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人生草露の如し(番外編) 『告白』 / 【小説】

美也子さんと出会って10年になる。

俺はそれまで勤めていた販売の仕事を辞めて、あるメーカーの営業職についた。

洋服の販売の仕事は楽しかった。自分にとても合っていると思っていた。昔から洋服やファッションに興味があって、幼少の頃からお洒落に気を遣うことが、日常の中でごく普通のこととして育った。それは紛れもなく、母の影響だった。

母はとても美しい人だった。俺がようやく物心ついた頃、朝目覚めて隣で寝ているはずの母の姿がないと半べそをかいた。ベッドからひとりで起き上がり、母を探してリビングに行くと、もう既に母はきちんとした服に着替えてお化粧もしていた。今すぐにでも出かけられるような様子で「尚ちゃん、おはよう」とにこやかに朝の挨拶をする。キッチンの窓からレースのカーテン越しにキラキラと差し込む朝日を浴びた母は、まるで白いベールに包まれたマリア様のよう。子供心に一瞬背筋がスッと伸びるような、凛とした佇まいの、清らかな美しさのある人だった。

母は、美しいものが好きだった。部屋にはいつも季節の花が大きなベネチアン硝子のベースにたっぷりと生けられていた。こうすれば長持ちするのよと言って、毎日少しずつ茎の先端を切り落とし、小まめに水を代えて愛情を注いだ。芳しい花々の香りが部屋中にたち込める。その香りはそのまま、母の香りとして今でも鼻腔に呼び起こすことができる。庭では父と二人で趣味の園芸を楽しんでいた。手間がかかるほど愛おしいと言って、出入り口のアーチに絡ませた薔薇や、クリスマスローズや小さなレモンの木を大切に育てていた。

絵が好きだった両親に連れられて、上野の森の絵画展にもよく出かけた。母が一番好きな画家はマルク・シャガールだった。俺の目には牛だか羊だかよく分からない大きな動物の顔がちょっと気持ち悪かったし、無表情の男が女の手を繋いでなぜか空を飛んでいる不思議な絵を見てもなんとも思わなかったけれど、その独特な色彩だけはとても印象に残っている。じっと観ていると、現実とも夢とも判断がつかない世界観に引き込まれ、絵筆を持つ画家の内側からじわじわと湧き出した幸せな感情が身体中に充満し、筆先から溢れ出すように白や赤や青い色となってほとばしり、観ているものに強く訴えかけてくるのだった。母はその絵の前で嬉しそうに微笑みながら「 この二人、幸せそうでいいわねぇ。こんな風に空を飛ぶほどの嬉しい気持ちだったのね 」とうっすらと涙を浮かべていた。俺はシャガールの絵なんかより、母の方がずっと美しいと思った。その幸せそうな横顔を惚けたようにいつまでもじっと見つめていた。

母は自分の身なりはもちろん、パートナーの父だけでなく小さな息子の服装にもいつも気を配った。シャツとズボンの素材と色の組み合わせや、ソックスと靴の色のバランスなど、子供の俺にはどうでもいいことだったけれど、母の意に沿わない時は、出かけた後もわざわざもう一度着替えに戻ったり、出先のデパートで買って着替えさせたりした。父は半分呆れながら、仕方ないねと笑っていた。

俺にしてみれば面倒臭い以外の何ものでもなかったけれど、着替えた後の自分の格好を鏡で見てみると、不思議となぜ母が着替えさせたのかがなんとなく分かるのだった。絶妙な色の違い、コントラストの妙、組み合わせのバランスが、子供心に「あぁ、さっきより綺麗だな」とはっきりと感じるのだった。それより何より、その後ろでニッコリと満足げに微笑んでいる、鏡に映る母の顔を見るのが一番好きだった。それはシャガールの絵を観ている時と同じ、幸せそうな嬉しそうな顔だった。


