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その光は絶えることなく


人から放たれる光の色を見ることがある。

そう多くはない。ほんの一欠片の人たち。私の中のある部分に共鳴する光を持っている人を瞬時に見つけることが、時々ある。

その光はその人の細胞ひとつひとつからじんわりと滲み出て、全身を優しく包み込むように、まるでその人自身のもつ何かがエネルギーと化して内側から発光しているかのように見える。



嶋津亮太さんの名前は私がこのnoteを始めてすぐに知った。

「一体、このかたは何者なんだろう」

それが第一印象だった。

最初はnote公式の人かと思った。それほど目立っていた。私設賞が賑わい、いつも周りにはたくさんのnote界の有名な人が彼を中心に集っていた。

私は自分とは一番遠い所にいる人だと勝手に思い込んでいた。それはきっとその頃の私は今とは違う心の有様だったからだと思う。


2年前の私はまだ自分の生き方に迷いがあった。noteを始めたのもある意味自分探しの一環だったと思う。それさえも自覚なく、単に「面白そうだから」という、いつも何か新しいことに飛びつく時の感覚でなんとなく始めたことだった。

書き始めると自分の思考がどんどんクリアになっていった。

内省することにより、あぁ、私はこんなことを考えていたんだな、こんな風に感じていたんだな、と改めて自分という人間を知ることがたくさんあった。

そうして少しずつ積み重ねてきた「書くこと」を、ようやく楽しめるようになってきた頃、ある記事が目に止まった。


『生きるためのカレー』

最初、書いているのが嶋津さんだということが結びつかなかった。それまで嶋津さんの書く記事の中にご自身が経営されているバーのことは出てきたことがなかったから。まさか私の地元にお店を出されていたなんて、とても驚いた。とともに、このコロナ禍で営業の自粛を余儀なくされたことで新しい試みに挑戦されようとしていることに胸を打たれ、共感し、その気持ちを少しばかりだけれど形にして応援させていただいた。

遠い存在だった人が、それを機に一気に身近に感じるようになり、オンラインバーに参加させてもらって直に話をするようになると、最初に感じた一生触れることのないと思われた、紗のようなベールに包まれた光はだんだんとクリアな発光に変わっていった。


嶋津さんという人は不思議な人だ。いつも多くの人と交わってたくさんのサークルや企画で賑やかしい場所の中心にいるのに、なぜか彼の周囲1メートルくらいのところまで発光した繭玉に包まれているような特別な感覚に異次元のような錯覚を見る。

それはその美しく可憐な容姿(私の主観ですがここは素直に述べさせてください)もさることながら、嶋津さんが発する言葉や綴られる文章から醸し出される高貴で淀みない言葉たちのせいだ。

そして多分そのことに何の自覚も、もちろん特別感もお持ちでないことは彼と話したことのある人たちには共通の観念であると思う。そしてそれこそが真の「純真無垢」という言葉に置き換えられることは容易に誰もが認めるところだろう。

そう、誰もが一致する彼に対する印象。そこが、それこそがピュアであることの証明。誰一人として反対意見は無いはずだ。

そんな風に周囲にその清らかで真摯な人間性を認めさせてしまう嶋津さんから、なんとこの私宛にお手紙をいただいた。



こんなことは全く想像していなかった。いや、この『教養のエチュード賞』に参加した人にはもれなく嶋津さんからお手紙が届くというのはわかっていた。だがしかし、この手紙の内容は私にとっては驚愕の内容だった。

十日以上もかけて書いてくださったと。その言葉は、私の芯の部分を見事に読み解き、人によっては批判されても仕方ないと思って書いた文章を、私の覚悟を、私の信念を、それは「生き方」だと言い切ってくださった。

こんな風に自分という人間を理解してもらって文字に残してもらったことは今までの人生で一度もなかった。家族や元夫や過去の恋人にも、一度もなかった。

なぜだろう。なぜにこんな風に人の心の奥深くを「ここまではきっとわからないだろう」というところまでいとも容易く掬い上げることができるのだろう。

それは単に今現在の私の心情を想像で、あるいは思いやりや気遣いで寄り添うといったテクニック的な話ではない。過去の、身体を通して得た感情の記憶を、同じような経験を持ってして呼び覚まし、共鳴することができるからだと確信する。

私は逆に、嶋津さんの過去にあった感情の記憶の欠片を想像する。きっと幼い身体で孤独と共に身体的に辛かった思い出が、一人ベッドで見上げた天井の無機質で冷たい白さが、しっかりと記憶に残っているのだろうと。長い時間、孤独と、寂しさと、痛みに一人で向き合ってきたことのある人に記憶される感情。


感情の記憶。それが私と嶋津さんの共通するキーワードのような気がする。

その時感じた想いは遠く時間を隔てても、予期せぬ出会いの文章の中に見つけた時に一気に蘇ってストンと腑に落ちる。

わかる人にしかわからない感情は、万人に理解されるような文章にはしづらい。

だから嶋津さんはこう書かれたのだと思う。


「verdeさんにだけ伝わればいいと思い、時間がかかろうとも大事に書きました」


確かに伝わりました。

本当にありがとうございました。

この『教養のエチュード賞』に参加して心から良かったと思う。

このお手紙をもらうことが、noteを続けてきた理由だと言っても何の違和感もない。自分の感情を深く理解してもらえる幸福は何ものにも代え難い。

そしてそれは稀に見る幸運だと思う。

その光は、きっとたくさんの人たちを照らし続けることだろう。

これからもずっと。絶えることなく。


#手紙




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