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深夜のコンビニで最終ゲラを送り出して、それから【クリキャベ編集日記-その8- せやま南天・校正編】

クリキャベを書き始めた頃、
小説を書くってことは、なんて孤独な闘いなんだろうと思った。

私は、
学生時代は、オーケストラ部で、
働き始めた頃は、大規模システムのエンジニアだった。

わいわいと大勢で何かを作り上げる。

そういう経験をしてきた。
自分が少しくらい休んでも、大きな影響があるわけではない。できあがらないわけではない。インフルエンザには毎年かかって最大一週間休んだし、つらくて逃げ出したこともあった。もし何か全体に影響があるような場合は、だれか別の人が私の代わりをやってくれた。

けれど、小説を書くことは、
違った。
休んだり逃げ出したりしたら、そこから一歩も進まない。誰かに甘えたり、言い訳したりもできない。

私が書かないと、この物語は完成しないのだった。

そんな闘いでも、
noteで公開して応援され、
受賞して祝ってもらい、
編集者さんがついて、
イラストレーターさんとデザイナーさんに装幀を作ってもらうと、
孤独感は薄らいでいった。

仲間がどんどん増えていくような心強さだった。

改稿を終えて、次に、原稿を出版できるものへと一緒に作り上げてくださったのが、
校正者さんだ


初校をいただく

初めての校正という作業。
心配してくださった編集者Kさんは、
対面で、印刷物の体裁になった校正刷り(ゲラ刷り、以下ゲラ)への書き込み方を教えてくださった。

初校。紙の皺から、すでに何人もの方が確認してくださった跡が見える。

改稿までは、主にデジタルでデータをやり取りしていたけれど、
校正からは紙のゲラに皆が書き込み、やり取りする。
校正者さん、編集者さん、私の3者が協力し、このゲラを、本にできる内容になるまで作り上げる。

校正者さんとは直接お話ししたことはないし、
顔もお名前も分からないのだけど、
作業をはじめてみると、ゲラを介して会話しているような感覚だった。

赤ペンを持ちながら、ゲラに向かって、
私はずっとぶつぶつ喋っていた。

「なるほどねぇ。そうきたか」
「それいる?」「うーーーーん、ここでは……いらんかなぁ」
「わ、天才。ここの言葉入れ替えただけで、めっちゃ綺麗な文章になるやん」
「あああぁーーー、そこ気づいてなかったあぁぁ!!!!!やばかったぁー!ありがとうございますーーーー!!!!」
(普段は標準語だが、ひとり言になると出身地の関西の言葉に戻る)

もともとのイメージだと、
校正者さんは、誤字や漢字・ひらがな表記の統一などのチェックをする人だった。

けれど、それはあくまで、校正さんの幅広いチェックポイントの一部でしかない。
校正に入るまでに5回も改稿していたので、単純な打ち間違いのような誤字は、ほぼなくなっている。

それだけじゃなくて、
クリキャベの校正さんがしてくれた指摘は例えばこんな感じだ。


・分かりにくい箇所への言葉の追加・変更

建物の構造の説明や、料理の手順は、
説明が複雑になりがちだし、
かと言って書かなさすぎると伝わらない。

分かりやすく、正しい言葉になるよう、校正者さんからは追加、変更の提案があった。

校正者さんの提案を採用する場合は赤ペンでマルをつけ、採用しない場合はバツをつけていく。

はじめの料理シーン。左が初校、右が再校。
赤字が直っている。

ここで思ったのは、
校正者さんは圧倒的に正しい、
ということだった。

きちんと読めば、読んだ人の99パーセントが、誤解なくその事象を把握できる言葉をチョイスされる。校正者さんの書いてくださったものをすべて残さず採用するのが、日本語としては正解だろう。

けれど、それはこの本にとっての正解なのか……
と、私は悩んだ。

特に料理のところでは、葛藤があった。
クリキャベは、料理本ではない。小説だ。

主人公が楽しく料理している感じを出したいので、あまり全部が全部を説明的に書きたくはない。リズムを重視したい。

だけど、読者が想像しにくかったり、疑問が残ったりしてしまうような書き方も避けたい。

二つの思いがせめぎ合う中で、悩んで、
「ぐぐぐぐっ……」とか「ごごごごっ……」
とかうめきながら、決めていくしかなかった。

・誤った言葉の使い方の訂正

「捨て台詞」とは……

公開するのもお恥ずかしいのだけど、
言葉の勘違いもきちんと訂正してもらっている。
こういうところがいくつかあった。

他にも、「言い残す」とか「最後の砦」とか……
主語が誰か、現在どういう立場にいるか、この後どういう行動をとるか、などまで考えて使わないといけない言葉なのだけど、できていなかった。