母は元々心臓が弱かった。俺を産んですぐ体調が一気に悪くなり大掛かりな手術を受けたが、結局俺が小学校に上がってすぐに、何度目かの心臓発作で倒れて還らぬ人になった。その時、俺の心臓にもぽっかりと穴が空いた。それまでのカラフルに色のついた世界がその日を境に白黒に変わった。悲しみという感情をどう捉え、どう扱っていいのか分からない幼い俺は、それ以来、本物の愛情というものを探し求めているのかもしれない。そして心に空いたその穴は、今でもきっと完全には埋まっていない。母を思い続けることが、少しずつでもその空洞を小さくしていくと信じている。


お洒落な母に英才教育を受けていた俺は、ファッションの道に進むことを自然と選んでいた。きっと母も喜んでくれていると信じて疑わなかった。この業界にいることは、母のそばにいた時の自分を維持できるような感覚になれた。美しい物に囲まれた世界にいることは、きっと母が喜んでくると思い込んだ。そして希望したイタリアのアパレルブランドに就職し、内勤の総合職を希望したが、まずは現場を経験するよう上から指示がなされ、伊勢丹新宿店の店舗に配属された。

現場はとても楽しかった。好きな洋服に囲まれ、お客様にそれを薦めることがまるでブランドやデザイナーの意思を伝えるナビゲーターであるかのように感じた。モノを売るという感覚はあまりなかった。ブランドのマインドを広めるアンバサダーのような感覚で、とにかく楽しかった。人と話すことが元々好きだったこともあり、一回の接客で1時間、2時間ということも珍しくなかった。洋服好きな人とのファッション談義は尽きなかった。毎日が充実していた。

30を迎えた時、このままショップに立ち続けることは俺にとっては最善ではないかもしれないと思った。ただ好きでここまで来たけれど、もっと違う観点からファッションのことを学びたいという欲望が芽生えた。エンドユーザーを相手にした仕事ではなく、服作りの根本からもっと深くこの業界に関わってみたいと思った。

行きたいメーカーを何社か絞り、自分の意思を伝えるべく直接メールを送った。いい返事をもらえた何社かのうちの一社が自分の中でヒットした。テキスタイルからオリジナルで製作している会社はここだけだった。ものづくりへのこだわりを感じ、自分が自信を持って扱える商材だと、直感でここしかないと思った。


入ってからは毎日が勉強だった。それまでの販売職の経験が活かされたことは営業として有利に働いたが、出来上がった商品をエンドユーザーに売ることと、一からものづくりに関わることは全く違った難しさと面白さがあった。

初めて現場からのフィードバックをデザイン室に持ち込んだ時のことを、昨日のように思い出す。自分的には外から聞いてきたことをなるべくそのまま伝えることに重きを置いて報告した。伝えた相手はデザイン室のトップ、勤続何年だかも想像がつかないような大ベテランの大御所、チーフデザイナーの吉崎美也子さんだった。


「 それはあなた個人の意見ですか?それとも販売店さんの、つまりはお買い上げ頂いたお客様の声ですか?」

俺が伝えたのは、今季の新しいデザインのパターンが、今までよりも大きいのではないかという、取りようによってはクレームに近い意見だった。

「 もちろん、私個人の意見ではありません。お客様の生の声です 」

自分個人の意見など、専門外の、しかもチーフデザイナーにいきなり言うわけないじゃないか。俺はただ、現場の声をそのまま伝えるのが営業の義務だと感じたからそうしたのだった。それが正当だと思っていた。

「 このデザインは今季の新しいパターンを使っています。今年はアパレル全体の流れとして、ゆったり、身体のラインを隠すデザインが主流になっていますよね? 従来のパターンでは時流に沿わないし、それは今季初めのデザイン会議で伝えたはすですけど。もしかして聞いてなかった?」

「 いえ、聞いていました。でも、実際商品化されたものが思った以上に着心地がゆったりしすぎていて、これまでの定番化されたものとのギャップが大きすぎたんではないでしょうか 」

「 定番商品と今季の新しいものとを比べること自体が違うわ。流行は思い切って変えることに意味があるの。定番が正しいとか、定番と比べることを基準にしてもらっては新しい流行は生み出せない。そして新しいものは、そのものが持つパワーと理由をユーザーに伝える必要がある。それがあなたたち営業の仕事でしょう?今年の流れをしっかりと把握していないと説明はできないことよね。もちろん、勉強しているとは思うけれど 」

