一分咲き

2024.04.02


きょうは、晴れたけれど肌寒かった。

晴れたのでウォーキングにでも……と、思ったけれど、あしたからは雨らしい。ならば桜を見るのはきょうなのではないか? と、ウォーキングではなく自転車で「はだの桜みち」を走ってみよう、と思い直して、自転車で出発。

できそうだったらはだの桜みちを走りながらタイムラプスで桜を撮ろう、と意気込んで行ったけれど、まだ一分咲きくらいで、全然だった。これは撮ってもおもしろくないな……と、途中からコースを変えて運動公園へ行って、散歩道を自転車を押しながら歩き、歩数を稼いで帰ってきた。

あしたからは雨らしいけれど、金曜日とか土曜日は天気が回復しそうだから、その辺でまた見に行こう。

きょう作ったお弁当

ピーマンとソーセージと舞茸のポン酢かつお節炒め、クリームコロッケ(冷凍)、カニカマ入り卵焼き、鮭フレーク。

きょう作った短歌

渦中の頃は「存在」自体の中にいるため、存在に気づけない。いまは「あそこには近づかないようにしないとえらいことになる」と「存在」に気づけて近づかないように気をつけられるので、それを「治った」と呼んでいるのだと思う。

でも、もう「そこにあること」をずっと意識し続けなければならなくて、うつ以前の状態には絶対に戻れない、という感じ。

重版間近

こういうツイート、したいなぁ……。こういうのは、積極的に言っていけばいいと思うんだよ。誰も損しないことだから。

似合う仕事

木下龍也さんの木下さんらしいお仕事。

岡野大嗣さんの岡野さんらしいお仕事。

愛着

きょう、自転車で走っているときに、この「愛着」というお題で僕が作るなら……と考えていた。

「既発表作品可」なので、「愛着」のお題から付かず離れずの距離感の作品だと、これがすぐに思い浮かんだ。

この街で初めての春 薬局の角のあの木は桜と気づく

お題からこれくらいの距離感だとセーフだろうか。「街に対する愛着が湧き始める情景」みたいな感じ。

「愛着」の対象が物とか人だとベタッとしそうだから「街」にして考えてみた。

二年間住むことになるこの街を去りがたくなる二年後にする

こんな感じ。
これは、大学入学のときに1〜2回生までが京田辺市のキャンパスで、3〜4回生で京都市内に移ったんだけど、その状況をイメージ。
転勤とかでもあるよね、こういう「去ることが決まっている街に住む」こと。これも「愛着が湧いた後」ではなくて、「愛着が湧く前」を切り取った短歌。前向きな決意の短歌で割といいのでは。地味だろうか。短歌の後ろにストーリーが見えるのが好きなんだよな……。

「去りがたくなる」=「愛着が湧く」なんだけどお題だからと言って《二年間住むことになるこの街に愛着を持つ二年後にする》としてしまうと、途端に台無し。

「住むことになる」と「去りがたくなる」と対にすることがきのう書いた「読者サービス(=ひと工夫)」の部分。

これくらいお題を自分に寄せて書くと「頭で書いた短歌」にならずに「ちょっと体温のある短歌」になる気がする。

……と、このようなことを考えながら、自転車で走って、帰宅後に「あれ? 自作に愛着の短歌、なかったっけ?」と検索したら、あった。

そうそう、めちゃくちゃドンピシャだ。
ドンピシャついでに投稿してみよう、と思ってしてみた。

迷惑だろうか。

そんなそんな。