迷い猫チョビ

ハチ公の気持ちを思う 戻らない猫の帰りを待つ玄関で

あの日は、なんだか変な日だった。

いま思い出しても、あまり現実感がないのだけれど、妻もはっきり覚えているし、写真もあるから本当にあった日なのだ、とわかる。

あんなに「いいことをした」気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
あの日以降もそんな気持ちになっていない。
つまり、僕史上最高に「いいことをした」気持ちになった日の話だ。

今の家に引っ越してきて数週間経った頃だった。
すぐ近所の家が、火事で燃えていた。窓からものすごい炎が上がっていて、我が家の前の道にもよくテレビで観るような黄色いテープが張られていた。

普段は何も起こらない田舎町が、騒然としたその日にチョビはうちの庭に来た。
妻と現場の様子を見に行ったあと、家に戻って「うちの猫たちは自力で逃げ出せないのだから、火にはものすごく気をつけよう」みたいな話をした。

そのとき、庭から猫の鳴き声がした。
外を見ると、華奢で汚れた猫がうちの中を覗きながら鳴いている。

放っておけない性質の妻が、ひとまずエサをやりながら、観察する。
「人を怖がらないから、きっと迷い猫だよ。首輪が手作りだし、かなり可愛がられてたんだよ」と、妻。
「元気そうだから、自力で家に帰るんじゃないの? うちにはこれ以上無理だからね」
僕は、釘を刺すことぐらいしか思いつかなかった。 (当時我が家には4匹の猫がいた)
妻は「わかってる」と言いながら、その猫を連れて、当時唯一ご近所で顔見知りだったSさん宅に向かった。Sさん宅でも猫を飼っていたので、何か手がかりがあるかもしれない、と思ったらしい。

しばらくすると、妻の「飼い主わかったよ!」という声が玄関から響いた。
偶然にもほどがある話で、嘘みたいだった。

たまたま相談しにいったSさんの家に、数週間前「たずね猫」の写真と連絡先を置いていった人がいたらしい。
「動物病院の帰り、近所のコンビニに立ち寄って車のドアを開けた隙に逃げられてしまった」と言っていたそうだ。
うちに来た猫とその写真を見比べて、間違いないことがわかった、という訳だ。
飼い主に連絡をして、しばらくすると50代くらいの恰幅のいいおじさんが我が家へやってきた。

おじさんは、玄関でキャリーバックを覗き込むなり、「チョビー、チョビー!」と、大きな声で何度も名前を呼んだ。
1ヵ月近く探し回っていて、もうあきらめかけていたそうだ。
こんな子猫が、外で1ヵ月、何とか生き長らえたのか。
チョビを逃がしてしまってからのおじさんの気持ちを思うと、泣けてきた。

もしチョビがうちの庭に来なかったら。
もし妻が保護しなかったら。
もし妻がSさんの家に行かなかったら。
もしおじさんがSさん宅を訪ねていなかったら。
もしSさんが家にいなかったら。
たくさんの「もし」をくぐり抜けて、チョビはまたおじさんに会えた。僕以外の猫や人のおかげで。
いいことをした気持ちになっていたけれど、実は何もしていないことにも気づいていた。情けなかった。
おじさんには、うちで使っていたキャリーバッグごと、チョビを引き渡した。

その頃には、もう火事は鎮火していた。キッチンのガスコンロの消し忘れが原因らしい。けが人がなかっただけでもよかった。

チョビは、今も元気だろうか。


そんなそんな。