ぐうの音も出なかった。まだまだ俺には知らないことが、勉強不足なことがたくさんある。自分の意思で仕事をすることの意味を、その時初めて美也子さんから教わった。


美也子さんはいつも真剣だった。自分の仕事に真摯に向き合っていた。愚痴や言い訳を聞いたことがなかった。一人で悩み、一人で解決し、一人で責任を取っているように見えた。後で聞くと、そんなことはない、いつもみんなと相談しながら、みんなに助けてもらいながらやっていると言っていたけれど、俺にはそうは映らなかった。その仕事には揺るぎないプライドと自信を感じた。そこには本当にファッションが好きという確固たる思いが、誰の目にもわかるほどに滲み出していた。それは単に嗜好というレベルの話ではなく、もはや愛だった。自分の生み出すものは自分の分身であり、子供だと言っていた。情熱を持って、いつも仕事に取り組んでることが誰の目にも明らかだった。そんな美也子さんに、尊敬の念を持つ者は多かったけれど、いつしか俺は尊敬から愛しさへと変わりつつあることを、戸惑いながらも抑えることができなくなっていった。

美也子さんは美しかった。それは姿形の問題ではなく、いや、彼女は本当に美しい人であることは間違いなかったのだけれど、俺の年齢から見て一回り以上も上の、大人の女性に対して愛というものをどうやって感じるに至ったかを聞かれても、自分でもなんとも答えようのないゆるりとした感情だけが浮かんでくる。

その佇まい、人に対する言動、言葉のチョイスは相手への思いやりにいつも溢れていた。困っている人には常に的確なアドバイスを与え、時には聞き役に徹することもあった。冷静沈着、大人の行動、いつも落ち着いていて慌てず騒がず、予想外のハプニングにも適切な対処をして皆を安心させてくれた。

美也子さんがいれば安心だ。そう皆が思っていた。それなのに当の本人はその自覚がほとんどないのだった。なぜそんな風に落ち着いていられるんですか?と尋ねたことがあるが、美也子さんは「 知らない。そんなこと聞かれてもわからない 」と困って応えるばかり。できる人はそれが当たり前だから、自分が頑張っているという自覚などないのだろう。「 当たり前のことをしているだけ 」というばかりだった。


いつしか知らぬ間に、俺は美也子さんのことを目で追っている自分に気がついた。それが愛情だと知るのは随分あとになってからだ。尊敬と、憧れと、少しだけ懐かしい感覚があった。それは俺の遠い記憶の中でいつもお洒落に気を遣い、楽しんでいた母親の面影と重なる瞬間に感じる共通のノスタルジー。決して俺はマザコンではない。いや、全ての男はマザコンだと誰かが何かに書いていたような気がする。そのエッセイだかコラムだかを読んだ時、確かにそうかもしれないと素直に共感したのだった。あたたかく、優しく、安全な繭玉の中に抱かれているような懐かしい慕情は、全ての人間の根底に存在する、唯一確かなものだと素直に感じる。恥ずかしいことでもなく、否定すことなどない、とても自然で当たり前の、人間の愛情の根源なのだ。



俺が以前に一度、とんでもないヘマをやった時、美也子さんは何も言わずにフォローのために動いてくれた。地方の販売店に直接足を運び、俺が受注の入力を間違えた80点近い商品を、返品させることなく収めてくれたのだ。デザイナー自らが商品の良さや勧め方のセオリーを直接指南したことで、販売店からは逆に感謝されて追加の発注まで取ってきた。これには驚きとともに本当に頭が下がった。どうやって納得させたのかを聞いても美也子さんは詳しく話してはくれなかったけれど、その後、販売店に謝罪をしに行った時に、店の人からその時の美也子さんの仕事ぶりを聞いた。

