見出し画像

エンディングに想いを馳せる

すみません。またサボっていましたね。
気がついたらなんと11月に入って既に3日も経っているではありませんか!
あぁびっくりした。

季節を感じないのはこの気候のせいです。全く寒くない。日中は暑いぐらいです。Tシャツ一枚で歩いてるおじさんもいます。コートが売れません(泣)。

タカーシーさん、パートナーさんと共にエンディングノートを書き始めたそうですね!エンディングノートかぁ、私も色々考えるところはあります。

うちのお店は年配のお客様が多いのでリアルエンディングに遭遇することがよくあります。そしてその度に色んな問題でご本人やら身内の方やらが悩んだり苦労されているのを目の当たりにします。特に土地や財産を引き継ぐ場合は大変そうです。身内での裁判沙汰は結構耳にします。

私にはそういった心配はありませんが、とりあえず自分の葬儀代と骨の始末ができるお金は残して死にたいです。本当は葬儀もいらないんですけれど。墓ももちろんいらない。できることなら娘と息子がいつでも気軽に出かけられる近くの海にでも撒いてもらえたら嬉しいのですが。
会いたくなったら海に来ればいい。花も蝋燭もお線香もいらない。骨を撒いた海に来て水平線に沈む夕日を見ながら在りし日を思い浮かべてただ忍んでくれれば満足です。それこそ死んだら自由になれるのですから、私の魂はあっちこっちへ飛んで遊んでると思います。行きたいところへひとっ飛び。人生の旅は限りがありますが、肉体という枠組みから解き放たれた魂は自由です。宇宙と一体となって永遠に漂い続けます。
話がそれました。

エンディングノートって大変そうですよね。
書き出したら次々に書くことが出てきそうです。
私にはパートナーがおりませんので、書くとしたら子供たちに向けてということになりますね。
言葉では以前から伝えていることですが、人生を全うし、命の灯火が消えかかる場面での延命治療は拒否します。そのまま自然にいかせてほしいです。
治療が寝たきりで長引き、意識も無くなった時には余計に早くいかせてほしいです。日本では安楽死は認められていませんが、できればそうしてほしいです。
ここまで長く生きてきて、子供たちも十分成長したので言えることですが、私自身あまり“長く生きる“ことには執着していない気がします。死にたい時には早く死にたいと思う。何がなんでもどんなことをしてでも、とにかく一日でも長く生きたいとは思わないです。全て自然の流れに任せたい。

病と闘っている最中の方には申し訳ないし理解不能だと思いますが、人間は人それぞれだと思うんです。生きることに対する考えも、死ぬことに対する考えも。
だから一人一人が考える生きたい生き方、死にたい死に方ができたらいいなと思います。人に迷惑をかけないということを前提に。

いえ、人間は迷惑をかける生き物です。全ての場面でさまざまな人に関わって、さまざまな迷惑やお世話をかけたり受けたりしながら生きています。だから生きている間は感謝することが大事なんじゃないかなと思います。
自分の理想の生き方と死に方を考えるきっかけにもなるエンディングノートというのはなかなか深いものですね。
私も改めて考えたいと思います。

今現在はこの先1年ぐらいの身近な問題に取り組むのに精一杯ですが。
エンディングノートは書いてみたいけれど、なかなかその余裕すらない、という状態です。
きっとこうしてあっという間に今年も終わってゆくのでしょうね。
カレンダーも残すところ2枚になりました。
今年もいいエンディングが迎えられますかどうか。
とりあえず頑張って働きます。楽しく精一杯生きるために。

それではまた。


*アーカイブはマガジンでお読みいただけます。

#交換日記 #エンディングノート #生きること #死ぬこと #エッセイ




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?