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第八回 『大人相談会』 / 「個性」と「アク」

今回は私から参加していただいた皆さんへ質問を出しました。

文章を書くときにどこまで自我を出すべきか。特にエッセイの場合、毎回悩むところなのです。人によるとは思うのですが、文章には自分の思考や哲学がどうしても反映されますよね。言いたいことがあるから書くわけでしょう?なんの主張もないのに書く人もいるのかもしれないけれど、何かしらの個人的思考は必ず入る。その時点でそれはその人のものだし、その人そのものとも言える。ほら、こうして書いていても私の「オレはこう思う」ってことを書いてるじゃん。要するに何が言いたいのかと言うと、言いたいことイコール自我だとすると、どこまで自分という個性をそこに出せますか?また、出しすぎることをどう思いますか?それはアクととらえられやしませんかね?みたいな話をしたかったのです。

私は自分の文章を「アクが強いなぁ」と感じるときが結構あって。使う言葉が強いと言われたこともありますし、何かにつけて「こうである」みたいな断言するような書き方をよくしてしまいます。それが良いとか悪いとかではないのですが、自分で読んでいて「ちょっとそういう書き方はキツいと感じる人もいるんじゃない?」と思ったりする時もあります。しかしながらそれを分かっていてもそのまま出してしまうところが私の個性なのだろうと自分で解釈しています。(あまり物事を深く考えていないとも言える)

私個人的にはアクの強い人は結構好きで、それはその人の個性がハッキリと出ている文章だと認識しています。だから魅力を感じるしその人の文章をもっと読んで、その人そのものをもっと知りたくなります。だれが書いても同じような当たり障りのないツルッとしたキレイな文章には興味がないし面白くないなぁと感じてしまう。でもそれも個人の嗜好の問題なのだと言ってしまえばそれまでなんですけれどね。


では、どういった文章が人に嫌な気持ちをさせることなく個性を出しつつ、一匙のアクを盛りながら味わい深く(欲深すぎやなおぃ)書くことができるのだろうかと思い悩むのであります。みなさんはその辺の匙加減をどのようにされているのでしょうか。

質問に答えてくれた皆さんはとてもオトナでした。誰のことも否定したり嫌悪したりすることなく、それぞれの良さをキチンと把握した上で受け入れていらっしゃる。「あの方はアクは強めだけれど、あの方にしか書けない文章だからそれはそれでいいと思う」と度量の大きさを見せてくれます。さすがですな。素晴らしい。それこそがこのnoteという場所で書いたり読んだりする人たちへのリスペクトであり、創作や表現の自由を尊重する姿勢なのであります。ふむ、ホントに皆さん大人だわ。

中には文章書きのプロのかたもいらっしゃいます。プロにはプロ独特の考えや悩みがあるようです。気を付けることも私のような趣味で書いている人間とは全く違うレベルの内容でううむと唸ってしまいました。大変ですよね。各々に思うところはあるようです。

私個人的にはアクを持たないでいてほしいと願う方もいらっしゃいます。アクというのはあれば良いってもんでもないのだということですね。美しさのなかに凛々しさや芯の通った強さがある。それもまたその人の個性と言えるのです。これもまた私の主観ではありますが、私から見てアクがないなぁと思う人ほど、そういったある意味クセのようなちょっとグラデーション的な黒いものを欲しがっていらっしゃるようにもお見受けします。ですが、どうぞそのまま、その個性をスマートに伸ばしていっていただきいたいと勝手なことを思ったりしました。


会の後半はクローズドならではの「ここでしか言えない話」で盛り上がり、やっぱりここは楽しいなぁと、改めて思った次第です。皆さん個性的。そして愛がある。一匙のアクも、愛があるからこそそれは毒には変化せず、旨味やコクへと進化するのだと思うのです。

これからも愛ある毒入り、じゃない、アク入りの私にしか書けない文章を目指して書いていきたいと思います。

参加してくださったみなさん、とても深く面白いお話をありがとうございました。


*「大人相談会」は会員募集中です。詳しくはverdeのTwitterのDMまで。@verde88988252

#大人相談会   #コミュニケーション   #個性   #アク

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