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【エッセイチャレンジ⑨】うまくいかない日

次男を送るために家を出たときから、嫌な予感がした。

信号が毎回惜しいところで赤になるし、いつもの倍以上かかってついた保育園の駐車場は満車だった。
空き待ちしている間に雨が強まり、見事な土砂降りの中を子供と玄関まで歩くことになった。水たまりに嬉々として突っ込んでいく3歳児との歩行では、ほんの1分でひどい有様。帰宅すると濡れた服が張り付いた身体が冷房にさらされ、身震いした。
ああ、洗濯物を増やしてしまった。部屋干しした昨日の服だってまだ乾いていないのに、、、

気を取り直して取り掛かった仕事では、zoomが肝心なところで切れる。お茶でも淹れて気分転換しようとウォーターサーバーに手をかけると、タンクが空っぽ。
外出時は家を出て10メートルのところで忘れ物に気が付き、その10倍くらいの距離を大回りして家に戻る羽目になった。もちろん信号は赤だ。

思い通りに行かない行動のしわ寄せで、帰宅時間も予想していたのよりだいぶ遅くなってしまった。まだ私の車の前には渋滞と呼べないほどのゆるやかな車列が連なっている。
私は諦めて保育園にお迎え時間の変更をお願いした。使い慣れないハンズフリー通話は音が遠くて、大声で怒鳴るような話し方になってしまった。
ほんと、何もかも上手くいかない。些細なことでも、アンラッキーが続くと思考が引き摺られる。

白、赤、黒、白、白、黒。まだ続きそうな車の群れに目をやると、左手に光るどぎついオレンジ色。ねずみ色の水彩絵の具で空気まで塗りつぶしたような黒雨の中、そこはあきらかに異質な空間だ。みんな大好きセブンイレブン。

そういえば喉が渇いた。お昼も食べ損ねている。トイレも我慢していたなぁ、、、
家まではあと15分。いつもなら通り過ぎるところだが、すでに保育園の延長料金は発生してしまった。10分遅れも、20分遅れもいまさら変わらないだろう。ええい!ままよ!急に気を大きくした私は、少し遅めの左折ウィンカーを出した。

***

昼間とはいえ室内灯は目に刺さるような光を放っている。濡れたスカートに擦れる肌が気持ち悪い。私はチョコレートを片手に足速にレジへ向かった。「あと、カフェラテのホット、レギュラーで。」手短にそう告げ、カードをタッチする。

ビーーーーーーーーーーー

Suicaの残高不足。13円足りない。
ここでもか…と思いつつ、店員さんに小声で「すみません、」と謝る。

やっぱり今日は何もかもうまくいかない。
そう思った瞬間、頭上に響く明るい声。


店員さん
「Suicaで支払って残りは現金でもいいですよ!」 


「あ、いえ…クレジットにします」
そう言って支払い方法画面で『クレジットカードで支払う』をタッチし、カードを差し込む。

店員さん
「あらー!すごい!クレジットとしても使えるの!さすがですねぇ」


もちろん私は『さすがですねぇ』と言われるようなことは何一つしていない。レジの流れを止める要領の悪い、ちょっと迷惑な客。
でも、店員さんの声があまりにも明るかったので、なんだかクスッとしてしまった。カップに注がれる白いホワホワの泡を眺めながら、もう楽しくなっている。単純な自分にも笑ってしまった。
店員さんはマスクをしていてもわかるくらいの笑顔で、次のお客さんを迎えていた。

最悪な日ほどこうした小さな安らぎは際立つ。この店員さんとの邂逅がよりドラマチックになるよう、不自由な時間を与えられていたではとさえ思えてくる。
当の店員さんは私の顔どころか「Suica残高不足の迷惑な客」がいたことすら覚えていないだろう、というところも面白い。何十人何百人とやってくる客のひとりでしかない。
願わくば、私も気がつかないうちにこうした安らぎを誰かに与えていたら嬉しい。


少し前に話題になった雑学で人間が一生のうちですれ違う人の数は260,000人というものがあった。(統計的にはそのうちの16人は殺人犯らしい!)
接客業ならもっとだよな…なんて考えてみる。いやいや、これ以上深掘りすると、陰謀説とか世界の始まりとか、壮大なテーマにさえ発展してしまいそう。この辺でやめておこう。


心優しい店員さんによってもたらされた、アカデミックなコーヒータイム。憂鬱な気持ちを駐車場に捨て置き、日常へと車を走らせた。

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