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原爆の日~広島市平和記念式典

広島に原爆が投下されてから77年の歳月が流れました。同市の平和公園では、平和記念式典が執り行われ、その様子が生中継で放送されていました。ロシアのウクライナ侵攻もあり、今年は特に感慨深くこの日を迎えることとなりました。

私たちの世代は子どもの頃、小学生では長崎へ、中学生では広島へ、修学旅行で訪れました。おそらく当時は、熊本に限らず、九州のほとんどの小・中学生は同様の体験をしていると思います。いずれも記念館を訪れて、語り部による経験談や、当時の悲惨な映像や写真に触れることになります。その頃でも戦後30年以上が経過し、戦後の混乱期を乗り越え、高度成長期を経験し、当時ですら戦争が実感しにくい時代でした。77年が経過した現在、被爆者の平均年齢が84歳と紹介されていましたが、いずれ直接の被爆者が居ない時代を迎えることになります。どうやって語り継いでいくのか、その難しさは増すばかりです。

式典は、松井一実広島市長の平和宣言、2人の小学生による平和へのメッセージ、岸田総理大臣の挨拶と続きました。岸田首相の挨拶で、核禁止条約に触れなかったことへの批判も出ているようですが、私が気になったのは、『厳しい安全保障環境』という『現実』と対比して、『核兵器のない世界という理想』という表現を複数回使われていたこと。言うまでもなく岸田首相は広島の出身であり、歴代の総理大臣の中でこの問題についてもっとも思い入れがあることは間違いないのでしょう。「理想の世界に近付けたい」という思いは伝わってきました。ところが厳しい現実は、一部核保有国のリーダーは、核兵器による脅しを平然と行い、それがますますエスカレートしそうな雲行きに、多くの人が不安を覚えています。そんな状況下での『理想』とは、『出来もしない夢物語』と聞こえて仕方がありませんでした。

極端な話、『核兵器のない世界』は本当に理想なのか、あえて根本から問い直す必要があるのではと思っています。そうでなければ、単なるお題目として簡単に聞き流されてしまう、そんな空虚な言葉として受け止められてしまっているのでは、との危機感を覚えました。理想の世界は人それぞれなのかもしれません。ただその中には普遍的なものがあり、『核兵器のない世界』もその中に含まれている、私はそう信じて止みません。

小学生たちのメッセージ、そして生中継の合間に紹介されていた、ある大学生の国境を越えた核兵器廃絶に向けた堂々たる活動に頼もしさを覚えました。唯一の被爆国である日本の責務として、理想の世界に向けてどんなに小さな声でも上げ続けることの大事さを、改めて教えられた気がしました。

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