「宮島さん、あなた助かったわねぇ。あのデザイナーさん、来るなり私たちの前で深々と頭を下げて謝られてね、私たちスタッフ全員に、間違えて納品されたパンツと同じものを一本ずつ着用分として持ってきてくださったのよ。まずは着てみてくださいって。使われている新素材の説明やコーディネートの提案も細かくしてくださってね。それが着てみたら思いのほか良くて、これだったら納得だわって、みんなが喜んだわけ。もちろん、最初はお電話くださったのよ、でもその後すぐにここまで来てくれたことが、私たちは嬉しかったのよ。電話で済ませようとか、なんとか穏便に事を納めようとかいう打算は一切なくて、この商品の良さに絶対の自信があるからって、それを私たちに真摯に伝えてくれたから納得したの。だから私たち、これ頑張って売るわよ!」


その言葉を聞いて、身体中の力が抜けていくのを感じた。俺は自分の無力さにとことん嫌気がさした。何かとてつもない、抗えない大きな力を目の当たりにしたようで動けなくなった。それは美也子さんの強さだった。人としてのやさしさだった。もちろん、仕事人として、ただ自分のやるべきことを全うしたとも言えるが、その根底にある、人に対する向き合い方が俺とは全く違うことが分かった。帰社してすぐに美也子さんに謝罪とお礼を言いに行ったが、本人は俺のミスについては全く意に介さず、ただ当たり前の事をしただけだと言って俺を責める言葉は一言もなかった。

「 どうしてなんですか?なぜそんな風にいられるんですか?ちょっとは怒ってくださいよ 」俺は自分自身に腹が立っているのにその感情を持て余し、お門違いも甚だしく美也子さんに八つ当たりしていた。

「 誰だって失敗しようと思ってやる訳じゃないでしょ?やってしまったものは仕方がない。時間は元には戻らないわ。だったら、今できることを精一杯やるしかないのよ。どうやったら皆が喜ぶだろう、何が最善だろう、って考えるの。そして私だからできることは何かな、って。誰でもできる事をしたって意味がない。自分の価値は自分で作り上げるのよ。だからあなたも、宮島くんにしかできないことを一生懸命心を込めてやればいいの。失敗は誰にでもあること。その失敗をいかにプラスに転換できるかを考えることが、あなたの価値を作ることになるのよ 」

頭をハンマーで殴られるような衝撃だった。俺はそれまで、自分のミスをどうやってカバーするか、それは俺に対する上司やお客様からの評価をどうしたら下げずに済むかということしか考えていなかった。なんて視野が狭いんだ。なんて自分のことしか考えていないんだ。自分の小ささに臍を噛むような気持ちで項垂れていると、美也子さんはまるで独り言のように小さな声で呟いた。


「 猫がね……来なくなっちゃったの 」

「 へ?」

突然降ってきた言葉に呆気に取られていると、美也子さんは焦点の定まらない視線で宙を見つめながら続けた。

「 通い猫がいてね。美味しいご飯を作って待っていると必ず来てくれてたの 」

通い猫……

「 それがね、なぜか突然来なくなっちゃって。やっぱり本宅のご飯の方が美味しかったのかな…… 」

「 美也子さん?」

気のせいか、美也子さんの目が潤んでいる。 通い猫? なに?

「 あたしはね、あたしができる事を精一杯の愛情を込めてやっているつもりだったの。でもね、それが相手に通じるとは限らないんだなって、分かったの。でもね、いいの。あたしはやりたいことができたから、それでいいんだって。最初から何も持っていないんだから、何も手放してなんかないのよ 。自分が信じた事を、その時やりたいことをやり切ることが、後に想いを残さずに生きられる方法。宮島くんも自分が行きたい方向へ、自分の意思で歩んでね。そうすれば後悔はないわ。例え失敗したとしても、またそこから考えればいいのよ 」


後になって気づいたことは、以前は毎週金曜日の帰り際、エレベーターで美也子さんに会うと必ずと言っていいほどに、まるでたくさんの花束を抱えたように芳しい香りに包まれていた彼女が、その一件から香りをつけなくなっている事だった。俺はその香りを嗅ぐ度に、無意識に遠い記憶の母を呼び起こしていた。これは誰のための香りなのだろう?ふとそんな嫉妬にも似た感情を思い起こさせる、懐かしく切ない香りだった。 

