糸張り巡らしおばさん

六本木の森美術館に塩田千春展を見に行ってきた。控え目に言っても、見ておくべき良い展覧会だったのではないでしょうか。

いわゆる現代アートと呼ばれるジャンル(の定義はさておき)の中では、メッセージが非常にストレートで分かりやすく、直観的に入ってくるタイプの作品が多いように思う。敬意を表して、糸張り巡らしおばさんと呼びましょう。

実はこの展覧会、行くのをためらっていた。SNSに非常にたくさんの投稿があったためだ。

私は良い作品とは受け手を選ぶものだと思っている。例えば、知る人ぞ知る名店の情報は食べログでは調べられない。例えば、20世紀で最も重要な小説家の一人とされるジョイスの作品は、日本では石田衣良より全然読まれてない。

SNSでたくさんの衆目にさらされ、それが好意的に受け止められている、という事実が、私をこの展覧会から遠ざけたのである。まぁ、この先入観は実際に観た結果、いい意味で裏切られたわけだが。

内容自体の是非はさておき、森美術館をSNSを用いたマーケティング戦略、撮って共有する美術とでも言えば良いのだろうか、について、私は懐疑的な立場にいる。

先にも書いたが、私は良い芸術作品とは人を選ぶと思っている。どういう意味かというと、受け手にある程度の教養やバックボーン、精神性を要求するということだ。

本来良い芸術とされるべきものが、視覚的美しさだけを写真によって切り取られ(場合によっては加工もされ)拡散されると、その写真は受け手の成長を促さない。芸術としての価値を失い、消費されるだけのものに成り下がってしまう。

筆者は芸術を、「人々の精神を長きにわたり充実させるもの」と捉えているので、この状況はいまいちいただけないと思う。

まぁ、各アート作品がたくさんの人の目に触れ、裾野が広がること自体は悪いことではないと思うのですがね。

ただ、たくさん勉強をして、自分が共感するものを知り、それを少しづつ集めて手繰り寄せて、今までだったらたどり着けなかった、隠匿されているなにか素晴らしいもの、に出会う瞬間、みたいなものを味わえる人間が少しでも増えたらなぁ、などと妄想したりもしたくなるのです。

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