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自転車修理の五郎さん

うちのすぐ近くにある自転車修理屋さんにかれこれ10年近くお世話になっている。

今住んでいるマンションに引っ越してきたとき、近辺をお散歩していると普通の住宅に赤い幟が立ててあるのに気付いた。

「自転車修理」と書いてある。

ふぅ~~ん、なんだか不思議。店舗じゃないから自転車の販売はやっていない。修理のみを生業にしているようだ。壁には料金一覧表が貼ってあり、パンク修理は¥1,200とある。こんなので食べていけるのかな?

自転車は、毎日の通勤や買い物に欠かせない。ここ東京の住宅街ではなおさらだ。自転車で3分もいけばメガドンキがあるし、スーパーや銀行や郵便局や、もちろんコンビニは何軒もある。

でも歩いてそれらの用事を済ませるには時間がかかるし、買い物して荷物が増えるとなると、やはり自転車が一番役に立つ。

最寄りのJRの駅までだって自転車だと10分かからない。だから私の生活には自転車が不可欠なのだ。


一番最初にその自転車修理屋さんに行ったのは、愛車のパンク修理だった。恐る恐る玄関のチャイムを押すと二階の窓がガラッと開いた。

中から顔を出したのはイカつい人相のおじさん。真っ黒に日焼けして、目も口も鼻もデカくてすごい圧で上から睨み付けられた。

「 なんだい?」

「 あ、あの~~…パンクしちゃって 」

「 おう、ちょっと待ってな 」

こ、こえ~~…これもしかしてなんだかんだイチャモン付けられて高い自転車買わされるやつか?どうしよう…逃げるかな…あわわわ…

あたふたしているうちに、おじさんが玄関から出てきた。デカくて黒くて顔圧すごくて、こえ~な~~とうろたえていると、おじさんはおもむろにタイヤを触りだ始めた。

「 オレさ、午後から病院なんだよね。あと30分遅かったらアウトだったな!」

「 ひっ?あ、すいません!大丈夫ですか?」

「 オレさ、糖尿でさ、午後から検査なのよ 」

「 はあ、それはたいへんですね。具合悪いんですか?」

それからおじさんは自分の既往症について、こちらが聞きもしないのにペラペラペラペラと喋りだした。どうやら凄いお喋り好きなようで、病院で若い看護師さんのセクハラ話や (顔の割にはとても紳士でどちらかというと逆セクハラされたらしい) なぜ自転車修理の仕事を始めたかの身の上話やお酒の話や昔の出版社時代の話や、とにかくずーーーっとお喋りが止まらない。その間もちろん手がお留守になることはなく、目ぇつぶっててもできらぁ!ってな具合にスルスルと器用な手つきでパンクの修理をやってくれた。


おじさんの名前は五郎さん。人懐っこくて気さくで面白くて、下町の江戸っ子気質の五郎さんはどうやら知る人ぞ知る人物だったようだ。一駅向こうからもわざわざ壊れた自転車を押しながらお客さんが来ていた。

「 近所の自転車屋に修理を持っていくと、必ず新しいのを買わそうとするのよ!やれブレーキが悪いだの部品が劣化してるだの、いいようにやられちゃう。その点五郎さんはきっかり修理のみ。どんだけボロいのでも、乗れるように直してくれるんだよね。しかも消費税なし!」

おおぅ…。こうやって口コミでお客さんを増やしているのか。やるなぁ、五郎さん。

あっという間にパンク修理が終わって、代金の¥1,200を払うと、五郎さんは「ちょっと待ってな 」と言って家に入った。

しばらくすると手にiPadとシルバーのテープを持って現れた。

「会員登録するから、名前と住所と電話番号教えて。これ、カスタマー管理に便利なんだよ。あとでPCに入れるの。」

へえ~、なんか意外というと失礼だが、聞けば五郎さんは67才、もし出版社にいたら今どきの最新モバイルも使いこなして当然だったのだろうな。病気がきっかけで早くに会社を辞め、アパート経営だけでも食べてはいけるが、何か自宅でできる仕事はないかと考えて始めたのが自転車修理だったそうだ。

サクサクと登録を済ませると、今度はさっき持ってきたシルバーのテープを私の自転車のサドルにベッタリと貼った。

「 ここ、ちょっとしたひび割れがあるんだよ。雨降ったら染みてこないか?」

ああ、そう言えば…。雨ざらしになることは滅多にないけど、先日も出先で雨上がりに乗ったときお尻が濡れて、何だろう?と思っていた。これ、ひび割れがあったのか。気が付かなかった。

茶色のサドルにピカピカ光るシルバーのテープはやけに目立つがまあいい。新しくサドルを買い換えるにはまだ少し乗れるからこれで我慢しなと言われて大人しく頷いた。


一年に一回は何かしらの不具合でお世話になる。もうそろそろこの自転車も限界なのだろうが、なかなか新しいのを買う気が起きない。慣れた乗り心地もさることながら、ブレーキや鍵やベルの取り替えをしながら、時々五郎さんにメンテナンスしてもらっていると、なによりこの自転車がとても喜んでいるように感じる。修理の度にまた乗り心地が良くなって、まだまだ乗れるな。なんて嬉しくなってしまうのだ。

先日もまたパンクの修理に訪れた。しばらく見ないうちに五郎さんはめっきり痩せていた。

「どうしちゃったの?糖尿悪いの?」

「おう、7キロ痩せたよ。透析してんだ。」

聞けば今年76才になったと言う。ずいぶんお世話になってきたな。あと何年出来るかなぁなんて、しおらしいことを言いながら、またいつものように五郎さんのお喋りは止まらない。作業している間、私のツッコミに大笑いしてあっという間に今日も修理してくれた。

そしてあちこちネジがゆるんだところをしっかりと絞め直して、全体を濡れタオルでざっと拭くと、また私の愛車が生き返ったようにニッコリ笑ったような気がした。

「あい、¥1,200ねー。美人でペディキュアしてたらサービスするんだよ。あっはっは!」

ふと自分の足元に目を落とすと、サンダルから赤い爪が覗いていた。
まったくもぅ、どこ見てんだか〜。

五郎さん、愛車共々、これからも末永くお世話になります!ヨロシクね~~🎵


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