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葉ね文庫での一日

2022.07.09

大阪のホテルでこの日記を書いている。
なぜ書いているかというと、わざわざA4サイズの重くバカでかいノートパソコンを持ってきたのに、使わないまま帰宅するのがしゃくだから。

葉ね文庫

昨日は、終日大阪中崎町の葉ね文庫にお邪魔して、あることないこと話したり、「におみくじ」を販売したりしていた。

葉ね文庫には、開店以来、何度かお邪魔しているのだけれど、そのたびに長居させていただいていた。そして、ここに長居していると、なんというか、普段の僕の生活や活動の中では出会わないタイプの人がたくさんやってくる。昨日も、店主の池上さんとお話ししながら思い出していたんだけど、割と何人もの歌人や俳人、詩人と、ここで会っているのだった。
私家版『これから猫を飼う人に伝えたい10のこと』のころからずっと著作を置いていただいていて、お世話になりっぱなしなのである。
今回、「におみくじ」を販売させていただくという口実とともに、1日中お邪魔させていただいた次第。

開店の11:00から、ほぼ途切れることなくお客さんがいらっしゃって、みんなすごく真剣に本を物色している様子を眺めるのは、なんかよい時間だった。

ありがたいことに「におみくじを引きに来ました!」という方も何人もいらっしゃって、そのたびに「こんなおじさんがきれいでもない字で書いた短冊が封筒に入っているだけなんですが、いいですか? 200円いただくことになりますが本当に後悔したり、クレームをつけたりしませんか?」みたいな念押しをして引いてもらう。引くときは、みんなやけに楽しそうで、まあまあ微笑ましい。

今回は35首、売れて、1枚当たりが出た。

思いつきで始めたことだけれど、引いてもらいながら「これって『におみくじ』をやっていなければ、未来永劫その人とは出会わなかったはずの短歌が、いまこの瞬間に出会って、しかも直に感想を言ってもらえたり、喜んだりしてもらえている、ってことでは? それは僕の考える『遠くに届けたい』という欲求をかなり満たしているのではないか。そのうえ、『本』という形式の呪縛からも逃れて、ちゃんと『一首』で鑑賞してもらえているのも理想的。しかも『#におみくじ』で短冊の画像を投稿してもらうことで、本でも連作でもない形で作品の一覧性も担保される……」と、何かすごくいい企画に思えてきていた。

在店中、何度も「短歌を読者に届ける形として『歌集』や『連作』って本当に適してるのか、ということを考えて考えて、『三十一筆箋』や『におみくじ』みたいな形式になったのです」みたいな説明をした。
みんなそれを聞くと「この人は何を言っているのだろう?」みたいにポカンとしているのだけれども。まあ、確かにその結果が手作りの『におみくじ』みたいな滑稽な企画なのでポカンとするのも無理はない。

要するに「短歌を作るときは一首単位で作るのに、読まれるときは『本』や『連作』という形になる」ということに抵抗があるのだ。作ったときそのままの形で読まれたい欲求が強い。

もちろん僕の在店とは関係なく来られたお客さんもたくさんいて、端的に「盛況」だったように思う。

そういえば、ナナロク社の「第2回あたらしい歌集選考会」で歌集刊行が決まった多賀くんとも、以前葉ね文庫でお会いしたことがあったので、「もし今回来られたらお祝いに『葉ね文庫で1万円分お買い物できる権』を進呈しよう」とひそかに決めていたのに、来られなかったので、この権利は失効。
1万円得した気持ちになっている。

普段まったく人と会わないのに、いきなり多くの人と話したから、書くべきことはたくさんある気がするけれど、正直あんまり思い出せない。

僕に会いに来てくれた方は、やはり猫を飼っている方が多くて、猫の話をたくさんした。その中でやはり「看取り」の話になったり、看取ったあとの「自責」の話になったり。猫の話って、意外とする人を選ぶので、僕のような者にはもしかすると話しやすいのかもしれない。
その流れで「挽歌集」の話にもなるのだけれど、やっぱり届くべき人に届けるためのやり方、で悩んでしまう。
話の中で出た「挽歌から始まって、そこから時間をさかのぼっていき、最後に保護したときや出会ったときの作品で終わる猫短歌集」というのも、確かに読み終わったときに「希望」があって救われる構成かも、と思った。

ひとつ、印象に残っていることは、初対面のかたに神奈川から来たことを伝えると「ああ、どうりで、関西弁に少し違和感があると思いました」という意味のことを言われ「ああ、神奈川に住んでもう20年くらいになるから、もうネイティブの関西弁は使いこなせていないのだな……」と、少し寂しい気持ちになった。

葉ね文庫さん、本当にありがとうございました!
楽しかった。またお邪魔させていただきたいです。

葉ね文庫名物の短冊に書いたのは、この一首。

猫はいる 悲しいときにそばにいる 悲しくないときにもそばにいる

そんなそんな。