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勝手に10選〜イカす90年代 女性邦楽編(後編)〜

(前記)
張り切って後半に移る。


・1/2
1997年に川本真琴さんのシングルとして発表された曲だ。

川本真琴さんは、3歳の頃からピアノを始め、短期大学のピアノ科を卒業するが、在学中からバンド活動もしており、ボーカルなどを担当していた。

卒業後にミュージシャンを目指して上京し、ソニーの主催するオーディションにボーカルとして合格する。

なお、川本さんと言えばギターをかき鳴らし、女性のギターを激しく弾きながら歌うミュージシャンのパイオニア的存在だが、ギターに関してはデビューが決まって慌てて練習をしたのだ。

1996年にシングル"愛の才能"でメジャーデビューを果たしたが、作曲は岡村靖幸さんであり、2枚目のシングル"DNA"から作詞作曲を自身で手掛ける様になる

そんな川本真琴さんの3枚目のシングルがこの曲だ。

実にイカしたアコースティックギターのカッティングから始まり、キーボードと絡み合って非常にカッコいい。

Aメロはギターのカッティングと川本さんのボーカルにドラムとベースがミニマルに華を添える。

キーになるのはBメロである。
楽器も重なり川本さんのワードも増え、サビへと移行するのだが、このBメロが長いのだ。
弓矢で弦を引き、狙いを定め、じっくりじっくり待って、サビへと撃つイメージだ。
素晴らしいサビへの架け橋となっている。

サビは実に爽やかさと疾走感を伴った素晴らしいメロディラインに、自由奔放にワードを詰め込んだ川本さんのボーカルが見事に冴え渡り、実に気持ちの良いラブソングになっているのだ。

ミニマムな演奏かつ熟考され計算されたアコースティックロックに川本真琴さんの自由奔放に舞い踊るボーカルが見事にハマった見事な素晴らしいラブソングだ。

・Sweet Emotion
1997年に相川七瀬さんのシングルとして発表された曲だ。

相川七瀬さんは中学生の頃に歌手を志す。

中学3年生の時にCBSソニーのオーディションに挑戦するも不合格となり、一旦は歌手を諦め高校に進学する。ところがオーディションの1年後に、審査員であった織田哲郎さんから直接連絡を受ける。

1度は断ったものの、更に1年後に自身から織田哲郎さんに連絡をとり、高校を中退し、音楽への道を歩む事となった。

1995年にシングル"夢見る少女じゃいられない"でデビューを飾る。

端正なルックスと不良っぽさのイメージ、素晴らしい歌唱力にて徐々に頭角を表し、1996年に発表されたアルバム"RED"がダブルミリオン、シングル"恋心"がミリオンと大ブレイクを果たし、以降もヒット作を連発している。

この曲は相川七瀬さんの7枚目のシングルだ。
実に気持ちの良いミドルテンポのロックなのだ。

イントロはギターのイカしたカッティングから始まり、実に華やかで心地よいテンポの前奏が始まるがギターリフが素晴らしい。

Aメロは、実にワクワクさせられるオケとメロディラインで相川七瀬さんのボーカルも実に合う。

Bメロは緩急をつけながらキュートであり、"sweet emotion"と突き上がりサビへ移行する。

サビは実に煌びやかで明るく、ハスキーな相川七瀬さんのボーカルが自由奔放に踊っている様だ。素晴らしいメロディラインである。

何とも気持ちが高揚する様な、実に気持ちの良いゴキゲンなロックなのだ。

・アジアの純真
1996年に発表されたPUFFYのデビューシングルだ。

東京都出身の大貫亜美さんは、学生時代にバンド活動をしており、バンドのデモテープがソニーのオーディションに受かるも、バンドは解散し、CAを目指すが、デモテープのボーカルに魅了されたソニーの説得により、ソロ歌手としての準備が始まる。

大阪府出身の吉村由美さんは、高校を中退し、フリーターとして生活を過ごしていた。
1993年にソニーが主催した、タレント、モデル、歌手なんでもありの人材発掘を目的としたオーディションで審査員の目を引き、何がやりたいか?と問われ、歌手です、と答え合格を得て上京する。

そんな2人が1994年に同じ事務所で顔を合わせる事となる。
最初はお互い遠慮した、距離のある関係であったが時が経つにつれ親密となり、事務所からデュオの提案があり、1995年にPUFFYは結成された。

そして、「ヒマそうなコンビがいるから、プロデュースでもやってみないか?」と、声を掛けられたのが奥田民生さんだったのだ。

この曲はそんなPUFFYのデビューシングルで、作詞が井上陽水さんで作曲、プロデュースが奥田民生さんという豪華なコンビによる曲だ。

歌詞はもやは、意味などない。
ただ井上陽水さん曰く、民生さんのデモテープにおける鼻歌を文字に起こしただけ、という事だが、ポジティブなワードで埋め尽くされている為、前向きな雰囲気になるのは流石である。