通い猫は花の香りが好きだったのか。そしてそれ以来、美也子さんは少し疲れた顔をすることが多くなっていった。

その様子はアシスタントデザイナーの陽子ちゃんも心配するほどで、時々具合の悪そうな美也子さんを気遣ってサポートしていた。陽子ちゃんから聞いたのは、美也子さんが最近男と別れたらしいということ。その恋愛は美也子さんにとってはあまり思わしくない関係だったようで、陽子ちゃんは別れて正解だと言った。それでも元気のない美也子さんの様子を伺っていると、女性にとって恋愛がどれだけエネルギーになることか、大切なことかを考えさせられた。俺は俺のできることを考えなければ。美也子さんの力になりたい。特別な存在になりたいという思いが、柔らかな薄い布が織り重なるように少しずつ、確実に心の奥底に蓄積されていくのを感じていた。


・・・・・・・・・・


昨晩は美味しいワインがあるからと俺を部屋に招いてくれた。たくさん話してたくさん飲んで、珍しく美也子さんの方が先に酔っ払ってしまった。部屋に来たことは何度もあったけれど、泊まっていいよと言ってくれたのは初めてだった。少し、また距離が縮まった気がして、こうして長い時間一緒にいられることが俺はただ嬉しかった。

抱き合う時の美也子さんはとても可愛かった。頑なに灯りを消してと言って聞かないその恥じらいも、俺の全てを受け入れてくれるやさしさも、全部が愛しく思えた。あたたかくてやわらかな肌は、お互いを慈しむように溶けて一つになった。ずっとこうしていよう。ゆらゆらと揺れる意識の中で、二人して大海原に投げ出された小舟に乗っているような錯覚に陥った。漣は二人を静かに微睡みの中へと誘っていった。

……夢の中でシャガールの絵が出てきた。俺は美也子さんの手を取って、嬉しくて嬉しくて仕方がなくなった。ほら見て!なんて幸せそうな二人。俺は嬉しさのあまり、その絵の中の男と同じように空を飛んだ。美也子さんは涙を浮かべて笑っていた……



朝の光に包まれて、窓の外の鳥たちの声に気がついて目を覚ました。俺は、すぐ隣で静かな寝息を立てながら安らかに眠る美也子さんの顔を見つめた。こんなにも無防備で、まるで少女のように安心し切った顔で寝ている彼女が愛しく思えて仕方なかった。俺はこの人を守りたい。その思いが日に日に大きくなっていったのは、通い猫が来なくなったと言って途方に暮れていたあの涙を見てからだった。美也子さんのそんな顔はそれまで見たことがなかった。いつも凛として、真っ直ぐな強い視線は揺らいだことがなくて、誰に対しても同じスタンスでいる彼女を、俺は鏡にしてきた。目標であり、そうなりたいと心から思った。少しは近づけているんだろうか。自分ではよく分からないけれど、今こうして美也子さんのそばにいられることが何よりも嬉しく、誇らしかった。

美也子さんは自分のことをよく分かっていない。俺がこんなに心配していることも、愛しく思っていることも、きっと分かっていない。自分はもう第一線から退く準備を始めていると言っていたけれど、まだまだやりたいこともできることもたくさんあるはずだ。年をとることはもしかすると臆病になることなのかもしれない。自分の可能性を自ら閉ざしてしまうこともあるかもしれない。それは俺には想像のつかない領域の心理だけれど、俺は少しでも力になれるように、そばにいてあなたを守りたい。


もう少しこのままで、その安心しきった寝顔を見つめていたい。これまでの人生でたくさん一人で頑張ってきたあなたを、これからは俺が守るよ。


目を覚ましたら言うよ。ずっと、一緒にいよう。


END


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この物語は「 人生は草露の如く」の番外編です。尚人の視点で書きました。

美也子の視点で書いた本編三部作はマガジンにまとめています。よろしければどうぞ。



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