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ナラティブ

2023年は、何度「パターン・ランゲージ」という言葉を口にしたかわからないという自分にとって、ずっと気になりつつも行く機会のなかった町が真鶴町でした。

「パターン・ランゲージ」が何かというのを一言で説明するのはすごく難しいですが、怒られるのを覚悟でざっくりいうと「良いモノを創造する過程で作る人と使う人がきちんとコラボレーションするためのコツの集合体」という感じです。

クリストファー・アレグザンダーによって書かれた元々の「パターン・ランゲージ」は、町や建物を対象としたものでしたが、驚いたことにその後ソフトウェアエンジニアリングにも適用され、オープンソースの文化などを生み出すことに繋がっています。

そんなパターン・ランゲージを適用した条例を30年前に作っちゃったというのが真鶴町です。
正式には「真鶴町まちづくり条例」とそれに連なる規則のことを指しています。

都市デザインに関心があった自分にとって「美の基準」は気になるキーワードの一つではあったものの、神奈川県民的に真鶴は湯河原や熱海に行く途中に横を通過する町という印象が強い町でした。しかし、横浜市役所時代の同僚が真鶴でトークセッションをやると聞き、じゃあこの機会に行ってみるか!ということで訪れてみました。

前日は町の真ん中あたりにあるペンションに泊まり、翌日は朝からひとりまち歩きを開始。

過去に私が真鶴町に抱いていたのは「印象が持てない町」というものでした。

私は割とあちこちの地域に行きますが、どんな場所でも車で少し走って町並みを見れば「ああ、ここはこういう感じの街だな。」という最初の印象があって、その後に歩いたりしても概ねその印象は外れてないという事が多いですが、真鶴町は何度車で走っても、その印象が湧かないのです。
まちを歩き始めてもどこに何があるのかよく分からなくて地図を何度も確認するのは、まるでダンジョンを歩く冒険者のようでした。

しかし、なんでそんな印象だったのかは歩いてみてすぐに理解できました。

平たく言えば真鶴は「時速5km以上で移動したらいけない町」なんだと思います。

ふと目についた坂道を登ってみて振り返ると急に目の前に広がる海
コンクリートで固めただけじゃない護岸のしつらえ
釣りなどがしやすいように遊歩道と高さレベルを合わせた磯

急に現れる背戸道や神社

ふと見上げると大きな枝を広げる大樹
無人販売所やなぜかキウイの転がる道
まちのあちこちに植わっているみかんのなる木

昔の地域の写真を飾っている素敵なカフェでは、町内にあるパン屋さんのケーキをいただきながら、お祭りなど地域の歴史の話が聞けました。

ペペコーヒー

「美の基準」をモチーフに建設され、竹の天井が印象的な公共施設「コミュニティ真鶴」では、地域のイベント開催中。
移住してきたというお兄さんが「僕ここのスタッフじゃないんですけどねw」と言いながら、コミュニティ真鶴や美の基準の話をしてくれました。

お腹がすいたのでお魚料理店に行くと、これまた海が見えるお席で盛りだくさんのお料理が✨

車で走り抜けただけでは絶対に見つからない風景があちこちにあるまちが真鶴なんだと実感しました。

お腹いっぱいになったところで、午後は本命の展覧会とトークセッションに参加。

印象に残る話は多々ありましたが、最大に脳内に刻まれたのは「美の基準」を策定した当時の町長のお話。
正確ではないですが、要約するとこういうことだと受け取りました。

美の基準は本来バインダーで綴じられるべきものである。
それは見直しが前提だから。
しかし、本来は見直されるはずが見直されてない。
これは町民が怠っていると言ってもいい。

本来、美の基準条例は、建築基準法やらなにやらに照らした時に法令違反だと問われれば消えて無くなる可能性もあった。
しかし30年持ちこたえてる。
この条例にはそういうチカラがある。

だからこそ時代ごとの価値観に合わせていく必要がある。

今回は自然公園になっている以外の市街地部分と漁港のあたりを歩きましたが、まち全体やエリアごとに感じる課題はありつつも、バブル期などの開発圧力がものすごく強かった時代にまちの風景を守り抜いたことは、横浜の六大事業にも通じる偉業だと言って差し支えないと思います。

そして、Uターンしてきたり、外から移住してきたという方は異口同音に「過去から変わらない景色が真鶴の価値」だということを言っていましたが、それぞれの人がきちんと自分の「ナラティブ」を持っていることも真鶴の特徴であり、「美の基準」の大いなる効果だなと思いました。
ナラティブとは「物語」や「語り」と訳されることが多いですが、その意味するところとしては「語り手自身から紡ぎ出され語れる物語」であることが重要です。
「ジブンゴトストーリー」と言ってもいいかもしれないですが、町に住む人がこれを持って、しかも相手に語れるというのは実はそう簡単なことではありません。

なんでも変わってしまう現代だからこそ「変わらないこと」に価値を置きつつ、必要以上に縛られることなく緩やかに変化をさせていくことができる。
現代にあってそんな壮大な試みができる場所が「真鶴」というエリアなのではないかと帰りの電車の中でしみじみ感じました。