なぜ人は生きるの?(その7)

鬱病になってからの記憶を辿っている間にも時間は過ぎていきますね
ここ数週間、妻との離婚について家族3人で話し合いもしました
やはりもう元には戻れないようです
息子は「離婚しないでほしい」と本音を言ってくれましたが、このままではいずれ「お前のために我慢しているんだよ」と違ったプレッシャーを息子にかけてしまう事も考えられます
息子はもう独り立ちする時です
時間はかかるかもしれませんが妻に笑顔が戻ってくれる事を願います


さて、前回は発病後2回目の再就職から離職までを書きました
実は妻との出会いから結婚までの期間に、一度転職をしているのです
妻とは建設現場で知り合いました
私は現場監督で妻は現地採用の事務員でした
私は社会人1年生の23歳、妻は6歳年上の29歳でした
都会の建設現場と違い、車がなければ生活できないような辺鄙なところでしたので、度々皆んなで、時には2人で晩ごはんを食べたりしていました
やがて妻とは気が合い、妻の実家にも顔を出す様な間柄にまでなりました
その様なところに、所長による妻へのセクハラが度を越えるようになっていったのです
私と結婚を前提にお付き合いをしている事はまだ所長には伝えていませんでしたので、私が事務所から現場に出ている間はいつも所長と妻の2人きりです
次第に仕事に集中できなくなり、思い切って本社の部長に相談しに行きました
ところが約束の時間に本社へ行くと部長は電話が長引き応対してもらえません
すると人事の課長が「代わりに聞いて伝えておくから」と言ってくれたので已む無くそうしたのです

しかし翌日現場に戻ると所長と先の課長が電話で話をしていました
「今回は借りができたな」
などと談笑しているのです
失敗した…と気づいても後の祭りです
間もなく所長から「いつ辞めるんだ?」という話をされ、ボーナス支給日前日付けで退職
妻にもその仕事を辞めさせました


話を元に戻します
従って履歴書にはこの時点で4回の離職を書く状況でした
こうなると例え毎回事情があるにせよ書類選考の時点で落とされ面談にたどり着けないケースが殆どになりました
ハローワークでは「障害者枠」での応募(オープン)も考えたほうが良いのでは?とのアドバイスをいただきましたので、一般の求人枠と共に障害者枠でも仕事を探し始めました
一般枠で面談に進めても鬱病の治療中である事は伝える様にしました
やはり「普通」を装うだけでも辛かったからです

結果は?
全滅でした笑
一般枠で面談に進めた時もありましたが、病気の事を打ち明けると途端に顔色が曇り、後日届く通知には不採用と書かれていました
時には根性論で説教をされた事もあります
障害者枠でも「車椅子などの身体障害者は受け入れた経験があるが、精神障害者は受け入れた事がない為」との理由で全て書類選考で落とされました

リクルート系列の障害者に特化したエージェントにも登録しました
ある程度の従業員を抱えている会社は障害者も一定の割合で採用しなければいけないという法律があります
このエージェントには日本の名だたる企業の求人が集まっていました
こちらで一社、最終面接まで進んで初出社の日にちまで決まった会社がありました
東京駅の地下からそのまま本社ビルに入れる大会社です
ところがここは私のほうからお断りの連絡を入れました
いまだに少し未練はあります笑
その理由は最終面接の最後の最後にありました
「ではこれで採用という事になりますが、何か聞いておきたい事はございますか?」
との問いかけに、私は
「今は障害者枠での採用ですが、もし今後病状が落ち着いて普通に仕事ができる様になったら、一般枠として契約変更はできますか?」
と質問したのです
その刹那、人事の方を含め役員方も顔色が変わりました
「障害者枠での採用なので、ずっとその枠で働いていただく事になります」
との返答でした
ああ、やはり法律で決められているから仕方無しに雇うんだな…と理解したのです

後日エージェントの担当者から「何故こんなに良い条件の求人を断ったのか教えてください。私には理解できません」と電話がありました
「障害を克服しようと努力しているのに、障害者でい続けてもらわなければ困る」と言われれば躊躇しますと伝えました

障害者という肩書きはもう消せないのだという現実に直面し、そして目に見えない病気と向き合っていくしかないと考え直した一件でもありました

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