白く光って見える人。運命の人と、純粋な恋愛について。


「自分にとってある種の縁がある人は、白く光って見えていた。」
と言ったら、やっぱり不思議な話の部類に入るだろうか。

私が何をしているかを説明するのに、スピリチュアルカウンセラーという、一風変わった職業名を使うようになって久しい。
すると時折、「子どもの頃からそういう能力があったの?」と聞かれる。

機会があるごとに説明しているのは、スピリチュアリティーはすべての人に備わっていて、それ自体は特殊でも何でもないということだ。
ただ、一生を通してどの程度スピリチュアリティーを意識するか、自覚していくかというところには個人差がある。それをどう表現するかにも、違いがある。

冒頭のような質問をする人は、その人にとって「不思議」に思える体験を、私がいつからしていたのか、生まれつきなのかどうかを知りたいのだろう。
その意味では、答えはイエスだ。
そして、どんな才能や特技を持っている人でも、本人にはそれが「日常」で「普通のこと」であるように、私も自分の体験のほとんどを、特に不思議なこととして意識したことはなかった。
後から振り返って、「ああ、これは一般的には不思議なんだな。」と、理解したのである。

長年のつきあいであるはずの家族からも、私がそれまで話していなかったらしい体験をふと話すと、
「何それ!」
と、驚かれることがたまにある。
ん!? これはもしかして、ネタになるのか?
と、気づく瞬間である。

そうした体験のひとつ、人が「白く光って見える現象」について語ろう。
この「白く光って見える現象」は、一般にオーラと呼ばれる、誰にでもあるエネルギーフィールドのことを言っているのではない(エネルギーを知覚するという点では同じ分類に入れてもいいが)。

前置きだが、「白く光って見える人」とは2007年以降、出会っていない。
今までたくさんの出会いはあれど、よく考えてみると、その時期を境に私は白く光って見える人と出会っていないのだ。
このことは最近気づいた。なぜその頃から出会っていないのかについても、これを書いたおかげで初めて考えた。
すると、なかなか面白いことに気づきもしたのである。それは最後の方で述べよう。

白く光って見える人との出会い

冒頭に書いた通り、「白く光って見える人」は、私とある種の縁がある人と言えるのだが、出会ってからどんな関わりになるかは様々だった。
知り合い、友達、それに恋愛になることもあった。
関わる形はどうであれ、「白く光って見える人」に対しては必ず、ある独特の感覚を伴った。

その現象の、記憶している最初は、中学生の頃だ。
同じ塾のクラスにいた、他校の同学年の女の子が、白く光って見えた。
その子とは挨拶を交わす程度で親しくならなかったが、私はその子の存在に強く惹かれた。憧れという感情が近かったかもしれない。
とはいえ、そこには不思議な親しみの感覚もあって、当時の私の感じていた気持ちを正確に表す言葉は見つからない。
学校が違うから、その子のパーソナリティや、細かい情報は何も知らなかった。なのになぜだか、「ただいるだけで」、彼女の存在が何らかの形で私を励まし、同じ世代で過ごしていることが受験期の張りになっていた。

二度めは高校入学後、今でも仲の良い親友と出会ったときのことである。
彼女は、「新しい幕のはじまり、はじまり~!」という記事に登場している親友だ。
入学初日、教室に入ると、彼女だけが白く光って見えた。
そこだけくっきりと、浮かび上がったように光って見えたのである。

そのとき、彼女は同じ中学から来た友人といて、二人で談笑していた。
私は知り合いがおらず、仲間といる彼女に声をかけるのをためらった。
勇気を出して、学校生活にまつわる他愛ない質問で話しかけてみたけれど、そのときは礼儀正しく質問に答えてくれただけで、それ以上の交流は生まれなかった。

だから、最初に仲良くなったのは彼女ではない。
けれども、白く光って見えたことが心に残っていて、クラスの緊張がとけて皆が和み始めた頃、私は彼女にまた声をかけた。
すると、私たちはみるみる打ち解け、いつの間にか親友になったのだ。

ほかにも親友と呼べる友達はいるが、彼女と私の間にある際立った特徴は、「安心してけんかできる間柄」といういうことだろう。
若かりし頃と違って、さすがに近年はけんかする事柄もないのだが……(笑)
彼女に対しては、互いに「根本までさらけ出しても大丈夫な(これまでも、そうしてきた)相手」と感じている気楽さがある。

