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一期一会カレー

長男があやとりにはまっている。
図工の授業で使った毛糸を使い、友達が楽しげに「ほうき」だの「橋」だの作っているのを見て、羨ましくなったようだ。

まだまだランドセルが歩いているような頼りない姿だが、背中の重みの反動なのか。家では少々威張りたいお年頃の小学一年生。
いつも玄関を開けるなり大袈裟に肩を落とし、「はぁ。つかれたー・・・」と、頑張ったアピールに余念がない。だが、この日は違った。

「ママ!!あやとりって知ってる!?」

ただいまも忘れ、鍵を開けるなり玄関に転がり込むように入ってきた。

いつも通りネックウォーマーは製品タグが表に捲れ上がって丸見えで、迷彩柄のフリースのチャックは閉まっていないせいで、裾をランドセルの肩ベルトに巻き込んでいる。
何度言っても揃えない靴は、やっぱりこの日も星座のように右左が点々としていた。怒る気力も失せる。

色々と諦めて「知ってるよ。あやとり、やりたいの?」と答えた。

***

やりたいことを見つけるとそれ以外は目に入らない猪突猛進な長男。私は「とりあえず帽子をとりなさい」と言い聞かせながら、クローゼットの下に仕舞い込んだ毛糸を探した。
いつ買ったかもわからない手芸用品店のビニール袋の底に眠ってきたのは、よくあるアクリル毛糸ではなく、毛足の長いふわふわした白い糸に、ラメの入ったピンクやオレンジの繊維が混ざっているMIXタイプだ。
いささか女の子っぽい配色だし、あやとりとして使うにはボコボコしていて使いにくそうにも見える。

「これでいい?ちょっと可愛すぎるかな?」

不安げに聞く私をよそに、長男は二つ返事で「平気!!」と目をキラキラさせながら頷いた。
私を含め多くの母親は、我が子のこういう混じり気のない笑顔にやられてしまうのだろう。
結局求められてもいないのに、使いやすそうなスタンダードな赤のアクリル毛糸を買い足してやった甘い母である。

我が子の視線を痛いほど感じながら、毛糸を1メートルくらい引っ張り出した。「しゃきん」と鉄が繊維を断ち切るハサミの感触が心地よい。

長男は結んでやったそれを嬉々と受け取り、子供特有の柔らかく分厚い手のひらに通し、それらしい動きをしてみる。
しかし、できるのは団子のような絡まりばかり。

痺れを切らして教えてやろうと私も毛糸を手に取るが・・・手が動かない。東京タワーどころかほうきも、私の指はすっかり忘れてしまっていたのだ。

嫌々練習した運動会のソーラン節は音楽を聞けば自然と身体が動き出す。だけど、友達と肩をぴったりくっつけ、休み時間も帰り道も練習した大好きな赤い毛糸の形を忘れてしまうなんて。
きっと他にも忘れてしまった記憶があって、私は忘れたことすら気付いてないのかと思うと、少し切なくなってしまった。

母が師とならなかったせいか、早々に長男は遊びの趣向を変えた。オリジナル作品の制作である。
あるときは「恐竜」を作ったそうだが、思いつきで作るため同じ作品には二度と巡り会えないのだと言う。単純に手順を覚えていられないだけなのだけど。なんだかとてもアーティスティックな一期一会だ。

***

一期一会と聞くと「フォレスト・ガンプ」の次くらいに「カレー」を思い浮かべる。

我が家のカレーのレシピは、ざっくりとしたものである。
野菜はにんじん、たまねぎは必須だが、じゃがいもはあれば入れる。本当はもっと変わった野菜も入れたいのだが、夫と子供からはだいたい不評である。
子供のためにルーは甘口だが、メーカーはなんだっていい。肉はそのとき冷凍庫に眠っているものを入れる、という塩梅だ。

隠し味は最近はインスタントコーヒーで安定しているが、チョコレートソースやバター、味噌や生クリーム、名前もよくわからない香辛料や納豆のタレなんてときもある。ほとんど冷蔵庫整理だ。

そんな具合に自由気ままに作っているつもりなのだが、最後にはいつもと同じ味の「おうちのカレー」になっているというイリュージョンが起こる。

我ながら悔しいような気もするが、これが子供たちの「おふくろの味」になるのかと思うと、なかなか悪くない。

***

知っての通り最近のルーは優秀で、基本的に箱の裏の説明書き通りに作れば誰でも美味しくできるようになっている。
しかし、私は一度だけとんでもなくまずいカレーをこしらえたことがある。

約10年前、テレビで「プロが教えるカレーの隠し味」という企画を見たのがきっかけだった。
結婚するまで実家に住みつき、あらゆる家事を母任せにしていた私は、実力不足を「アレンジ力」で誤魔化そうとする節があった。
よせばいいのに、数日後にはカレーの材料と例の隠し味を買って恋人宅のキッチンに立っていた。

材料はカレールー、にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、肉。何の肉だったかは忘れた。隠し味はバニラアイスと白胡麻だった。

***

『バニラアイスを入れることでまろやかでコクのある味わいとなり、胡麻は香ばしさとユニークな食感を加えます』

たぶん、こんなようなことを言っていたと思う。何の番組だったかも忘れたが、出来上がったカレーを大きな口で頬張り「おいし〜!!」と歓喜しているギャル曽根さんのことだけ覚えている。
ギャル曽根が美味しいと言うのなら、美味しいに決まっている。

若かりし日の私は、もうほとんど出来上がっていた「ひねりもないけど普通に美味しいカレー」の仕上げに、嬉々としてスーパーカップ〈バニラ味〉をぶち込んだ。
そして、追い打ちをかけるように白い胡麻を大きなスプーンでざくざく放り込んだ。

出来上がったのは、白胡麻でボソボソしたバニラアイス味のカレーだった。

***

時折パンを焦がす程度で、ほとんど料理を失敗することはなくなった今日。
中堅主婦となった今、なぜバニラアイス味のカレーになったのかはよくわかっている。
隠し味が隠れていなかったのだ。バリバリに主張していた。つまり、カレーに対して隠し味の量がとんでもなく多かった。

ミーハーな私は「バニラアイス×白胡麻×カレー」というキャッチーは組み合わせに感心するばかりで、分量を見ていなかった。
やりたいことは即実行したい!長男の猪突猛進な性格は、私の血筋なのだ。

バニラアイスカレーの唯一の被害者である夫に、今日はカレーだよ!と伝えると「バニラアイスは勘弁してよ」と今でもからかわれるし、
アイス売り場でスーパーカップを見ると、妙に甘ったるいカレー味の何かと、若いカップルであった私達の気まずい夕飯の風景が思い出される。
あれは真の「一期一会カレー」であった。

隠し味を気ままに調合したつもりでも「いつものカレー」になってしまう今日では、あの自由さがほんの少し羨ましくもある。

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