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岸田首相の人事~適材適所!?

人事は『ひとごと』とも読みますが、自分だけでなく他人のそれも気になるものです。熊本市長職の中で、もっとも難しいと感じていたのが人事でした。「誰が昇格した」「どこそこのポストについた」などは、人事の季節ともなれば、組織の中で憶測も含めて飛び交うことになります。他者との比較で、ときには羨望や妬み、怒りが伴う場合もある。それだけ組織に所属する者にとって関心が高く、人事を決める側も慎重です。最近では、いわゆる年功序列から能力主義や成果主義への移行を試みる組織も増えてきましたが、役所のような利益を追い求める組織ではない場合、何を基準に評価するのかとても難しいものです。

最近の人事評価制度には
●能力評価
●業績評価
●意欲、行動、勤務態度などの情意評価
あるいは
●コンピテンシー(行動特性)評価
●目標管理制度
●360度評価
などが用いられています。

民間企業ではないとはいえ、役所でもよりよい人事を目指して試行錯誤を続けたものです。前述の例もほとんど導入しました。その結果、本人の意向に反する場合があり、不満が生じることだってあります。上司と部下との関係が上手くいかずに、仕事が滞ってしまうこともある。「人事には100点満点はない」ことを痛感しつつも、組織としてより高い点数を目指し続けていたものです。

そして、その人事の理由を議会などから求められた場合は、プライバシーに触れない範囲で説明することになります。ただ「誰をどこに」については、評価はもちろん、それまでの経験や本人の意向を踏まえたものであっても、何度も問われれば最終的には「 『適材適所』としか答えようがないな」と感じる場面もありました。

そんな経験をしてきた者として、岸田首相が長男を秘書官に登用したことには関心があります。国会答弁で久しぶりに適材適所という言葉を聞くことになりました。首相秘書官がどんな仕事であり、どんな役割が求められているのか、詳細を把握しているものではなく、登用された本人の能力や経験値を知る由もありませんが、個人的な感想としては「いくらなんでも適材適所は無理があるよなぁ」と思っています。

人事は個人の問題だけでなく組織全体に影響を与え、人材育成にもつながるもの。だからこそ、多くの国民が納得のいくような適材適所を越える説明を聞いてみたいところですが、おそらく無理なような気がします。当然ながら人事の責任は任命した者が負うことになり、説明責任だけでなく、結果責任も負うことになります。これから首相の仕事ぶりに何か変化があるのか、その点にも注目しておいた方がよさそうです。

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