だからこそアートって面白いなぁと思うのです。
「みんなのフォトギャラリー」に投稿した写真をつかっていただいたnoteが150を超えたと、先月noteから通知があった。
ここで写真を選ぶ方はもちろん、そのnoteのテーマに合いそうな写真を選んでいると思う。
あ、この写真合うかもなぁ。
そう思ってつかっていただけたら、それはほんとうにありがたいことだ。
『あなたがみんなのフォトギャラリーで公開した画像を○○さんが使用しました』。
スキもコメントももちろんだけれど、この通知の意味は「だれかの大切なメッセージを彩ることにお力添えできましたよ」ということだから。
うれしい。はずかしい。恐縮。
そんな感情がぐるぐる回って、しあわせだなぁと思うのです。
だからみなさま、ほんとうにありがとうございます。
通知が届くたび、うれしく思っています。
以前にも触れたことだけれど、アートっていうのはつくる人の思いはあっても、一度世に出たものであればその解釈はその作品に触れた一人ひとりのこころにあって、その数は無限に拡がっていくものなのだと思う。
これはこういうメッセージを込めたんですよ!
作者は自らの作品に注釈をつけることはできても、人の解釈にまで手を入れることはできない。
あ、ぼくの写真がアートだとか、そういうことではないです。
謙遜したり卑下したりするつもりもないけれど、仕事にしているわけではないし、日々それなりに忙しいので、突き抜けた覚悟で写真に取り組んでいるかと言われると確実にNOだから、おこがましく思うという意味で。
もちろんアートだと思ってもらえたらうれしいし、お褒めの言葉はありがたく頂戴します。
でも今は自分から言うつもりはない、ということであって。
...すこし逸れたけれど、だからこそアートって面白いなぁと思うのです。
きっとだれもがこころに残る絵画や音楽や文章に出会っていると思う。
でもその解釈はもしかしたら作者のメッセージとは異なっているかもしれなくて、でもだからといってそれが間違っているわけでもない。
こころを込めて送り出す作者と、それをありがたく受け取るぼくら。
そこに金銭のやり取りがあろうとなかろうと、お互いが感謝しあって受け取る。与える。
その感謝の往来によってお互いのしあわせがすこしでも増える。
こころが豊かになる。彩りが増す。
それでさえあれば、解釈の違いなんてあまり大きな問題ではないのかもしれない。
noteの街に身を置いているとこんなにも身近にアートが存在するのだということがよくわかる。
すてきな文章、写真、絵。
ぼくは日々ここで、それらを受け取っている。
だからお返し、と思って提供しているわけではないけれど、すこしでもみなさんのお力添えができたらうれしいので、これからも地道に「みんなのフォトギャラリー」に写真を加えていこうと思っています。
公開している写真のうち、たくさんつかっていただいているのはこの6枚。
メガネが入っているのが不思議です。
連鎖するのですよね。
メガネの写真、一日で12回もつかっていただいて。
忙しく現れる通知にときめきました。
ありがとうございます。
今日は思うがままにつらつらと、一切削らずに書かせていただきました。
思うことを書いて、伝えやすくするために削る。
その「削る」行為のつらさについて書こうと思っていたのですが、逆の結果になりました。
何ででしょう。また書きますね。
思うままついでに、公開している写真のなかでのぼくのお気に入りを数枚ポストして、失礼します。
...。
...と思って見ていましたが、どれも思い入れありすぎて選びきれませんでした。
うれしいこともかなしいことも、それぞれに思い出の詰まった、ぼくにとって大切な子どもたちでした。
順位つけようとしてごめんね。
みんな大切だからね。
ゆるしてね。
と、いうことで。
今日も長くなってしまいましたが。
長いわりに、
内容が、
無いよう。
も、もふー!
...いつもお付き合いいただきありがとうございます。
よかったらまた、遊びに来てください。
お天気すぐれませんが、すこしでもこころ温まる夜になりますように。
いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。