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ひと夏過ごした病院が、移転だそうで

去年末に偶然目にした看板に、「来春、市立病院移転予定」の文字があった。
かの市立病院は、20年前、私が小6のひと夏を過ごした思い出の場所である。
最後にこの病院を利用して、もう10年ほどになるだろうか。
すっかりご無沙汰だったので、「最後に一目」意気込んで見に行ってきた。

バスを乗り継いで、病院前で下車。
坂を上って敷地に入ると、外来棟と入院棟で作られたL字型の建物の直角内側部分を、ちょうど45度に見上げるかっこうになる。
病院自体は「いかにも市立病院」といった感じの、白い四角い建物だが、この仰角のせいでなんとなくかっこよく見えるのが、この病院の持ち味である。

外来棟の正面玄関を入ると、ごみごみと情報過多な掲示板エリアの向こうに、会計のカウンターが見える。
病院が空く頃合いを見計らい、14時頃に訪れたが、午前の診療の会計待ちの人がまだ、ちらほら座っていた(お疲れさまです……)。
午後の会計カウンター周辺は、あの頃と同じでどこか薄暗い。
カウンターの向こうに、はめ殺しのガラス窓に囲まれた、明るい中庭が対比的に見えるせいかもしれない。
樹木はなく、日本庭園風の灯籠ひとつがぽつんと立つ四角い中庭の向こうは、小児科エリアだったはず。
中庭の前で二手に分かれる道を左折して、まずは小児科エリアへ。
診療時間は終わっているため、医療関係者以外は誰もいない。
曜日ごとの診察医師の掲示が、いまだにアナログなホワイトボードであることに驚く一方、その医師たちの名前を一人も知らないことには少々寂しさを覚える。
革張りの茶色い椅子もあの頃のままだが、今はもう、20年前その時ではないのだ。

一度地下へ降りて、喫茶室へ向かう。
核医学関係の検査室が並ぶ薄暗い廊下を抜けると、コンビニが……なくなっていた。
コンビニがあった場所には自販機とテーブルが並び、より大きな売店が奥にできていた。
明らかに、以前より食べ物や日用品の品数が充実している。
利用者には喜ばしいことだが、私が硬貨を握りしめてオムライスおにぎりを買いにきたコンビニがなくなっていたのは寂しかった。

エレベーターホールの奥に喫茶室。こちらは20年前のまま。
病院が斜面に建っているため、地下階ではあるが、喫茶室には窓がある。
駐車場に面しているので大して眺めは良くないが、自然光というのはやはり癒されるものだ。
やたらレトロなフォントの看板を掲げた喫茶室の今日のメニューは、「白菜と豚肉の炒め物」だそうだ。
この日替わりメニューはひょっとして、入院患者の病院食と同じだったりするんだろうか。
外来向けに入院メニューを提供する喫茶店……なんだか妙にシュールに思えた。

今週の日替わりメニューを眺め、昼食を済ませてきたことを後悔した後(この病院の食事は悪くなかった記憶がある)、エレベーターを使って3階へ。
20年前に小児科の病棟のあった階であり、案内板を見る限り現在でもそれは変わらないらしい。
記憶では、エレベーターを降りれば目の前には白っぽい壁と、電子レンジや冷蔵庫がある給湯室(よく朝食にパックのコーンスープを温めていた)と、いくつかの長椅子があった静かなホールだったはずだが……。
果たしてその記憶は鮮やかに裏切られ、エレベーターを降りた先に広がっていたのは、妙に暖かみある明るい色の壁と、賑やかなナースセンターのガラス窓。
床もやたらとツヤツヤピカピカしている。
市民病院とは思えないほど(失礼)、明るくキレイな内装になっていた。

エレベーターホールを中心に病棟は東西に分かれている。
その西側が小児科病棟だったはずだが……どうも案内板を見る限り、20年前にあった公衆電話コーナーや、待合スペースのようなパブリックな場所も、全て病室に改築されているようである。
念のためナースセンターで事務員さんに聞いてみたが、そういったスペースは「(現在は)存在していない」とのこと。
ということは、今回の主な目当てであった3階病室側の窓の外の風景は、もう病室内からしか見られないということである。
これにはかなり落胆した。
この市立病院は都市部から利便のきくエリアに建てられているが、北側には昔ながらの田園風景が広がり、その眺めは入院中の数少ない癒しだったのだ。
特に夏の終わり、畦道に彼岸花が咲くと、綴った赤い糸のように見えた風景は忘れられない。
今回の訪問でも、病室内には入れないとしても、パブリックスペースの窓からなら、懐かしいあの風景を拝めるのではないかと期待したものだが……。
つくづく残念である。
もうこの病棟は私の「家」ではないし、職員の皆さんのお仕事を邪魔するのは本意ではないため早々に退散したが、うしろ髪引かれる思いであった。

未練を振り払ってエレベーターで1階に降り、入院病棟の面会用出入り口から出ると、病院の東側にあるリハビリテーション施設へ向かう。
病院と施設の間は屋根のついた渡り廊下で繋がれており、その間にちょっとした散策路があるのだ。
さすが郊外というべきか、リハビリ施設の予算のおかげか、散策路にはそこそこの面積が割かれており、大病院の片すみとは思えない、のんびりした庭園空間になっている。
庭園の中を緩やかなスロープが通っており、入院中には父の押す車椅子でここを散歩するのが、私の数少ない楽しみであった。
あの頃は盛夏で、夕方になっても「死ね死ね」とうるさいくまぜみや、鮮やかなさるすべりのくしゃくしゃした花を、熱に浮かされた頭で鑑賞したものだが、冬の終わりの今は、さえずる小鳥の声や真っ赤な木瓜の花が、人けのない庭に賑やかだ。
散策路を歩くと、雨上がりの午後のきらきらした光が溢れ、冷たい空気を湿らせてゆく。

スロープの案内板に書かれた「5%」という斜度の掲示を見て、こんな緩やかな坂でさえ、車椅子には厳しかったことを思い出した。
夏の灼熱の空気と、父の声音も思い出した。
あれからたくさんのことがあり、家族としては歪になってしまった我々だけれども、あの時の父が車椅子を押す力には、確かに「親の愛」と呼べるものがあった気がして、そしてそれは真実如何に関わらず、そんな「気がする」だけで十分なのだと気がついた。
ずんずんと歩きながら涙が溢れた。
病院が移転したら、この散策路もなくなるんだろうか、それともリハビリ施設とこの庭園は独立して残されるんだろうか……。
涙が溢れるままに歩きながら、最後に今日、ここにきてよかったと感じた。

散策路をぐるりと一周して、病院の正面に戻る。
おそらくもう、訪れることのない場所。
目に焼き付けるように数秒眺めて、背を向けた。


病院帰りに、近くのパン屋でクリームパンを買った。
やわらかいことで評判のクリームパンは手に持つと、やわらかすぎて皮がやぶれ、クリームがこぼれてしまった。
甘くてあたたかい、もったりしたカスタードクリームが指につく。
「さようなら」は必ずしも、苦いものではないのかもしれなかった。



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