大人になるまでは、
国語は得意科目だったし、それなりに語彙力はあるほうだと思って生きてきたけど、校正者さんの仕事ぶりを見ていると、もうそんなこと恥ずかしくて、絶対に言えない。思ってた過去も消したいくらい、すみませんでした…という気持ちになる。

もっともっと、
言葉に敏感になっていかないとなぁと思った。

校正者さんが鉛筆入れしてくださったゲラを眺めていると、
鉛筆で何度も消しては書いてくださったような跡がたくさんあり、クリキャベがどうやったらより良くなるか、「あぁでもない」「こうでもない」と考えてくださっている様子が目に浮かんだ。
自分もそれに、しっかり応えて行こうと思いながら、取り組んだ。

この指摘は○○の理由で修正しません、と意見を書いてくださったゲラを見て、
なんて頼もしい方なんだと思いました。

【クリキャベ編集日記-その7- 編集者K・校正編】より

と編集者Kさんは書いてくださっているが、
改稿時の2回目の打ち合わせで、
Kさんから「なぜ?」に答えられなくて不甲斐ない思いをしたので、校正についてはなぜそうするのか、そうしたくないのか、理由を明確に自分の中で持とうと思った。
たくさん考えてくださった校正者さんにもできるだけ伝えておきたくて、ゲラに青ペンで理由を書き込むようにしたのだった。


再校がとどく

再校のゲラが送られてきたときに
添えられていたKさんからのお手紙。

「最後の段階となりました」の言葉に、
つ、ついに……という思いと、
クリキャベの原稿と向き合うことが日常になっていたので、なんだか信じられないような気持ちがした。

再校で、校正者さんから指摘されていたのは例えば、こんなことだ。

・前半と後半での整合性

長さのある小説を書いていると、一息にすべて書けるわけではないので、前半・中盤・後半といったところで、細かな不整合がいくつも出てくることになる。自分で気づいて改稿中に修正したものもあるが、編集者さんに気づいてもらったものや、校正するまで気づけなかったものもあった。

今回再校で気づいてくださった矛盾は、
「言葉遣い」だった。
クリキャベは、登場人物が最終的に10人ほどいて、それぞれが個性のある話し方をしている。一部だけ、ある登場人物の言葉遣いが他の部分と違う、ということがあった。最後の最後、再校で気づいていただいたのだった。

危なかった。

ゲラに向かって「ありがとうございます」と何度も言った。

他にも、ありがとうの気持ちが溢れ出してゲラに書き込んだりしていた。
もしこの編集日記を読んでくださっているなら、改めてお礼を言いたい。

たくさん書き込むと、見にくくなって申し訳ないなと思いつつ、書かずにはいられなかった言葉。


最終ゲラを送り出す

そうやって、「最後」と言われた再校のゲラを、チェックし終えた。
これで、私が原稿と向き合う時間はおしまいだ。

主人公たちが、
こちらへ向かってさよならって、手を振っているような気がした。

本になることは嬉しいはずなのに、
手を放すのは寂しかった。

締切の日がやってきても、
ぎりぎりまで手元に置いておきたくて、
ペラペラとゲラをめくっていた。
けれど、いつかは送り出さないといけない。

意を決して、
深夜23時に、コンビニへむかった。

「お疲れ様。ご褒美アイスでも買ってきたら?」
と夫から言われて、
「いいね。アイスは寒いから、プリンで」
と言い、
焼きプリンを手にしてから、レジへ行き、
「これ、お願いします」
と、店員さんにゲラの入った大きな茶色い封筒を手渡した。
かわりに、焼きプリンの入った小さなレジ袋を受け取った。

帰ってきて、あたたかいお風呂に入って、
緑色のソファに座って、
焼きプリンを食べた。

達成感と喪失感、両方を抱えた身体に、
優しい甘さがじんわり沁みた。


そうして、一週間後に校了となった。

こちらは、送られてきた表紙の見本。

左が発売される最終版。書店でより映えるよう、最後まで調整してくださった。


noteのこの画面を飛び出して、
たくさんの人の力をお借りして、
できあがった本が、形になり、
もうすぐ本屋さんに並ぶ。
みなさんのもとに届く。

ぜひ「本」になった、
『クリームイエローの海と春キャベツのある家』を手に取り、
表紙を眺め、裏からも眺め、
ページを開いてみてほしい。


***

これで、本になるまでの裏側をお伝えする編集日記はおしまいになります。ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

いよいよ発売まであと10日ほどになりました。
ぜひその日を一緒に、楽しみにしていただけると嬉しいです。

せやま南天


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