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クリスマス気分を引きずっていると潰されるという話

毎年、クリスマスイブは悲しい気持ちになってしまう。

クリスマスイブになったということはクリスマスがいよいよ翌日に迫っているということであり、つまりは、クリスマスを心待ちに浮き足立っていた街が 何事もなかったかのようにクリスマスらしさを消し去る日が近づいているということなわけで、もう大変につらい。

数ある行事の中でも、クリスマスほど完成度の高いものはそうないのではないか。

子供がみるべき夢も大人の楽しみ方も用意されていて、音楽にもこれだけバリエーションがあり、もみの木にサンタクロースとビジュアル要素もばっちりだ。

クリスマスの魅力はこうした煌びやかな部分だけではない。

寂れた街ががんばって電柱やらなにやらに巻き付けた電飾、ケンタッキーで流れている竹内まりやの歌声、「サンタさんっているのかなァ?」とうそぶく合コン中の女、会社のクリスマスパーティーでもらったココアがスーパーのPB商品だった時の居た堪れない気持ち、否定してもらう前提の「サンタさんは、いないんでしょう?」が「そうよ」とお母さんにすんなり返された時の絶望感、自分用に買っているのに「ギフト用でしょうか?」と聞かれるありがた迷惑さ、それに「はい」と答えてリボンの色まで悩むふりをする気の弱さ、おばあちゃんが反抗期の中学生の孫にお菓子がたっぷり入ったブーツを買って帰るのをみた時の胸の痛み…

そうした、クリスマスというイベントが背負わざるを得ない「負」の要素も含めて、好きなのだ。

けれど、そんな楽しさも明日いっぱいで終わってしまう。

本当に、切り替えの早いこと早いこと。

これまでのノリで「鈴の音がすっぐそっこにー」とか口ずさもうものなら「え?年末で忙しいんだよ?何考えてるの?」と言わんばかりの冷たい目。26日になった瞬間から“クリスマス気分”はタブー視される。

…もしかしたら私が知らなかっただけで、26日から元旦までの1週間は「XmasXWeek」(クリスマスペケウィーク)とかなんとかいうのが暗黙のうちに決まっているんじゃないだろうか。

おそらくこれは日本ならではの慣習で、キリスト教国家でもないのに、こんなにクリスマスに盛り上がってしまうことへの申し訳なさから、自然発生的にできたもの。元旦までの1週間、忙しさにかまけてクリスマス気分を振り切ることで、なんとか国としてのバランスを保つのだろう、おそらく。

そう、もしかしたら私が今まで気付かなかっただけで、毎年、モミの木や電飾は人目につかない所で焼き払らわれ、作業員が「メリー」とつぶやいただけで即生き埋めにされかねないような焚書坑儒さながらの「暗部」があったのかもしれない。

この1週間は万引きGメンのような、XmasGメンとかそんな人が街のいたるところで目を光らせているのだろう。

ただ赤いセーター着てるだけなのに「あの子はニオいますね」などと言う。待ち合わせていた友人が不幸にも緑のセーターで来たら補導だ。

仕事の関係でクリスマスデートを延期したカップルなんていうのはきっと、ものすごく神経を使わなくてはいけない。「遅くなっちゃったけどこれ…」などと言って彼女がプレゼントを出すと彼氏は「ちょ、これ、包装紙にサンタさん!サンタさんはまずいよ!」と慌てる。

忘年会なんかでも注意が必要だろう。

「もうみんな集まった?」

「いや、堀が来てないわ」

「あいつ今日来れないらしいよ」

「え、堀来れないの?堀いないと」

「ば、おまえ気をつけろよ!」

「え?」

「“堀いないと”を“holly night”に聞き間違えられて通報されたら終わるぞ」

「そうだよ、たとえ証拠が無くても一度疑いがかかると圧倒的に不利なんだよ。クリスマス気分っていうのは本当はみんな引きずっていたいものなんだから」



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