曲の構成はシンプルにAメロ、Bメロ、サビから成る。

シンセサイザーの華やかさから曲が始まり、エレキギターが加わると華やかにビートを備えた前奏が始まりAメロへ移行する。

Aメロはオケが華やかな分、あまり抑揚の無いメロディラインが綺麗に際立つ。

曲中でロボットの声がたまに登場するが、これは奥田民生さんの声にエフェクトをかけたまものである。

Bメロもシンプルにハモリが美しく、サビへの見事な架け橋となる。そしてマーチングドラムが始まりサビ、クライマックスへ移行するが、突き抜け過ぎないメロディラインと歌詞、オケが融合し、気持ちの良い唯一無二の秀逸したサビである。

実に気持ちの良い、気分がアガる、色々なマテリアル、遊び心を適所に併せ持った名曲なのだ。

・Sunny Day Sunday
1999年にセンチメンタル・バスのシングルとして発表された曲だ。

1996年に、アキノリさんこと鈴木秋則さんが音楽専門学校の同級生であったNATSUさんこと赤羽奈津代さんらと前身となるバンドを結成する。

元来鈴木さんは宅録(自宅録音)、キーボードを専門としており、1997年に宅録専門のレーベルを立ち上げ、バンドから自身とNATSUさんのユニットに変更してセンチメンタル・バスが誕生した。

事務所の目に留まりデビューが決定し、1998年にシングル"よわむしのぬけがら"でメジャーデビューを果たした。

そんなセンチメンタル・バスの4枚目のシングルがこの曲だ。

底抜けに明るい、疾走感を伴う素晴らしいロックだ。

しかし、この曲はトータル2分半と非常に短いロックだ。
構成はサビ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、ミドルエイト、Bメロ、サビと一通り奏でるだけである。
全てのパート毎のキャラクターが遺憾無く発揮され、構成も見事に実に無駄がなくソリッドな楽曲なのだ。

特にクライマックスであるサビにおけるドラミングによるブレイクと、実に美しく盛り上がるメロディラインと対極するパートを1つにして構成されており、実に見事なのだ。

ちなみにこの曲のギターがROLLYさんである。

心や気持ちを楽しませてくれる、とことん明るいロックの名曲だ。

・Movin’on without you
1999年に宇多田ヒカルさんのシングルとして発表された曲だ。

父は音楽プロデューサーの宇多田照實さんであり、母が歌手の藤圭子さんという両親の間に宇多田ヒカルさんはニューヨークにて生を受けた。
1990年に家族3人によるユニット"U3"を結成し、アルバム"STAR"を発表する。
アルバムには当時10歳の宇多田ヒカルさんもボーカルで参加しており、実質的な宇多田ヒカルさんのデビューアルバムなのだ。

1995年にリードボーカルとなり、"cubic U"とユニット名が変わり、アメリカやヨーロッパのインディーズにて、アルバムを3枚発表するなど活動を継続し、1997年にアメリカでCubic U名義でアルバムとシングルを発表している。
なお、後にこのアルバムとシングルは後に日本でもリリースとなる。

その際、東京のスタジオでレコーディングしているところを、プロデューサーに日本語でやってみないか、と言われ、日本でのソロデビューが決定する。 

伝説が始まったのだ。

1998年にファーストシングル"Automatic/time will tell"を発表すると、有名なPVとともにダブルミリオンを記録し15歳の女性シンガーが社会現象となるのだ。

翌年にファーストアルバム"First Love"が発表されると1週間でダブルミリオンを記録し、発売1か月で500万枚を超え日本にて1番のセールスを記録したアルバムとなり、現時点で国内では756万枚、世界で1000枚のセールスを記録するモンスターアルバムである。

アルバム発売時は宇多田ヒカルさんは16歳である。

この曲は宇多田ヒカルさんのセカンドシングルで前記のアルバムにも収録されている。

ファーストシングルがR&Bだったので、さあセカンドシングルは、と聴いた当時の筆者は驚いた。
ハウスだ。ハウスロックだ。
セカンドシングルも攻めまくっているのだ。

4つ打ちのハウスに、Aメロ、Bメロ、サビをテンポを変えずにブレイクと楽器の配置と、歌い方、強弱、メロディライン、コーラスにより、その疾走感を失う事なく、見事に緩急をつけてハウスとロックを見事に両立している。

世紀末、2000年代の直前に音楽の神様は、新しい時代を見据えて、宇多田ヒカルさんというプレゼントをくれたのだ。

(後記)
ふと、90年代が気になった。

筆者がティーンネイジャーから20代を過ごした時代を、ふと見直してみたかった。

正直に記すと、バンドブームの終焉とともに、ほぼ洋楽に流れてしまったので、はてさて90年代の日本にはどんなイカした音楽が存在したのか、途中で頓挫するのでは、という不安を抱えつつ少しの経験の引き出しをまさぐり曲をチョイスした。

いやいや、まだまだあるのだ。
全く収まりきらない。
また、90年代も更に掘り下げていきたい。

読んでくださった方々へ
ありがとうございました。

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