中田敦彦さんの幸福論を読んで

ハイライトをメモ

ひとは生きているあいだ 、実にいろいろなことを考える 。
大きな夢を見る 、葛藤をする 。
でも最終的には素朴でシンプルなことだけが残る 。

なにかを為すときには必ず条件があり 、その条件下で結果を出すしかない 。
その条件の最たるものが時間である 。
時間をフルに活用しなければ勿体ない。

「このまま」はいつまでも続かない。

ぼくらはすぐ 、あらゆることに慣れてしまう 。
自分の乗っている船はいつまでも順調に航行を続けると信じ込んでしまう 。
もしも船が不測の事態で沈みかけたら、対処できるだけの力を蓄えているのか。


自分から物事を仕掛け、成果をきっちり生み出すには 、つねに学び続けることが不可欠だ 。
なんの準備もないところに 、天からアイデアが降ってくることはない。
すべてはマメな学習の積み重ねの結果である 。


また、世界は言葉でできていると思う。
言語運用能力とはもっとも応用範囲の広い武器だと実感する。

ひとは言葉によって動かされる面が多分にある。
ひとは言葉によって意思を変えられてしまったり 、楽しくなったり悲しくなったり 、感情がどんどん突き動かされる 。

ひとをこんなに自在に操れるものを 、ぼくは言葉以外に知らない 。
たとえば宗教というものは強大な力を持つが 、言葉で神や天国や地獄の存在をひとに知らしめて、真理はこうだと、言葉によって信じさせるのだ 。
言葉が世界を設定し、ひとを動かしているのは事実だ 。

言葉を紡ぐ本として、心に残っている本は、渋沢栄一『論語と算盤』である。

論語は道徳を指し 、算盤はビジネス感覚のことを言っている。
ひとがなにかを成すにはこの双方が必要となる 。

現代人にとっては 、算盤だけじゃダメで論語も必要なのかと目からウロコが落ちる思いだし、
渋沢が生まれた江戸時代のひとには 、算盤がそんなに重要になっていくということが驚きだったことだろう。
渋沢が大切にしたメッセージは 、論語と算盤の両者は 、つねに一体であるというところ 。
どちらか一方では意味を為さないというのだ 。

「みんなのためになにかをしたいけれど 、お金がありません 」というひとか、
「お金を持っているけれど、みんなのためになにかをしたいとは思わずに自分のためにすべて使いたい 」というひと 、
その二極化になってしまっては社会が回っていかない 。

強さと優しさを兼ね備えるように 、お金をつくれるひとがそのお金をみんなのために使う世のなかにならなければならない。
2024年度から 1万円札の 「顔 」に採用される渋沢栄一は、そう説く。


自分の思うように人生が運ぶひとなど 、きっとひとりもいない。
ならば 、自分がどうにかできる 、手の届く範囲のことに対しては 、できるだけのことをしたほうがいいじゃないか 。

自分にはどうしようもないことが多いのならば 、それは受け入れたうえで 、目の前のことに夢中になるのがいい 。
人生をひとつの祭りとみなして 、それを楽しみ尽くす 。自分にできることをすべてやって 、家族を愛し 、仲間と笑い 、社会にお返ししよう。

自分が何者なのかを知りたかった 。
うまくやっているだれかが羨ましかった 。
すごいひとに褒めてほしかった 。
だれかに必要とされたかった 。
そのために成功することが大事だった 。
自分のことを、見つけてほしかったから 。
成功の光は強烈で、そしてそれは一瞬だ。

光を何度も浴びたのに、本当に照らされたい部分は闇に包まれていた 。
いつもなにかに追われているような気がしていた 。

幸せは、道の果てに燦然と輝いているもんじゃない 。
本当はそこらへんに転がっているありふれたものだ 。

大切なのは将来なにになるかじゃなくて、
かつてどうであったかでもなくて、
今日どうあるかだから 。

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