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コーヒー中毒 〜カフェ・ツィンマーマンの例


おぉ!コーヒー...甘すぎる、
1000回のキスより甘いし、
マスカットワインよりもうんと柔らかい...
コーヒー、コーヒー、
コーヒーがなきゃ無理、
コーヒーがないんなら何もしない!
Ei! wie schmeckt der Coffee süße,
Lieblicher als tausend Küsse,
Milder als Muskatenwein.
Coffee, Coffee, Coffee muß ich haben,
Und wenn jemand mich will laben,
Ach, so schenkt mir Coffee ein!

バッハ オラトリオ「おしゃべりはやめて静かに(コーヒーカンタータ)」より

1670年ごろからドイツでコーヒーが普及し始めた。

それから数十年が経ち、1717年にドイツ・ライプツィヒでクリスティアン・シェルハーファー(Christian Schellhafer)によってカフェが開業された。

"Zimmermannisches Caffe-Hauß (カフェ・ツィンマーマン)" である。

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↑ 真ん中の赤い屋根の建物がカフェ・ツィンマーマン

カフェ文化がドイツに流入してきた頃、1701年にG.P.テレマンがライプツィヒ大学で法学を勉強していた。そして彼は学内に音楽サークル "Collegium Musicum" を創設し、様々な音楽を演奏していた。
のちに1723年にバッハがライプツィヒにやってきてから、このサークル活動の指導/指揮をするようになったのだ。

そのバッハが仕事の合間、仕事終わりに入り浸っていたカフェ...
カフェ・ツィンマーマンである。
そこでバッハは考える。みんなが集まるカフェで演奏するっていうのはどうだろうか、と。
こうしてバッハはサークルの演奏の場を設けるために、お得意様だったカフェ・ツィンマーマンで1729~1737年、1739~1741年の計13年間、毎週金曜日の夜に小さな演奏会をするようになった。
それまでは音楽は教会や宮廷で演奏されるものがほとんどだったが、バッハはなんとカフェで演奏会を催し、一般の人たちにも音楽を楽しんでもらおうとした。天気がいい時はカフェの外でも演奏をしたそうだ。
貴族や身分のある人のためだけでなく、多くの人たちに。そして趣味の学生たちによる、プロもアマも関係ない本気の音楽を。
音楽はみんなのためにある、という発想。
まさにアウトリーチ×ストリートハックだ。

ここでバッハはヴィヴァルディやテレマンなど当時の作曲家の作品を演奏したと言われているが、同時に管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲などの自分の作品も演奏した。

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バッハは聖トーマス教会の楽長だったため、毎週カンタータを作曲しなければいかなかった。大変な仕事である。やはりカフェ・ツィンマーマンでの活動がバッハの本業を圧迫することもあったようだ。
それでもバッハはこの活動に熱を入れていた。
というのも、この秘密は彼の編曲作品に多く見られる。

学生「あ、バッハさん。今週のサークルの演奏会なんですけど、ヴァイオリンのやつが一人来れなくて...どうしたらいいっすか?」
バッハ「おうおう、分かった...なんとかするから2日くれ...!(新しく曲を書く時間はねぇな、どうしよう)」

なんてこともあった。

これによって生まれたのが多くの協奏曲作品である。
自作のヴァイオリン協奏曲をチェンバロ協奏曲に編曲したり、カンタータを編曲することによって、労力を軽減させたり、その時の編成に合わせていたのだ。ほとんどのチェンバロ協奏曲は編曲作品である。
協奏曲を編曲したバッハは、きっとこんな感じだっただろう。

バッハ「しょうがねぇな...ソロパートは俺が弾くから、あとみんな練習しておいてくれ...!」

それでも酒飲みでコーヒー好きの愉快なおっちゃんはやりがいを感じていた。こうしてコーヒーを飲む目的だけでなく演奏目的でもカフェに入り浸っていたバッハは、なんとコーヒー中毒者を主人公にした作品を書いた。

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オラトリオ「おしゃべりはやめて、静かに(コーヒーカンタータ)」 BWV211

頑固で古風な父親と、当時のトレンドだったコーヒーがやめられなくなった娘の話だ。
この父親が、「可愛い帽子を買ってやるから...」とか「じゃあ流行りのスカートは...?」と、いろんな手を使って娘にコーヒーをやめさせようとするが、娘は「そんなものなくても死なないけど、コーヒーやめるなら死ぬ!」「うぉ...コーヒーはキスよりもうめぇんだわ...」という調子。
結局コーヒーを断ち切ることができずに「やっぱコーヒーはうめぇな」みたいな感じでハッピーエンドを迎える内容である。

(今の時代ならタピオカに置き換えても違和感ない...タピオカうめぇな)

ただただお偉いさんに曲を書いていたのではなく、こうして当時の流行だったり、自分の中でブームだったものを音楽に投影することは決して珍しくなかった。しかしその題材が意外と身近なものだったりする。

バッハは本当に音楽にアツい男だ。
やはり何百年経っても、その時代を生きる人間が考えていることは同じなのだ...と、今日もボクはカフェでパソコンの脇にコーヒーを置いてこの文章を書く。


大井駿

Twitter: https://twitter.com/s_5100

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