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【エッセイ】かなえたい夢

人の幸せとは何だろうと考えてみる。それは人が持ち得ないものを持ち、優越感に浸り、何不自由ない生活を送ることなのだろうか。

 有り余る金。豪邸に住んで、高級車を乗り回し、海外旅行どころか宇宙にも行ける。好きな物をいつでも買えて、美味しいものをたくさん食べることができる。巨万の富があれば、何でも手に入れることができる。

地位と名誉。自分が歩いているだけで人が道を開けて、平伏してくれる。自分が何かを言えば、人が何でも言う事を聞いてくれる。こんな爽快なことはない。

類稀な才能。有名な大学を卒業し大企業の収縮し、仕事をばりばりこなす。スポーツ万能で、異性にもてて、人より何でも上手くやることができる。何をやっても負けることがない。常に優越感に浸ることができる。

強靭な身体。いくら歳を取っても身体が衰えない。筋肉隆々で、常に健康で病気にもならず、老人になっても身体のあちこちが痛くなることもない。そもそも老人にならないで済む。

これら全てのものは一つでも持っていれば、確かに満たされた人生を送れるのだろう。それらを手にするまでに、血の滲むような努力を強いられたかもしれない。その努力の報酬は、果たして必ずや人を幸せにするものなのだろうか。

 唐突な話になるが、無人島で、期限なく、たった一人で生活しなければならなくなって、一つだけ持っていけるものを許されたなら、何を選ぶだろうか。おそらく先に記したものは、どれも何の役にも立たない。持っていても仕方がないものばかりだ。自給自足の生活に金は何の役にも立たない。地位があっても、それを尊んでくれる人がいない。才能に満ち溢れていても、食料を確保できるわけではなく、それを披露する相手もいない。強靭な身体を持っていたとしても、無限の孤独に耐えられるとは限らない。では無人島での辛く孤独な生活に何があれば幸せになれるのだろうか。

例えば音楽があればどうだろうか。食料を確保するために畑を耕し、海で魚を釣り、木の実を探して歩く。それだけ一日が終わる。ただ生き残るために、趣味も娯楽もない生活が一生続く。そんな時に優しいリズムを奏でてくれる音楽があれば、荒んだ心は癒されないだろうか。

映画や演劇を観ることができればどうだろうか。ラブロマンス、アクション、ミステリー、サイエンスフィクション、オペラ、ミュージカル、歌舞伎、・・・。ほんの数時間だけだが、絶望だけの現実から逃避することができる。

映画を観ることが苦手な人には、本を読めるようにしてあげればどうだろうか。本であれば、好きな時に好きな時間だけ読書をすることができる。ただし夜の間は難しいかもしれないが・・・。一日が終わる夕暮れのほんの一時にしか本が読めないとしたら、その本の物語の次の展開はどうなるのか、早く続きを読みたい、そんなわくわくした気持ちのまま長い孤独な夜を越すことができるのではないだろうか。

芸術の原点とは、そう言うものではないのだろうか。心が折れた人の気持ちに寄り添い、励まし、再び立ち上がるための勇気を与える。暗闇で覆われた人の心に、明かりを灯してくれるのである。その明かりは太陽のように世界中に日光を届けるようなものあれば、街灯のように夜の闇の中で足元だけを照らすものもある。どちらも希望であることにはかわりない。

有り余る金を持っていても、心に闇を抱えることもある。地位と名誉があっても、孤独を感じることもある。才能に満ち溢れていても、心の中が満たされないこともある。強靭な身体を持っていても、人生に行き詰ることもある。そんな時に必要なものは・・・。

「希望」だと私は思う。

だから芸術は、世の中がどんなに変わってもなくなることなく、人々と共に生き続けてきたのではないだろうか。

私も人の心に火を灯したい。情熱だけはある。しかし私に何ができるだろか。傷ついた人の心の中に、マッチでつけた程度の微かな火を灯すことしかできないかもしれない、それでもいい、私はそんな作家になりたい。

「通勤電車の詩」を読んでいただきありがとうございます。 サラリーマンの作家活動を応援していただけたらうれしいです。夢に一歩でも近づけるように頑張りたいです。よろしくお願いします。