見出し画像

母との接し方🟰ママ活?(思考メモ)

この文章には、
一部暴力的な表現やモラルハラスメントや自分の家族の在り方を侮辱する表現が含まれています。

ですが、この記事の目的は「自分の考えを整理し、自分がこのように考えた事を忘れないようにするため」であり、これらを肯定したり他人に押し付けたりする意図は持っていません。

これらをご了承頂いた上で読んでいただきますと幸いです。



結論、
「家と帰ってくる居場所を提供する代わりに、私の心の支えになってくれ。」
って母に言われた。

私の話は聞かない前提で。
でも、「家族的な会話」を要求してきた。

ギブアンドテイク成立はしてるんだろうけど、
なんか複雑。

悩みや相談に対する具体的な対応よりも、
「聞いてもらえること」「えらいね、凄いね、いつもありがとう」って言われることが目的らしい。
私もただ聞いてもらいたい時が無いと言ったら大嘘になるけど、
私は悩み相談の場合は具体的な解決方法を求めるタイプだから、考え方が違うんだなーって思う。
でもそれを「家族」だからって強要するのには疑問を持つ。

自分が辛い時や余裕ない時でも
「家族」だから、「血が繋がってる」から、
「家賃や学費を払って貰っている」から、責任があるのだろうか。
いくらその時のご飯代を奢ってくれるからって、私にとっては負荷が大きく感じる。
それほど「老い」の恐怖って強いんだろうか。

いや、住む家や食費光熱費等は、ある。学費もある。ないと今の私じゃ生きていけないし、
義務教育以上の、ましてや芸術の学校なんて行けないから。

でも、素直に感謝を抱けない。
私の中で許せない事が、やっぱり許せない。

許さないまま、お互いに幸せに過ごせる
「今の」対策は

「ママ活してると思い込むこと」

という結論が自分の中にできた。

お金自体は貰っていないけれど、万単位のお金を払って貰っている。
今の自分の財力では一人暮らしはできないからママ活しないと生きていけない。
と、思い込む努力が必要なのかもしれないと思った。

まだ中々自我が消せなくて、フィルター挟むくらいしかできないけど…「いかにリアルにみせるか」っていう究極の演技力を求められてるわけだし、頑張らなきゃって悟りました。

あと、次女の口の上手さが凄い。自我の欠けらも無い。母のようなタイプの喜びそうな対応を知ってる。はぁ…。
三女も凄い。高校生で本当は部活したり遊んだりに熱中したいのに次女の背中をみてバイトしてる。

全部家計を思ってやっていることなのに
それでも母親は「自分が気持ちよくなるための態度」しか自分が想われていると感じないみたいだ。

こんな長女でだらしがないと思う。でも今は今の事しか考えられないし、修了公演が無事終えた所で金銭的に余裕が出る訳でもない。
最低限の演技と、家を汚くしない努力しかできない。

いつか演技が少しだけでも本物になる日を願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?