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産前産後は鑑賞者としてポンコツだった

先日、ようやく『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』を見てきた。

色々最高でアニメーションとして迫力があり、思ったよりグロかったものの、煉獄さんの尊さも、炭治郎の人柄も、基本的に「やさしくあれ」と伝えるストーリーも良かったのだが、なんとも言えない、悔しさを感じている。

というのも、週刊少年ジャンプを定期購読していたので原作は読んでいたのだが、なぜか、どうも記憶が曖昧なのだ。

大筋は知っていて、覚えているフレーズや絵もある一方、後半はほぼ初めて観る作品を鑑賞している気分。

ショックで当時のジャンプをアプリで引っ張り出して読んだけれど、やっぱりあまり記憶になかった……。

同じく週刊少年ジャンプ連載で、現在放送中のアニメ『呪術廻戦』も、めっっちゃくちゃ面白くわくわくしながら観ているのだが、漫画はこんなに面白かったかなぁという印象なのだ。

夫には「いや漫画も最初から面白かったよ」と言われてしまった。

ショックだ。

漫画もアニメもそれなりに見てきているので、審美眼はあるつもりだった。大体ヒットする作品というのは、最初からクソ面白いか、それなりのセンスが光っているもの。

でも当時の私は見逃していた。
あるいは読んでいたけれど、頭に入っていなかった。
それはちょうど、妊娠中から産後数年の期間にあたる。

なんということだろう。
くやしい。

本当にくやしい。

この数年、私は鑑賞者としておそらくポンコツだったのだ。

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そのように身体がプログラムされているのか、

あるいは、いっぱいいっぱいで鑑賞まで手が回らなかったのか。

何が原因かはわからないが、産前産後の私は、「妊娠していること」と「育てること」にほぼ全てのエネルギーを使い切っていたようだ。

趣味を謳歌したいという意思に関係なく。

本当に私は何もわかっていなかったなとつくづく思う。妊娠出産はそれだけの大変なことなのだと。

生き物にとっての大事業なのだと。

食事も取らず吹雪の中卵を温め続ける皇帝ペンギンに涙している場合じゃなかったのだ。

他人事ではない。お前もそうなのだ。
お前もイキモノなのだぞ。

と、昔の自分に言ってやりたい気分だが、伝わらないだろうなぁ。

自分がポンコツであったことに今は気づけているので、産後3年程度で私の場合は回復してきたらしい。

しかし第二子、第三子と生んでいたらそうもいかなかっただろう。

空白の数年間、たくさんの物が目の前にあったのに、取り逃がして来たことを悔しく思う。
でも仕方ない。それらはこれから回収していきたい。

もちろん、取りこぼした分だけ、子育てやそれに関連する新たな経験を積みまくったから、手元が空っぽになった訳じゃない。

ただ今日は映画を観ながら、自分が鑑賞者としてポンコツであったことを痛感して、いやほんと妊娠出産てすごいエネルギーを使うんだなぁと思った。

ポンコツだったのにポンコツであることにも気づかない程、ポンコツだったのがショックだ。

今更気づくなんてバカみたいだけど……。

妊娠出産を美化したいとか持ち上げたいとかいう訳ではなく、ただ事実としてそうなんだと、まさに老いるし死ぬ、儚い生命の一員なんだと実感した、スクリーンの前なのだった。

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