動の抑制や切り替えが困難ならそうなるだろう。。。。ということで、脳状態はおおむねWHO定義を説明しているに過ぎない。だから、脳状態がこうだから、自力では回復できないとか回復支援施設の一部のHPに書かれたりしているが、そういう説明はおかしい。

ゲーミング障害と危ない遊び方をしっかり区別しよう


 ときおりマスコミをにぎわすいわゆるゲーム依存疑い率報告で、完全にICD-11基準にのっとったものはない(われわれの報告含め)。したがって、こうした調査結果が、久里浜HPの文章を体現している人、あるいはWHOの定義に当てはまる人の率と理解してはいけない。
 またそれに近いチェックリストを掲載するなら、それはICD-11の基準とは異なることを示すべきだ。ICD-11基準に基づくとする久里浜のゲームズテストもYES/NO二択で行うならICD-11基準を満たしている保証はない。その正しさの担保である構造化面接の中身も問題だ。顕著な障害や苦痛とは思えない項目がチェック対象となっている。
 そもそも、ICD-11には障害や疾病ではない健康問題としての「危ない遊び方」がある。そしてICD-11では「危ない遊び方」と「ゲーミング障害」は互いに排他として区別を求めている。危ない遊び方をゲーミング障害とかゲーム依存「症」とかいってはいけないのだ。疾病や障害とは言えない状態に「疾病」を拡張してはいけない。

一般的な脳の現象と病的な状態を「ゲームに依存している場合」の一言でつなぐロジックには注意が必要だ。その間には大きな乖離がある。仮に報酬不全仮説をとるならDRD2多型などもともとの素質の話をしなければいけないし、自己治癒仮説をとるなら日常での痛みや苦しみを説明しなければならない。そこをすっ飛ばすロジックは健全にあるいは危ない遊び方と行き来しながらしかし全体とすれば安定的に生活が遅れているゲームユーザーに病気というレッテルを張ることになるし、ゲームをすること自体に否定的な目線を強化することになる。スティグマの温床となる。

 
少なくともいわゆるギャンブル依存症の場合、50%程度は遺伝の影響で説明できる。だれでもが~を繰り返せば依存に至るかのような解説はミスリードだ。一定の素質の関与は確実にある。
 


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