そう、あなたも同じことを、誰かに感じたことがあるかもしれない。
人生という限られた時の中であっても、そんな信頼関係が生まれてくることがあるものだ。
もし、それが、この人生以外の領域でも育まれていたらどうだろう?
こう想像してもらうことは、「白く光って見える人」が私にとってどんな人かを説明するのにちょうどいい。

「白く光って見える人」と出会ったとき、心に確信が走る。
その人を知っている!とか、見つけた!という言葉が合う。

理屈じゃない感覚で、釘付けになる。

そこには何か決定的な縁と言おうか、「出会うべくして、出会った」という動かし難い実感が存在する。
まるで人生のスタンプラリーで、「はい、ここのポイントまで来ましたよ」とスタンプを押してもらっているかのような、「予定通り、ちゃんと出会えた感」があるのだ。

初対面であっても……

対面するのはわずかな時間でも、その感覚に一瞬で気づくことができる。
高校留学に出発する前のイベントで、少し年上の女性に出会ったときがそうだった。

私は高校生活3年間のうち1年は、自分の選択でアメリカ留学している。
受け入れ先のアメリカ人家庭の元でホームステイし、現地の学校へ通った。日本の高校がそういうプログラムを用意していたわけではない。
私の申し込んだ、留学を世話する組織があって、出発前には都内の会場でオリエンテーションが行われた。そのとき、彼女に出会った。
大勢の参加者がいるのに、その人だけが白く光って見えたのだ。

グループ分けで、彼女と私は一緒のグループにならず、交流する機会はなかった。広い会場の遠くの席にいるその人に、近づいて話すようなきっかけもなかった。
しかも彼女は、同年代の集まりの中でも際立って佇まいが落ち着いていて、一見、気軽に話しかけづらいような毅然とした美しさのある人だった。

でも、「白く光って見えたこと」が気になって仕方なかった私は、帰り際に思い切って彼女の座っていた机の前へ行き、文通を申し込んだ。
話してもいないのに、いきなり文通の申し込み!?とは思ったが、その機会を逃したらそれぞれの留学先に散るのだし、ほかに手段を思いつかなかったのである。
(一応補足すると、当時の高校生は、携帯やスマホを持っていなかったんだよ。)
すると、驚く様子も見せず、拍子抜けするほどあっさり、彼女は「いいよ」と言ってくれた。
留学している最中も何度か手紙のやりとりをし、彼女のように素敵な人でも留学生活は同じように山あり谷あり、頑張っているんだ……と知ることで、私もまた、帰国を迎えるまで頑張ろうと思えた。
今思えば、年齢は1つ程度しか違わなかったはずだから、彼女だって私同様に年相応の思いがあって当然なのだが、私の心の中での彼女の位置づけは、アメリカで研修期間を共に過ごして仲良くなった留学仲間や、同じ高校からわずかな人数留学した元々の友人たちと、何かが違っていた。

ほかの友人たちとの手紙のやりとりも、もちろん絶大な心の支えになっていたのだけど……
彼女に対してはそもそも、私が感じた繋がりの質が、この人生で育んだ背景によるものではなかったのである。

実はこれが、白く光って見える人に共通の特徴だ。
そのことを、私はあえて考えずとも、漠然と知っていた。

恋愛でも、それがあった。

ここまで、女性の「白く光って見える人」との出会いをいくつか挙げたが、恋愛でもそれがあった。(私は女性で異性愛者、恋愛対象は男性。)
決して、これまでつきあった人たちが皆「白く光って見えた人」だったわけではない。
そうでない人とも恋愛をして、つきあってきた。
ただ、「白く光って見える人が男性だと、必ず恋愛に発展する」ということは言えた。

例外は、「会ったことがなくても、画面越しで」はっきり白く光って見えたリル・ウェイン(ラッパー、Lil Wayneのこと。ご存知ない方は私のブログ「雑記・音楽」カテゴリの過去記事をご参考に)だ。彼の存在もまた、私の人生に意味を持っている。

こんな話をすると、
「自分とつきあう相手が白く光って見える能力、ほしい!」
と思う人がいるかもしれないけど、ちょっと待って。

ここから先は

2,612字

¥ 800

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?