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【第2話】現地校でパニック!

(この作品は、実際に私が幼少期を過ごしたフランスでの思い出を、小説風にアレンジして書いたものです。)

パリに引っ越してすぐ、マンションのすぐ隣にある小学校に入学した。

フランス語は全く出来ないレベル。初日、クラスのみんなの前に立って言えた言葉は"Bonjour"だけ。担任の先生が名前や日本から来たことなどを代わりに説明してくれた。

お母さんフランス人なのにどうして喋れなかったのかと聞けれることが多々ある。はい、喋れませんでした。なぜなら母とは四六時中、ずっと日本語だったから。母は日本をこよなく愛するフランス人で、日本語もとても流暢。フランス語を話している姿を見たのは、シャルル・ド・ゴール空港で迎えにきた親戚たちと会話している時が初めてだったと思う。こうしてフランスに引っ越す計画があったのなら、日本にいる時からフランス語で子どもに話しかけるなどして言語教育していてほしかったと、心から思う。でもまあ、今更仕方がない。

とにかく、わたしはフランス語が出来ない状態で小学校に入った。フランス語が母国語じゃない生徒の為の言語サポートプログラムのようなものはなく、基本的にほったらかし。今何の授業で、先生は何を説明しているのか、さっぱりわからない。何も理解できずただ席にボーッと座っている毎日。何か聞かれた時は「?」という表情で必死に「分からない」を伝えてみる。通じない。担任の先生は、諦めているのか、いつかできるようになるだろうという確信があるのか、完全に放置。クラスメートは、何も返事がない、ポカンとした顔で毎日席に座っている私が面白かったのだろう、やがてわたしを見かけると笑うようになった。その笑いが好意的でないことははっきり分かった。分からない悔しさに、たまらず泣いた。

ある日、あまりにカチンとくる笑い方をされてついに手が出てしまった。向こうも反撃してきて、取っ組み合いになり、ついに先生からつまみ出された。廊下で叱られるも、何を言っているのか分からないから気にならなかった。相手に手を出したことはよくなかったが、自分の感情を相手に伝えたい、自分のことを分かってもらいたいという気持ちが、この事件でマックスに達しのは間違いないと思う。

別の日、みんなが一斉に配られたプリントに何やら書き始めて、何が始まったのか理解できないわたしは隣の男の子の机を覗き込んだ。目をカッと見開いて、プリントをササっと隠す男の子。先生を呼び、わたしに指を指して何かを説明している。どうやら「カンニングされた」と勘違いされたらしい。その日はテストだった。

嫌がられたり、叱られたり、笑われたり・・・

散々な毎日。

大きな変化が訪れたのは約半年後。学校に行くと不思議なことに、みんな言っていることが「分かる」。そして自分の口からもフランス語が出てくる。おそらく文法はメチャクチャだが、言いたいことがひとまず言えるようになっていた。正確には、「ある日突然」ではなかっただろう。でも感覚的には、コップの水が溢れるように、一気に溢れ出したという感じだった。クラスメート達も、そんな私の変化を見て態度を変え、仲間に入れてくれるようになった。

言いたいことが言えるようになる喜びは格別で、あれだけ嫌だった学校生活が180度変わって、楽しくて仕方がないものに変わった。友達も増えた。そして先生もとても積極的にわたしに話しかけたり、日本について聞いたりしてきた。おそらく先生は信じていたのだろう。言葉が徐々に蓄積されて、やがて溢れるということを。

スタート地点に立てたような清々しい思い。

できるだけ考えないようにしていたことがあるとすれば、日本語がなかなか出て来なくなっている事実だ。弟妹達ともフランス語で話すようになって、すっかりフランス語脳になってしまっていたわたし。あれだけ日本語しか話さなかった母さえ、わたし達に合わせてフランス語に切り替えた。父だけが、一人一生懸命日本語を使い続ていたが、その父がいなかったら、日本に帰国後、相当苦労したと思う。

とにかく、フランス語を覚えたとたん、ところてん式に日本語を忘れるという不思議に戸惑いながらも、「生きる」為に今はフランス語が必要。女性名詞、男性名詞の使い方の間違いだけは同級生にずっと指摘されることになったが、何も喋れなかった時期と比べると大きな進歩。本当の意味での、フランス生活スタートだった。


(つづく)

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